あけましておめでとうございます。
年賀状は印刷したものの、まだ少ししか出せていません。この場を借りてお詫び申し上げます。
遅れてしまいますが、これから出しますので。
今年最初の記事は、大阪大学国語国文学会。院生3名の発表と、昨年4月に着任された渡邊英理さん、今年3月に退職する金水敏さんと私の講演があった。
(ブログでは基本さんづけなのでご理解ください)
とくに私たちの講演はひとり90分も時間をいただいていたので、全体としては大変な長丁場になった。
私は「浪花人秋成」と題して講演。新出秋成自筆羽倉本『春雨物語』の奥書に「浪花人」と秋成は記していた。それがこの問題を考えるきっかけ。調べていくと、最晩年に「浪花」「難波」を意識した歌や署名が多い。京都に住んでいるのに、である。そういえば過去帳にも、わざわざ「大坂の人、歌道の達人」と記す。これは、秋成が(60歳以後)京都に住んでいながら、「浪花人」を強く自覚し、また標榜していたということではないか。なぜ?
それを追究してみたわけである。時間を余して議論したかったのだが、馬鹿なことに時間配分を失敗し、90分めいっぱいしゃべってしまった。とはいえ、オンライン懇親会のブレークアウトルームで、結構楽しい議論が出来たのでよかった。
自分の出身と違う土地で暮らしたり、働いたりする人は多いから、この問題はじつは普遍的である。金水先生も挨拶の中で、阪大にきてからのアウェー感を語っていたけれど、それである。そのアウェー感を、空間的雅俗論と重ねて提示したのが今回の講演の趣旨であった。金水先生がいみじくも指摘されていたように、秋成のこの問題、私自身が大阪に出てきて感じたことと重ねていたのである。
ブレークアウトルームの議論では、久しぶりに私のゼミの1期生、現ゼミ生、そしてOBの方、さらには国語学の人まで来てくれて、楽しい議論ができたことに感謝!である。