2022年08月05日

茶と日本人

 佃一輝『茶と日本人 二つの茶文化とこの国のかたち』(世界文化社、2022年3月)。
 どうも「茶文化の歴史」を学ぶことが苦手だった。秋成が茶人でもあったので、茶に関するいろいろな本を少しは読んだが、なにかピンと来ない。自分が茶を嗜んでいないからかもしれない。
しかし、この本はほんとうに腑に落ちた。たぶん、これまでこういう切り口で茶文化を論じた人はいなかったのではないか。それほどユニークな茶文化論である。
 副題の「二つの茶文化」とは、「わび茶」(=「茶道」)と「文人茶」である。ほとんどの茶文化の本は、利休を中心とした前者中心で論じられ、後者は添え物的に記されていたのではなかっただろうか。しかし著者は、「わび茶」を国ぶり、「文人茶」を異国ぶりと見立て、その違いを見事に説明している。特に茶会の場に即した違いの説明を行う第三章は、著者が茶人であることを活かして緻密に論じられている。いわく、露地と園林、懐石と醼席、聖性とその喪失、序破急と起承転結、型物と自娯など。その二つの文化のせめぎあいが茶の歴史を作ってきたのである。
そもそも茶を「ぶり」の文化と規定したところが非凡である。そして文学的表現として捉えるところもである。さらにふたつの茶文化の〈場〉のありよう、その意味を「道」と「情」で表す。「利休にかえれ」という江戸時代前期の茶道のスローガンを支えたのは徂徠学だという卓説に唸る。そして朱子学・徂徠学・陽明学と茶文化の関係が鮮やかに浮き彫りにされる。
春に京都近代美術館で大坂画壇の展覧会があり、私も観に行ったが、そこで本書の著者をホストとして、中谷伸生先生など四人の美術史家が、著者のご子息がいれた茶を飲みつつ、大坂の美術品を自在に論じるというビデオが上映されていた。この自由なあり方こそが「文人茶」の流儀だったのである。そしてまたこの本自体が「文人茶」の精神を体現しているのだ。
著者は「文人茶」の伝承と再生を図り、「文会」としての茶事を提唱している方である。その論じ方はどこか哲学的でありながら、モダンで、軽やか。ここにも本書の特徴があると思う。快著である。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする