2022年04月15日

『語文』116・117

大阪大学国語国文学会が刊行する学会誌『語文』116・117号は3月下旬に刊行されている。金水敏先生と私の退職が同じ時になったため、二人の退休記念特輯となっている。素晴らしい研究・教育そして研究科運営・学内運営の実績のある金水先生と並んで名前を出していただけるのは、なんとももったいないことであるが、幸せなことでもある。
巻頭の送辞を書いていただいた岡島昭浩さんは、金水先生の後をになう国語学の教授でもあるが、私の大学時代の後輩でもある。過分なお言葉をいただきこれまた恐縮である。
さてこの特輯号には、私の教え子である5人の方が論文を掲載してくれている。当たり前のことだが、博士課程在学中までは、彼らの論文を私は必ず読んで何かコメントしてきたわけだが、博士論文を提出したあとは、もう彼らが自分で論文を書いていくわけである。ある意味、自由である。今回、仲沙織さん、辻村尚子さん、浜田泰彦さんの論文がそれにあたる(岡部祐佳さん、金智慧さんはどっかの段階でそれなりに私が見ている)。三者三様というか、それぞれが、独自の研究方法と文体をものしつつあるという印象を受けた。
浜田さんの「書名「奇談」素描−文事領域拡大の原動力」については、私の「奇談」研究を拡げるという意図をもつもので、実は少し驚いた。近世後期の読み物によく出てくる「奇談」の書名については、私も気にはしていたが、とても網羅的に調べられるものではないとちょっと諦めていたので。
いずれにせよ、彼らは既に学会の中堅といえる経験を積んできている、だがまだ一書を成すにいたっていないので、どういう本を書いてくれるのかというのが、私の退職後の楽しみになるだろう。
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2022年04月13日

サロン!雅と俗。大坂画壇の復権

 退職はしたものの、今度は引っ越しでてんやわんやである。本をふくめて、この20年間でいろんなモノがたまりにたまっている。しかし、なにを捨てるかを撰んでいる暇もない。なにはともあれ、こういうモノに溢れた住まいには退職後は住みたくないので、かなり思い切ってすてるのだが、本だけはなかなかむずかしい。70%くらい処分するのが理想なのだが、今の調子じゃ7%くらいじゃないの?そんなことでいいのか!
と自問自答していくうちにも引っ越し予定日はせまってくる。前期は週に2回非常勤があって、そのうち1回は京都である。そこで、その日に合わせて、「サロン!雅と俗 京の大家と知られざる大坂画壇」の展示を見に、京都国立近代美術館へきのう行ってきた。この展示だけは絶対に外せない。どんなに時間がなくても。
かくして会場へ行って1点1点見ていくと、もうこれが喜び、驚き、感激の連続で・・・・。
 とはいえ、最も注目すべきなのは、近世絵画といえば「京都画壇」という「常識」をひっくりかえし、「大坂画壇」の重要性、歴史的意義を打ち出し、若冲や蘆雪なども大坂画壇抜きでは語れないという視点である。展示図録の解説でいえば、関西大学名誉教授中谷伸生の主張である。
 最近、丹羽桃溪のことを調べることがあり、そこから大坂画壇の豊かさについて思いをいたしていただけに、まさに膝を打つ指摘であった。
 蕪村も秋成も大雅も若冲も、大坂と関わりがある。そして蒹葭堂というネットワークの中心にいる人物の画業にも照明があてられた。秋成作の涼炉には、葦と蟹の意匠。最近私が話した(書きもした・・・まだ公刊されていないが)「浪花人秋成」を象徴する意匠である。蒹葭堂日記の実物も。
 とにかく素晴らしい展示。ありがとう。観覧後、同館のカフェテラスで食事していると、春の爽やかな風が散り初めた桜の香りを運んできてくれた。
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2022年04月05日

古典の中の地球儀

荒木浩さん『古典の中の地球儀』(NTT出版、2022年3月)が刊行されました。
すでに川平敏文さんが、ブログで的確な書評を書いておられます。100%同感なので、何も言うことはないのですが、かつての同僚(私の研究室のお隣の研究室だった)である荒木さんの研究の進化(あるいは深化)と拡がりに感嘆している者として、「研究者荒木浩」について思うところを述べてみたく思います。
 荒木さんの論文を拝読していると必ず驚くような自在な展開があります。その連想力、繋げる力は、もちろん該博な知識を前提としているものの、単なる豊富な知識だけのものではありません。また、松田修のような強烈な感性による華麗な展開という個人プレーでもありません。全体としては「荒木節」になってはいますが、いわゆるアクの強さというものを感じさせない、ニュートラルな展開を可能にしているのは、むしろ余人を以て代えがたい文章芸だと感じます。
 さて、『古典の中の地球儀』ですが、文字通り古今東西の様々な文献(のみならず、映画や落語や演劇も)が出てきます。しかし、そういう博学を誇るタイプの本はもちろん他にもあるのですが、荒木さんの本はいつもひと味違います。
 それは咀嚼力というべきものではないかと私は見ています。旺盛な筆力を誇る研究者は、自分の読み込んだテキストと関わらせつつ考察を展開するケースがよく見受けられますが、荒木さんにはそういう「出た!」という定番テキストがそんなにないように思います。一見恣意的な結びつけでありながら、非常に興味深い関連テキストを持ってくる。論の展開を追っているうちに、そのテキストを補助線として論じるのが「それしかない」と思わせるほど魅力を持ってしまう。しかし荒木さんでない人が同じ論じ方が出来るのかと問うと、それは真似できなさそうだと思います。なにが違うのかというと、テキストの咀嚼力ではないでしょうか。その咀嚼は荒木流ではあるけれど、咀嚼そのものの強さによって、誰にも飲み込めるものにしてしまっている。すっと入ってくるのです。
 本書にはグローバルといえる魅力的な主題がいくつかあります。そのひとつが仏伝と源氏物語の関係。すでに荒木さんには源氏物語を論じた著書もありますが、本書は、インドでの客員教授体験談から紡ぎ出される異文化理解の文脈と、斎藤美奈子のいわゆる「妊娠小説」として『源氏物語』を読むという視点から、『源氏物語』が鮮やかなほど妖しい物語として再生します。仏伝が源氏物語の典拠であるというレベルにとどまっていないのです。古典文学再生のヒントが鏤められているのです。それは本書のひとつの「意匠」であると言い方もできるでしょう。
 
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2022年04月04日

退職のごあいさつ

ご挨拶が遅くなりましたが、3月31日をもって大阪大学を退職しました。
在職中は、様々にご迷惑をおかけしましたが、皆さんのおかげで無事に退職にいたりました。どうもありがとうございます。
4月1日からは、大阪大学招へい教員として受け入れていただき、いくつかの非常勤のコマを持つことになります。研究プロジェクトや出版企画にもいくつか関わっていきます。私自身、やり残した研究課題がありますので、それにも取り組んでいきたいと思います。
近いうちに、私の研究用のウェブサイトも立ち上げる予定です。
当面、本ブログでは、紹介しようと思っていたいくつかの研究書や研究雑誌、研究報告書についてぼちぼち紹介していこうと思います。
よろしくお願い申し上げます。
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