2022年05月25日

『謡の家の軌跡』

 大谷節子編著『謡の家の軌跡 浅野太左衛門家基礎資料集成』(和泉書院、2022年3月)。いわゆる「京観世五軒家」、京都にあって観世流の素謡の師範にあたる五つの家、そのうちのひとつ浅野家伝来の資料が京都観世会に寄贈された。謡文化ネットワークの実態を伝える資料の解題目録に、浅野家歴代の事蹟について解説した大谷さんの文章などを加えた、貴重な出版である。大谷さんを代表者とする2017年度〜2020年度の共同研究と科研のプロジェクトの成果でもある。ちなみに浅野家は浅野長政を先祖とするとされる。
 さて、大谷さんの解説の中で特に八代目栄足の事蹟に目を瞠る。この人は「浅野家中興の祖というべき存在」であり、多くの研究的著作を残し、門流の拡大に力を尽くした。なかでも『能楽余録』は重要だという。「能楽」は現代では能と狂言を含む語として使用されているが、「猿楽」に代わるべき語として栄足が用い始めた可能性が高いのだという。「今よりは何にまれ物に記さんには、能楽とこそ記さめ」と栄足はいう。さらに謡曲が能に先行するという主張もあるという。
 そして、我々(上方文壇人的交流科研メンバー)にとってきわめて興味深いのは、栄足が詠歌を通して、京都歌壇の人々と交わっていたことである。ちょうど大谷さんのプロジェクトと同じ2017年度〜2020年度に私が代表者として行った共同研究(科研基盤B)の「近世中後期上方文壇における人的交流と文芸生成の〈場〉」と重なってくるのである。文壇の人的交流が、画壇ばかりでなく能や茶の湯とも大いに関わるであろうことはわかっていたが、我々の研究ではそこまでカバーしきれなかった(山本嘉孝さんが茶文化と文芸の関わりを追究されているが)。しかし大谷さんによれば、この栄足の和歌を添削していた師は賀茂季鷹ではないかというのである。浅野家資料のひとつで影印も掲載されている〔狂歌詠草〕は栄足筆。北邑氏隠居が「蟻通」を勤めた際に、季鷹がワキを演じ、狂歌を応酬した記録がある。その狂歌を大田南畝に見せたら、南畝も狂歌を詠んだようだ。奇しくも季鷹のご子孫の家に伝わる書籍のうち江戸以前のものの補遺目録を我々の科研報告書には載せている。
 さらには前波黙軒との関係も裏付けられる。『蕉雨園集』に栄足が出てくるが、栄足が持ち込んだ竹の絵に黙軒は画賛の歌を詠んでいる。それも竹の節と痛いの節をかけたものだ。いやはや、この『蕉雨園集』は七八年ほどまえだったかに大学院の演習で1年ほど読んだものだ。こうして、謡の家と蘆庵を中心とする上方文壇が重なってくるのである。こりゃなにか縁を感じるぞ。
 謡文化のネットワークと和歌のネットワーク、それをまたぐ人的交流という新たな課題が見えてきた・・・といっても、これはどなたかに是非やっていただきたいというしかないのだが。どうぞよろしく。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年05月21日

学生の同人誌に江戸時代紀行文の翻刻が

退職・転居にともなう様々な手続きと、後片付けがなかなか終わらない。とはいえ、新しい環境はなかなか新鮮で、買い物がてら近所を探訪し、美味しい物を安く売っているお店をみつけたりして喜んでいる。
そうしているうちにも、時間はどんどん過ぎてゆく。たのまれている講演もあと10日ちょっとだし、6月の学会のシンポジウムではディスカサントをつとめることになっている。ピンチヒッターで急遽頼まれたふたつ授業のうち、ひとつは大人数のため、準備もけっこう大変(リアクションペーパーにフィードバックするので)ではあるが、結構楽しくやらせてもらっているのは長年の習いか。
 さて、そういう中で、ここ数ヶ月、いただいた本についてコメントをずっとさぼっている。ブログの更新回数もめっきり減っているところ、反省している。おいつけるかどうかわからないが、少しずつ少しずつ・・・。
今日は、大阪大学の学生サークルが出している『待兼山文學』2022上半期号を紹介する。この同人誌、ありがちな文芸誌とはちがってちょっと学術色があるのが特徴で、以前私もインタビューを受けたことがある。
 今回の特集は、大阪大学の刀根山寮の寮長らへのインタビューと、マルグリッド・デュラス『破壊した、と彼女は言う』の読書会記録。そして投稿作品のなかになんと、自分の持っている写本紀行文の注釈付き翻刻(それも連載第1回)がある。この著者Sさんは、入学直後に、漢詩文の稿本(和本)について私に質問してきて驚かせてくれた人で今3回生。現在日本史専修で近世出版史や思想史をやりたいという人である。こういうものが阪大の学生の同人誌に載っていること自体、ここに書きとめておく価値のあることだろう。盛岡藩士が地元から江戸経由で甲府・伊勢・そして大阪へと旅した記録で、今回は江戸にいたるまで。非常に面白い史料で、この史料だけでも論文が書けそうだ。
 また本誌には「暖」というペンネームで「江戸文学と序文と勧善懲悪」という評論を書いている人がいるが、この人はこの人で、どうも私のよく知っている学生のようである・・・・。
 

  
posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする