2022年06月16日
人的交流データベースが日本の人名データベースと連携
私たちの「近世中後期上方文壇人的交流データベース」https://jintekikoryu.is-trm.net/top が、ベティーナ・グラムリヒ=オカ先生(上智大学)主宰の「日本の人名データベース」(JBDB)https://jbdb.jp/ja/front/と連携、「妙法院日次記」データがJBDBに追加されました。少し試してみましたが、非常に面白いですね。このJBDBが発展することを期待します。
2022年06月12日
学会記(中京大学・オンライン)
6月11日・12日、中京大学を会場校(ただし全面オンライン)として、日本近世文学会が行われた。土曜日は学会70周年記念シンポジウム「独自進化する?日本近世文学会の研究」。パネリストは5人。40年以上学会を引っ張ってこられ、今なお高い問題意識で次々と刺激的な提言を行う中嶋隆さん、ハーバード大学で理論的研究を学び、紆余曲折(本人談)の後東大駒場のロバート・キャンベルさんに文献実証学を叩き込まれた山本嘉孝さん、若手俳文学研究の期待を担う河村瑛子さん、中国出身の書物史研究者の陳捷さん、日本の古典芸能に造詣の深いイタリアの研究者ボナヴェントゥーラ・ルペルティさん。後二者は学科以外からのコメントである。
ここでは中嶋さんと山本さんの発表について述べる。
中嶋さんは、いつも通り明晰な文学史論、研究史論。暉峻康隆・野間光辰・谷脇理史という戦後の西鶴研究の流れを見事に整理し、中村幸彦の仕事を高く評価した。中嶋さんの17世紀=近代初期論については、かつてここでも取り上げたところであるが、ポイントは出版メディアである。出版研究が近世文学研究にとって重要であることは、ここ30年ほどの研究動向から明らかである。しかし、文学史というパースペクティヴの中で出版メディアを論じている人は、それほど多くはない。中嶋さんの今回の発表は、西鶴研究を具体的事例として、これまでの近世文学会の研究の流れを総括するとともに、今後への指針ともなる70周年記念に相応しい基調講演的なものであった。
山本さんは、山本さんがアメリカで学んだフランス文学研究者のスレーマン先生が、〈ホロコースト〉経験によって人間の知性や歴史への不信を抱き、そこから理論的研究にいったんは向かいながらも、結局は「実証主義者」を自称するようになっていく「物語」を枕に、「実証的研究の普遍性」を説き、その実証的研究を展開してきた日本近世文学会が、初学者のサポートとして、研究会やゼミでの伝達に閉じられている注釈のノウハウを開いていくべきだと提唱した。理論的研究を本場アメリカで学んできたからこそ、それを否定的に言及することに説得力があったわけであるが、今回のシンポの「独自進化?」というのは、これまで実証的研究の方向をまっしぐらに歩んできたかにみえる近世文学会のありかたの是非とは?という意味を持たせていたので、山本さんの、理論的研究を否定し、実証的研究こそ普遍というテーゼは、交流会をふくめて質問や議論をまきおこした。
理論と実証を二項対立的に把握していいのか? それは車の両輪では?そう思った人は多いはずである。しかし、山本さんのやや挑発的な理論的研究批判は、やはり本シンポジウムの最大のヤマ場だったであろう。
大高洋司さんが閉会の挨拶でも述べ、ご本人も触れていたように、40年ほど前、30歳くらいだった中嶋隆さんが、好色一代男のはなしの方法という発表(タイトルはうろおぼえ)をされた。これは日本近世文学会ではきわめて珍しい「理論的発表」だった。20代だった私も驚いた。中嶋さんは、この時を回顧して、中村幸彦先生から、「君のは美学だ」と言われたというエピソードを披露していた。しかし、大高さんはこの時の発表に大きな影響を受けたと言っていた。それはおそらく、読本研究で一時期おおいに話題をさらった「読本的枠組」という「理論」だった。いや、これはたぶん「理論」ではないだろうが、演繹的方法が多分に用いられたものだっと思う。そしてこの「読本的枠組」をめぐる、追随的、対抗的読解が出ることで、読本研究は盛んになったという側面があると思う。
ただ、山本さんのいう「理論的研究」を多くの人はやや誤解していたのではないか。いわゆるパースペクティブや、テクストだけで読むという方法なども理論だと認識して反発していたかもしれない。とはいえ、それも含めて、大きな反響を呼んだ山本さんの発表は、これまた記念シンポに相応しいものであった。
2日目は、多様な6本の発表があったが、ここでは中森康之さんの奥の細道の冒頭文についての発表について触れよう。
まさに前日のシンポで問題になった「理論的研究」といえる発表であった。井筒俊彦の考えを応用した部分がある。しかし非実証的研究ではなかった。芭蕉が引用する「荘子」。『荘子けん斎口義』の和刻本を見せながら、従来の解釈に欠けていた「文脈」を考慮することの提言。さらに『笈の小文』冒頭文と対応させての読み。さまざまな切り口、理論、比較などをとりいれた、美しい読みである。結論よりもその論証過程に美しさが宿る。質問した川平敏文さんが「中森ワールド」と称したが、まさに。
私は初日のシンポジウムのディスカサントで、やや挑発的に、学会の外に向けて、どう研究をアピールするのかという問いを投げたが、これは自分の役割を少し意識したものだった。「発信」というキーワードを、コーディネーターから与えられていたからだ。その回答として、中嶋さんが個々の研究者が現代との接点を問題意識として持つ以外にないと言われたことに、胸を打たれた。
最後にコロナ禍のつづくなか、難しい運営を見事に乗り越えられた柳沢昌紀さんはじめとする事務局、実行組織のみなさん、シンポの企画を立てられ、猛獣使いよろしく司会をこなされた藤原英城さん、そしてすべての登壇者のみなさんに感謝する。
ここでは中嶋さんと山本さんの発表について述べる。
中嶋さんは、いつも通り明晰な文学史論、研究史論。暉峻康隆・野間光辰・谷脇理史という戦後の西鶴研究の流れを見事に整理し、中村幸彦の仕事を高く評価した。中嶋さんの17世紀=近代初期論については、かつてここでも取り上げたところであるが、ポイントは出版メディアである。出版研究が近世文学研究にとって重要であることは、ここ30年ほどの研究動向から明らかである。しかし、文学史というパースペクティヴの中で出版メディアを論じている人は、それほど多くはない。中嶋さんの今回の発表は、西鶴研究を具体的事例として、これまでの近世文学会の研究の流れを総括するとともに、今後への指針ともなる70周年記念に相応しい基調講演的なものであった。
山本さんは、山本さんがアメリカで学んだフランス文学研究者のスレーマン先生が、〈ホロコースト〉経験によって人間の知性や歴史への不信を抱き、そこから理論的研究にいったんは向かいながらも、結局は「実証主義者」を自称するようになっていく「物語」を枕に、「実証的研究の普遍性」を説き、その実証的研究を展開してきた日本近世文学会が、初学者のサポートとして、研究会やゼミでの伝達に閉じられている注釈のノウハウを開いていくべきだと提唱した。理論的研究を本場アメリカで学んできたからこそ、それを否定的に言及することに説得力があったわけであるが、今回のシンポの「独自進化?」というのは、これまで実証的研究の方向をまっしぐらに歩んできたかにみえる近世文学会のありかたの是非とは?という意味を持たせていたので、山本さんの、理論的研究を否定し、実証的研究こそ普遍というテーゼは、交流会をふくめて質問や議論をまきおこした。
理論と実証を二項対立的に把握していいのか? それは車の両輪では?そう思った人は多いはずである。しかし、山本さんのやや挑発的な理論的研究批判は、やはり本シンポジウムの最大のヤマ場だったであろう。
大高洋司さんが閉会の挨拶でも述べ、ご本人も触れていたように、40年ほど前、30歳くらいだった中嶋隆さんが、好色一代男のはなしの方法という発表(タイトルはうろおぼえ)をされた。これは日本近世文学会ではきわめて珍しい「理論的発表」だった。20代だった私も驚いた。中嶋さんは、この時を回顧して、中村幸彦先生から、「君のは美学だ」と言われたというエピソードを披露していた。しかし、大高さんはこの時の発表に大きな影響を受けたと言っていた。それはおそらく、読本研究で一時期おおいに話題をさらった「読本的枠組」という「理論」だった。いや、これはたぶん「理論」ではないだろうが、演繹的方法が多分に用いられたものだっと思う。そしてこの「読本的枠組」をめぐる、追随的、対抗的読解が出ることで、読本研究は盛んになったという側面があると思う。
ただ、山本さんのいう「理論的研究」を多くの人はやや誤解していたのではないか。いわゆるパースペクティブや、テクストだけで読むという方法なども理論だと認識して反発していたかもしれない。とはいえ、それも含めて、大きな反響を呼んだ山本さんの発表は、これまた記念シンポに相応しいものであった。
2日目は、多様な6本の発表があったが、ここでは中森康之さんの奥の細道の冒頭文についての発表について触れよう。
まさに前日のシンポで問題になった「理論的研究」といえる発表であった。井筒俊彦の考えを応用した部分がある。しかし非実証的研究ではなかった。芭蕉が引用する「荘子」。『荘子けん斎口義』の和刻本を見せながら、従来の解釈に欠けていた「文脈」を考慮することの提言。さらに『笈の小文』冒頭文と対応させての読み。さまざまな切り口、理論、比較などをとりいれた、美しい読みである。結論よりもその論証過程に美しさが宿る。質問した川平敏文さんが「中森ワールド」と称したが、まさに。
私は初日のシンポジウムのディスカサントで、やや挑発的に、学会の外に向けて、どう研究をアピールするのかという問いを投げたが、これは自分の役割を少し意識したものだった。「発信」というキーワードを、コーディネーターから与えられていたからだ。その回答として、中嶋さんが個々の研究者が現代との接点を問題意識として持つ以外にないと言われたことに、胸を打たれた。
最後にコロナ禍のつづくなか、難しい運営を見事に乗り越えられた柳沢昌紀さんはじめとする事務局、実行組織のみなさん、シンポの企画を立てられ、猛獣使いよろしく司会をこなされた藤原英城さん、そしてすべての登壇者のみなさんに感謝する。
2022年06月02日
人とつながる文学
あっというまに新年度も2か月過ぎました。退職の後始末はほぼ終了。引っ越しの片付けがまだ終わらないものの、ありがたいことに、いろいろなお仕事がはいってきております。きのうも新たなプロジェクトについて某先生と電話対談・・・・それでも、大学の業務がないのは本当に精神的に楽ですね。
さて2日は、東京日帰り。ぜミ生ではないけど教え子のTさんに呼ばれて、S女子大で日本文学の「特殊研究講座」いう学科クローズドの講演会で、秋成をしゃべりました。タイトルは「知られざる秋成の魅力―人とつながる文学」。ハイブリッド。会場は数百人入るホールですが、感染対策のため対面は1、2年生中心で200名ほど。3,4年は原則オンラインでというスタイル。しゃべった内容は例によって秋成晩年の「特定の読者を想定した文芸。亡き妻や、小沢蘆庵、神医谷川氏に贈った歌文について。
講演前に、この大学図書館に所蔵される文化五年本(桜山本)『春雨物語』を見せていただきまいた。前日に思いついてお願いしたにもかかわらず、ご快諾いただきありがたかった。そのためかテンションがあがり、饒舌になっちゃって時間配分に失敗。ただ、居眠りする人もおらず、概ね好反応(だと私が思えるということですが)でほっとしました。
古典に興味をもつ学生が結構いるということで、持参した秋成短冊にくらいつく学生が少なからずいたのには感激しました。
秋成に限らず、前近代のとくに自筆テキストは、誰かのため(神のため、死者のため)に、誰かを想定して書かれたものが多い。誰を想定していたのか、ということを追究するのが必須、ではないでしょうか。
さて2日は、東京日帰り。ぜミ生ではないけど教え子のTさんに呼ばれて、S女子大で日本文学の「特殊研究講座」いう学科クローズドの講演会で、秋成をしゃべりました。タイトルは「知られざる秋成の魅力―人とつながる文学」。ハイブリッド。会場は数百人入るホールですが、感染対策のため対面は1、2年生中心で200名ほど。3,4年は原則オンラインでというスタイル。しゃべった内容は例によって秋成晩年の「特定の読者を想定した文芸。亡き妻や、小沢蘆庵、神医谷川氏に贈った歌文について。
講演前に、この大学図書館に所蔵される文化五年本(桜山本)『春雨物語』を見せていただきまいた。前日に思いついてお願いしたにもかかわらず、ご快諾いただきありがたかった。そのためかテンションがあがり、饒舌になっちゃって時間配分に失敗。ただ、居眠りする人もおらず、概ね好反応(だと私が思えるということですが)でほっとしました。
古典に興味をもつ学生が結構いるということで、持参した秋成短冊にくらいつく学生が少なからずいたのには感激しました。
秋成に限らず、前近代のとくに自筆テキストは、誰かのため(神のため、死者のため)に、誰かを想定して書かれたものが多い。誰を想定していたのか、ということを追究するのが必須、ではないでしょうか。