研究の紹介を旨とするこのブログでありますが、最近さっぱりで自分のことばかり書いて申し訳ありません。ただいま科研報告書を絶賛作成中なのですが、ちょっと一息ついてこの文章を書いています。
1月に入ってあっというまに30日。いよいよ退職が迫ってきております。
1月27日の木曜日には、学部生の日本文学演習を行いましたが、これが私の最後の授業となりました。最近発見され、昨年5月に影印翻刻が出たばかりの、秋成自筆『春雨物語』羽倉本を、各諸本比べながら地道に読んでいくオーソドックスな通年の演習で、受講者は20名ほど。コロナが収まった後期の10回ほどは、対面でやることも出来ました。2年生が大部分のクラスでしたが、彼らの成長は著しく、結構本気で面白がってくれて、毎時間時間オーバーになるくらいの活発な議論が展開されました。この未知のテキストを読むことで、最後がまとまるのではなく、開かれたまま終わる感じがよかったです。
最後の議論では、研究者の議論かとまがうような高度な議論が展開されていて、オンラインながら思い出に残りそうな「最終授業」となりました。私はいわゆる最終講義はしませんので、これが正真正銘の最終講義となりました。
山口大学で14年、大阪大学で21年、ほかいろいろなところで非常勤もやらせてもらい、あまりリピートはしない方なので、たぶん100以上の違った演習・講義をやったかなと思います。その予習と現場での学生とのやりとりが私の財産です。まあ、これからも多少教育に関わりますし、研究も従来通り続けますので、それに生かせればと思っています。
とはいえ、まだまだ後片付けモードにはなっていません。主宰するシンポジウムが1本、登壇するシンポジウムが1本、書かねばならない論文が2本あるほか、卒論・修論・博論の試問が18本あって、そのうち9本が主査です。博論は5本で主査3本。最後まで走り続ける感じですね。採点の祭典もこれからです。最後までバタバタいたします。とりあえず次のエントリーは、シンポジウムのご案内になるでしょう。いましばらくお付き合いを。
そして、研究書の紹介はもう少しあとになりそうです。申し訳ありません。
2022年01月30日
2022年01月08日
浪花人秋成
あけましておめでとうございます。
年賀状は印刷したものの、まだ少ししか出せていません。この場を借りてお詫び申し上げます。
遅れてしまいますが、これから出しますので。
今年最初の記事は、大阪大学国語国文学会。院生3名の発表と、昨年4月に着任された渡邊英理さん、今年3月に退職する金水敏さんと私の講演があった。
(ブログでは基本さんづけなのでご理解ください)
とくに私たちの講演はひとり90分も時間をいただいていたので、全体としては大変な長丁場になった。
私は「浪花人秋成」と題して講演。新出秋成自筆羽倉本『春雨物語』の奥書に「浪花人」と秋成は記していた。それがこの問題を考えるきっかけ。調べていくと、最晩年に「浪花」「難波」を意識した歌や署名が多い。京都に住んでいるのに、である。そういえば過去帳にも、わざわざ「大坂の人、歌道の達人」と記す。これは、秋成が(60歳以後)京都に住んでいながら、「浪花人」を強く自覚し、また標榜していたということではないか。なぜ?
それを追究してみたわけである。時間を余して議論したかったのだが、馬鹿なことに時間配分を失敗し、90分めいっぱいしゃべってしまった。とはいえ、オンライン懇親会のブレークアウトルームで、結構楽しい議論が出来たのでよかった。
自分の出身と違う土地で暮らしたり、働いたりする人は多いから、この問題はじつは普遍的である。金水先生も挨拶の中で、阪大にきてからのアウェー感を語っていたけれど、それである。そのアウェー感を、空間的雅俗論と重ねて提示したのが今回の講演の趣旨であった。金水先生がいみじくも指摘されていたように、秋成のこの問題、私自身が大阪に出てきて感じたことと重ねていたのである。
ブレークアウトルームの議論では、久しぶりに私のゼミの1期生、現ゼミ生、そしてOBの方、さらには国語学の人まで来てくれて、楽しい議論ができたことに感謝!である。
年賀状は印刷したものの、まだ少ししか出せていません。この場を借りてお詫び申し上げます。
遅れてしまいますが、これから出しますので。
今年最初の記事は、大阪大学国語国文学会。院生3名の発表と、昨年4月に着任された渡邊英理さん、今年3月に退職する金水敏さんと私の講演があった。
(ブログでは基本さんづけなのでご理解ください)
とくに私たちの講演はひとり90分も時間をいただいていたので、全体としては大変な長丁場になった。
私は「浪花人秋成」と題して講演。新出秋成自筆羽倉本『春雨物語』の奥書に「浪花人」と秋成は記していた。それがこの問題を考えるきっかけ。調べていくと、最晩年に「浪花」「難波」を意識した歌や署名が多い。京都に住んでいるのに、である。そういえば過去帳にも、わざわざ「大坂の人、歌道の達人」と記す。これは、秋成が(60歳以後)京都に住んでいながら、「浪花人」を強く自覚し、また標榜していたということではないか。なぜ?
それを追究してみたわけである。時間を余して議論したかったのだが、馬鹿なことに時間配分を失敗し、90分めいっぱいしゃべってしまった。とはいえ、オンライン懇親会のブレークアウトルームで、結構楽しい議論が出来たのでよかった。
自分の出身と違う土地で暮らしたり、働いたりする人は多いから、この問題はじつは普遍的である。金水先生も挨拶の中で、阪大にきてからのアウェー感を語っていたけれど、それである。そのアウェー感を、空間的雅俗論と重ねて提示したのが今回の講演の趣旨であった。金水先生がいみじくも指摘されていたように、秋成のこの問題、私自身が大阪に出てきて感じたことと重ねていたのである。
ブレークアウトルームの議論では、久しぶりに私のゼミの1期生、現ゼミ生、そしてOBの方、さらには国語学の人まで来てくれて、楽しい議論ができたことに感謝!である。