鈴木淳さんの『エドモン・ド・ゴンクール著『北斎』覚書』(ひつじ書房、2022年8月)が上梓された。大変瀟洒な横書きの研究書、表紙のゴンクールの写真がなんだか鈴木さんに重なってくる。
鈴木淳さんには『江戸和学論考』『橘千蔭の研究』『江戸のみやび』など、多数の著書がある。「和様文人」というタームを作った方であり、国学・和学というより、とくに江戸における和風の文人のいとなみを探究されてきた。その延長で絵画への関心も深く、多くの業績がある。海外に渡った江戸の絵本、とりわけ北斎のそれを求めて、欧米への訪書を重ねてこられた。そのなかで、ゴンクールの『北斎』への思いは特別だったようである。鈴木さんは最近大病をされたが、奇跡的に研究に復帰した。2018年に我々の科研で出した『文化史のなかの光格天皇』にご寄稿をお願いしていたものの、病状のことを仄聞し諦めていたところ、きっちり原稿を出してこられたので驚いた。ただ、鈴木さんの場合、「研究への執念」というのとはちょっと違うかも知れない。「あくなき好奇心」が、鈴木さんを研究の世界に生還させたのではないか。
本書の「まえがき」を読むと、それが伝わってくる。まずゴンクール『北斎』を自力で翻訳されたこと。語学がお好きなことも存じあげてはいたが、そこまでやる!?と唸った。しかもそれは結果的に出版されずに終わるが、翻訳を手元におけば研究上、検索に便利だったという。ご病気が発症する直前の訪書のことが詳しく書かれているが、海外での単独調査をすこしだけ経験したことがあるので、不安の中での閲覧の日々、胸が痛むくらいに伝わって来た。
不如意の執筆環境の中で、最大限の学問的な手続きがきちんととられ、ようやくご上梓にこぎつけた感激はいかばかりだろうか。
私も少しだけ在仏の北斎に触れたことがある。柏木加代子先生の科研の連携研究者となり、柏木隆雄先生・加代子先生とともにニースのシェレ美術館に所蔵される『北斎漫画』の調査に、同行した。同館所蔵の書き入れを読むのがミッションだった。ニースのあとはパリに渡り、柏木先生ご夫妻の伝手もあって、VIP待遇の美術館巡りのすばらしい旅を経験させていただいた。加代子先生(私も連名)の報告書(京都市立芸術大学美術学部研究紀要58、2012年)には、フェリックス・ブラックモンと親しかったヴィタ男爵がコレクションをシェレ美術館に寄贈したと解説されている。鈴木さんの本には、フェリックス・ブラックモンも出てくるので、辛うじて縁があることよと、私は勝手に喜んだのである。
本書を評する資格は私にはないが、近世文学研究者の目から見た、しかもゴンクールに寄り添った、ゴンクールの北斎研究が見事に描き出されているのではないだろうか。
鈴木淳さんは、博士論文を中野三敏先生に提出されたし、蘆庵文庫の研究でも長い間ご一緒し、研究上では兄のような存在である(兄貴的存在は何人か他にもいることはいるのだが)。北海道の学会の時には、その蘆庵文庫研究関係で同宿した際、囲碁の手合わせをしたこともある。どちらが勝ったかは忘れたが、同じくらいの棋力だったような。それももう10年以上前の話である。とりあえず、私のことを、無知な研究者だと呆れながらも、暖かい眼差しで見守ってきてくれた(と思いたい)。
私は修士課程2年の秋に、始めて近世文学会に参加したが、その時に鈴木さんは秋成の『春雨物語』「目ひとつの神」について発表されていたと思う。いつごろから言葉を交わすようになったか憶えていない。九大の助手時代だろうか。昭和60年で私が実務をやった九大での近世学会の時に、展示のことでチクリと一言刺されたことが記憶にある。次第に口をきいてもらえるようになったが、一流の皮肉な言い回しの中に親しみをこめる独特な会話術をお持ちであった。私の科研研究会でもご講演いただいたことがある。
私的な思い出の方が多くなってしまった。あらためて本書のご上梓を心から祝福したい。