『近世文藝』117号(2023年1月)が手元に届いた。昨年春の学会での70周年記念シンポジウム「独自進化する?日本近世文学会の研究ー回顧と展望ー」の報告と傍聴記が掲載されている。このシンポ、私もディスカッサントとして参加した。同じディスカッサントであった廣瀬千紗子さんと、最初のパネリストである中嶋隆さんとあわせて65歳を超える三人が、藤原英城さんいわく「爆弾三勇士」よろしく暴れていた印象があるが、この報告と傍聴記で、日本近世文学会における実証主義の堅持、理論的研究の是非、学会というムラの外へのアピールといういくつかの論点が焦点化されている。
パネルがどのように受け止められたかが気になっていたので、「傍聴記」の掲載はありがたい。執筆者は「爆弾三勇士」と同じくロートル組の篠原進さんと、超若手の岡部祐佳さんである。傍聴記もパネルと同じで、ここでもベテランが暴れ、若手はオーソドックスで堅調な書きぶりである。
篠原さんが、いつもの「劇画チック」な、あるいは語弊を恐れずに言えば「プロレス中継的」=古舘伊知郎的文体で、傍聴記を書き上げている。ちょっと暴れすぎの観なきにしもあらずというくらい。篠原さんによれば、私飯倉が、一瞬の空白の後に「剛球」を投じたとあるが、おっしゃる通り、ちょっと煽ってしまったのは事実である。もちろん篠原さんの傍聴記は、篠原さんの思いを交えつつ書かれているので、「いやそこまでは私も考えてはいませんが」というところはあるのだが、「学際化・国際化・社会性を謳うなら、外に向けた思いを言って!」という趣旨であったことは間違いない。
ここからは、私の呟きだが。外の状況、古典や古典研究に「敵対的」とさえ思える発言が公然と出てきている今の状況は、「無視されているよりマシ」だという思いが実はある。「こてほん」がそれを引き出してしまったという批判もあるが、「敵対的」であるということは、関心があるということであり、この「敵対的」な層と議論することが、無関心層の関心を引く努力をするよりも効果的なのである(オセロゲームのように敵対者は支持勢力に回ったら強力な味方である)。「敵対的」な発言をする層は、古典の価値が自明であるという主張が通じないことを教えてくれた。ではどうするか。ここにこそ、理論が必要であろう。たぶん実証的データだけで、古典を学ぶことは必要かつ有価値だと証明するのは難しい。理論と実証の問題は、実はここにリンクするのである。
学会を守ることが、古典研究を守ることとは限らない。さまざまなレベルでの、またさまざまなコミュニティとの議論を企図し、考えぬくこと。それを発信すること。ロートルには限界がある。50代以下、とくに40代・30代の方に、議論の機会をつくることと、外への発信を心からお願いする。
2023年01月31日
2023年01月25日
国際研究集会「〈紀行〉研究の新展開」のお知らせ
国際研究集会「〈紀行〉研究の新展開」を開催します。オンラインです。
一つ前の投稿でお知らせしましたように、『大才子小津久足』(中央公論新社)を刊行されたばかりの菱岡憲司さんを、基調講演にお迎えし、他3名の方の発表とともに、さまざまな角度から、〈紀行〉研究の可能性に迫ります。ポーランドからは、アダム・ベドゥナルチクさんをお迎えしました。
興味のある方、是非参加登録をお願いします。
国際研究集会 〈紀行〉研究の新展開
日時 2023年2月22日(水) 15::00-18:40 (日本時間)
開催方法 Zoomによるオンライン
主催 科研基盤研究B「デジタル文学地図の構築と日本古典文学研究・古典教育への展開」(研究代表者 飯倉洋一)
使用言語 日本語
プログラム
基調講演 (15:10-16:10)
小津久足の生業(なりわい)と紀行文
菱岡憲司 (山口県立大学)
【講演要旨】
小津久足は干鰯(ほしか)問屋の主人であり、本宅のある松坂と江戸店の往復や、商用で京・大坂を訪れるついでに名所旧跡に足を伸ばし、多くの紀行文を残している。つまり、もともとは商用を目的としながらも、紀行文では風流の旅として描いている。事実を重んじる久足は、積極的に虚構を描かないが、何を書くか、どう書くか、において創作的営為をおこなう。その具体的な様相を、久足の選ぶ名所旧跡の基準とともに紹介したい。
研究発表(16:20-18:00)
飛鳥井雅有の紀行と蹴鞠―『春の深山路』における東宮への思いをめぐって―
湯書華(大阪大学大学院博士後期課程)
【発表要旨】
飛鳥井雅有(一二四一〜一三○一)は彼の日記・紀行文『春の深山路』(弘安三年、一二八○)で、東宮(後の伏見天皇)への思いや、東宮の即位への強い関心を表している。本発表では『春の深山路』に見える雅有・東宮の親しい関係の形成について、その理由を蹴鞠の側面から考えてみたい。また、雅有が『春の深山路』においてどのような方法で東宮への思いを表現するのかを、同時代や、雅有自身のほかの紀行文と比較しながら検討したい。
文体の要素の一つとして散文化―『海道記』を例に―
アダム・ベドゥナルチク(Adam Bednarczyk) (ニコラウス コペルニクス大学)
【発表要旨】
『海道記』は和漢混交文体の重要な例である。この紀行は、漢文から借用された豊富な語彙だけでなく、漢文学への言及にも基づく高度な漢化を特徴としている。しかし、簡単な暗喩や引用の代わりに、『海道記』の作者は漢詩文の一部を散文化したことが多い。作者は、詩の形式を捨て、散文に変えることで、日本的でありながらその要素が漢文的な原型を持つ現実の姿を描き出した。発表の目的は、『海道記』に『和漢朗詠集』等から借用された詩句がどのような変容を遂げたか、そして何よりも、和漢混交文体の構成の一方法として散文化が果たした役割について論じることである。
歌枕を継ぐ―『継尾集』の位置―
辻村尚子(大手前大学)
【発表要旨】
『継尾集』(元禄五年)は、「奥の細道」の芭蕉を迎えた酒田の不玉が編んだ集である。芭蕉「象潟の雨や西施が合歓花」句を筆頭に、諸家の象潟吟を収録する。なかには、芭蕉の跡を追った支考の「象潟の紀行」もあり、いわゆる「後の細道」の最初期の集としても注目される。
象潟は能因・西行ゆかりの歌枕である。奥の細道以後、そこに、芭蕉が名を連ねることになった。歌枕への俳諧の接続はどのようになされたのか。『継尾集』の例を考察する。
総合討論 〈紀行〉研究の可能性 18:10-18:40
菱岡憲司、ユディット・アロカイ(ハイデルベルク大学)、辻村尚子、中尾薫(大阪大学)
司会 飯倉洋一(大阪大学)
参加登録はこちらからお願いします。
一つ前の投稿でお知らせしましたように、『大才子小津久足』(中央公論新社)を刊行されたばかりの菱岡憲司さんを、基調講演にお迎えし、他3名の方の発表とともに、さまざまな角度から、〈紀行〉研究の可能性に迫ります。ポーランドからは、アダム・ベドゥナルチクさんをお迎えしました。
興味のある方、是非参加登録をお願いします。
国際研究集会 〈紀行〉研究の新展開
日時 2023年2月22日(水) 15::00-18:40 (日本時間)
開催方法 Zoomによるオンライン
主催 科研基盤研究B「デジタル文学地図の構築と日本古典文学研究・古典教育への展開」(研究代表者 飯倉洋一)
使用言語 日本語
プログラム
基調講演 (15:10-16:10)
小津久足の生業(なりわい)と紀行文
菱岡憲司 (山口県立大学)
【講演要旨】
小津久足は干鰯(ほしか)問屋の主人であり、本宅のある松坂と江戸店の往復や、商用で京・大坂を訪れるついでに名所旧跡に足を伸ばし、多くの紀行文を残している。つまり、もともとは商用を目的としながらも、紀行文では風流の旅として描いている。事実を重んじる久足は、積極的に虚構を描かないが、何を書くか、どう書くか、において創作的営為をおこなう。その具体的な様相を、久足の選ぶ名所旧跡の基準とともに紹介したい。
研究発表(16:20-18:00)
飛鳥井雅有の紀行と蹴鞠―『春の深山路』における東宮への思いをめぐって―
湯書華(大阪大学大学院博士後期課程)
【発表要旨】
飛鳥井雅有(一二四一〜一三○一)は彼の日記・紀行文『春の深山路』(弘安三年、一二八○)で、東宮(後の伏見天皇)への思いや、東宮の即位への強い関心を表している。本発表では『春の深山路』に見える雅有・東宮の親しい関係の形成について、その理由を蹴鞠の側面から考えてみたい。また、雅有が『春の深山路』においてどのような方法で東宮への思いを表現するのかを、同時代や、雅有自身のほかの紀行文と比較しながら検討したい。
文体の要素の一つとして散文化―『海道記』を例に―
アダム・ベドゥナルチク(Adam Bednarczyk) (ニコラウス コペルニクス大学)
【発表要旨】
『海道記』は和漢混交文体の重要な例である。この紀行は、漢文から借用された豊富な語彙だけでなく、漢文学への言及にも基づく高度な漢化を特徴としている。しかし、簡単な暗喩や引用の代わりに、『海道記』の作者は漢詩文の一部を散文化したことが多い。作者は、詩の形式を捨て、散文に変えることで、日本的でありながらその要素が漢文的な原型を持つ現実の姿を描き出した。発表の目的は、『海道記』に『和漢朗詠集』等から借用された詩句がどのような変容を遂げたか、そして何よりも、和漢混交文体の構成の一方法として散文化が果たした役割について論じることである。
歌枕を継ぐ―『継尾集』の位置―
辻村尚子(大手前大学)
【発表要旨】
『継尾集』(元禄五年)は、「奥の細道」の芭蕉を迎えた酒田の不玉が編んだ集である。芭蕉「象潟の雨や西施が合歓花」句を筆頭に、諸家の象潟吟を収録する。なかには、芭蕉の跡を追った支考の「象潟の紀行」もあり、いわゆる「後の細道」の最初期の集としても注目される。
象潟は能因・西行ゆかりの歌枕である。奥の細道以後、そこに、芭蕉が名を連ねることになった。歌枕への俳諧の接続はどのようになされたのか。『継尾集』の例を考察する。
総合討論 〈紀行〉研究の可能性 18:10-18:40
菱岡憲司、ユディット・アロカイ(ハイデルベルク大学)、辻村尚子、中尾薫(大阪大学)
司会 飯倉洋一(大阪大学)
参加登録はこちらからお願いします。
2023年01月24日
大才子小津久足
菱岡憲司『大才子小津久足』(中央公論新社、2023年1月)。
馬琴から「大才子」と称された、伊勢松坂の干鰯問屋(ほかに兼業いくつか・・・)小津久足をクローズアップ。小津を通して、これまであいまいだった「江戸時代」の一面、文化文芸に商人の果たした役割や意味を浮かび上がらせた快作である。読んで面白いのは文章力の確かさ。雑学庵を称した小津と同じく、並外れた読書力・咀嚼力で得た知見と、文学的なセンスがそれを可能にしている。
本書第一章を読みつつ、次々に繰り出される専門書の引用に唖然としながら、それらが菱岡氏が一時期ツイッターで紹介し続けていた経済史・流通史・産業史の本であることを思い出す。確かに久足は商人だから、そこはきちんと押さえなければならない。しかし、その徹底ぶりが半端ない。それらに掲載されている一次史料を読み込んだ上での、商人としての小津(湯浅屋与右衛門)を描き出す。
たとえば上田秋成は、紙油商の上田家に養子に入り、養父亡き後の10年ほどは、主人として過ごしたはずだが、秋成研究者でこれまで、近世中期の紙油商について、その経営のあり方、仕入れや販売ルートや商人間の取引の実態について調べようとした人がいただろうか?しかし、秋成の人生の前半生は紙油商の若旦那であり、店主だったのだ。そういうこれまでの文学研究・作家研究に対して本書は批判の言辞は一切ない。ただただ静かに模範を示すところが逆に刺さる。
こういった、博引旁証から、いくつもの至言を我々は与えられる。第一章では、「江戸時代の商いの実情は、本業もさることながら、兼業に着目しなければ見えてこない」というのがそのひとつ。鰯のように獲れ高に左右される本業の不安定さを補う兼業が、商家の継続の鍵を握るのだ。「兼ねる」ということ。それは人格的にも言える。言うのは簡単であるが、それを等価に調べていくことはそう簡単ではない。また秋成になるが、晩年の秋成は茶人としても際立っていたが、茶人秋成は、文芸作品との関わりにおいて以外は、文学研究者は自分ではあまり調べようとせず、茶道研究者に任せている(あ、これは私だけかも、失礼しました)。もっとも、自ら茶の稽古をしている研究者の方もいらっしゃる(尊敬してます)ので、一般化してはいけないところ。
また江戸時代は「家」の概念が非常に重要だが、菱岡さんは小津家代々について、実に丁寧に叙述してゆく。その上で紹介されるからこそ、家訓書『非なるべし』の家訓に深く感銘を受ける。驚きますよ。「恥をかき、義理をかき、事をかく三角の法は、商いのためには四書六経にもまされるをしへ、陰徳などは必ず心がくべからず。人のためよき事も心がくべからず。まして世のため国家のためなどいふは無用にて、商の道にあらず。商はただわが家繁昌、得意繁昌を思ふの外、無用也。」。いきなり、これを読めば、「やっぱりあきんどやな」と思うだけかもしれないが、菱岡さんの描く干鰯を生業とする与右衛門の透徹した処世観を読んでくれば、この家訓にはむしろ感動する。あくまで「家訓」であり、個人の生き方を示しているのではないのだ。
本書の中で、この第一章の意味は非常に重い。文学研究者は第2章から読みたいかもしれないが、第一章こそが必読なのだ。
第二章では国学・和歌・紀行文という文芸活動を行なった久足。ここでは「雅俗」についての説明があるが、現在いちばんわかりやすい「雅俗」の説明だろう。これは「今古和漢雅俗もみな一致」を唱える久足の文芸観の解説につながっていく。雅俗をきちんと論じるためには、堂上歌壇を無視できない。菱岡さんはそこもきちんと押さえて叙述し、宣長学からの離反という経緯を時代状況の中できちんと描く。
そして第三章。本好きにはたまらない、久足の蔵書「西荘文庫」の形成と、蔵書交流ともいえるネットワークの詳細な解明である。リアルな有様がわかる書簡や文書の的確な引用と、新事実の指摘もさることながら、きわめて重要な指摘をしている。それは江戸出版流通の整備と蔵書形成が深く関わっていること。とくに江戸時代後期になって富裕町人が大蔵書家になるための環境として、それが無視できないことを、わかりやすく説得力ある説明で教えてくれる。これも、出版流通に関わる先行研究の読み込みと、一次史料をきちんと抑える菱岡さんの学問的態度のなせる業である。また蔵書家同士の交流も、膨大な書簡の読み込みから明るみに出していて、ここらあたりは、本好きにはたまらないはずである。この章で重要なのは、えてしてありがちな、江戸・京都・大坂の三都文化圏だけで、江戸の経済や文化を論じようとするあり方への警鐘、そして、発信者(作者・著者)と受信者(読者)だけでなく、中継者という視点が必要で、その三者を総合したところに書籍文化論が成り立つだろうという提言。なるほどと頷かざるをえない。反省せざるを得ない。またまた秋成の話で申し訳ないが、秋成晩年の傑作『春雨物語』が、伊勢商人の間で重宝されている様子が、本書でも生き生きと描かれているが、宣長を生んだ伊勢で、その論敵秋成の作品が、ここまで人気があるという現象を知らないと、その意味はなかなかわからないだろう。秋成の本を写したり貸借する伊勢商人たちの嗜好はいかなるものなのか。これまでの秋成研究に欠けていた視点である(近年、少しずつ注目されはじめているが、これも菱岡さんや、青山英正さんたちの川喜田家蔵書調査の成果によるものである)。川喜田(遠里)は久足の蔵書仲間である。
ところで久足は馬琴から「神速」と呼ばれるほど、本を読むのが早かったらしい。それについて菱岡さんは触れているが、菱岡さんや、菱岡さんが敬愛する松坂出身の柏木隆雄先生(大阪大学名誉教授。本書のあとがきに出てくる。本ブログでも時々とりあげさせていただいている)速読術も尋常ではない。まあ、読書量がだんだんと速度を上げていくのでしょうね。
第三章では、秋成・馬琴・応挙などの本を、久足がどうやって集めていくか、そのさまざまなノウハウについても紹介されているとともに、なぜ久足が、それらを集めたのかという理由についても考察されている。ここも読みどころである。
第四章は宣長学の、前のめりで、一つに収束するような思想に嫌気をさしてそこから離れ、バランスのよい「雑学」を身にまとった「雑学庵」としての久足を描く。古今和漢雅俗一致の思想は、価値の相対化と、「畸人」志向から帰結する。ここにも商人の生業が関わってくる。
久足の膨大な量の紀行文は、そこから見える江戸時代のドキュメンタリーとして貴重である。その一端を示したのが第五章。興味がつきない記述がたくさん出てくる。
さて、いくつもの顔をもつ久足。どれが本当の久足なのか、と、凡庸な問いを発したくなるのだが、菱岡さんは終章で、これまでの内容を見事にまとめた上で、さらに面白い実態、そしてなるほどという見解を披露する。「壱人両名」ということが黙認されていた社会、最後に正体が明かされる近世演劇の「実は」の作劇法は、観客に「名称使い分け」の日常生活があったからすんなり受容できたのではという仮説。そして最後に、久足が蔵書や旅行にお金を使うことが、実は商売を守ることにつながるという一見逆説的なポリシーを紹介する。もうけたお金を元に商売をさらに拡大することのリスク(これで潰れた現代の商売のなんと多いことか)を熟知するゆえに、財産は守るが拡張しない、それが家の継続のために重要な考え方だと。
久足の考え方には今の我々が学ぶべきところが非常に多い。さりげない教訓書だったのか?いやそんなことを菱岡さんは考えてはいない。ただこの本は、読み始めたらやめられないくらいに面白く、わかりやすい。それでいいのだが、あまりにも学ぶところが、多いのだ。研究者には特に。
最後に、拙論たくさん引いてくださってありがとうございます。嬉しかったです(笑)
さて、その菱岡さんを基調講演者としてお招きし、国際研究集会「〈紀行〉研究の新展開」を、オンラインで開催する。2月22日15:00から。改めてまたアナウンスします!
馬琴から「大才子」と称された、伊勢松坂の干鰯問屋(ほかに兼業いくつか・・・)小津久足をクローズアップ。小津を通して、これまであいまいだった「江戸時代」の一面、文化文芸に商人の果たした役割や意味を浮かび上がらせた快作である。読んで面白いのは文章力の確かさ。雑学庵を称した小津と同じく、並外れた読書力・咀嚼力で得た知見と、文学的なセンスがそれを可能にしている。
本書第一章を読みつつ、次々に繰り出される専門書の引用に唖然としながら、それらが菱岡氏が一時期ツイッターで紹介し続けていた経済史・流通史・産業史の本であることを思い出す。確かに久足は商人だから、そこはきちんと押さえなければならない。しかし、その徹底ぶりが半端ない。それらに掲載されている一次史料を読み込んだ上での、商人としての小津(湯浅屋与右衛門)を描き出す。
たとえば上田秋成は、紙油商の上田家に養子に入り、養父亡き後の10年ほどは、主人として過ごしたはずだが、秋成研究者でこれまで、近世中期の紙油商について、その経営のあり方、仕入れや販売ルートや商人間の取引の実態について調べようとした人がいただろうか?しかし、秋成の人生の前半生は紙油商の若旦那であり、店主だったのだ。そういうこれまでの文学研究・作家研究に対して本書は批判の言辞は一切ない。ただただ静かに模範を示すところが逆に刺さる。
こういった、博引旁証から、いくつもの至言を我々は与えられる。第一章では、「江戸時代の商いの実情は、本業もさることながら、兼業に着目しなければ見えてこない」というのがそのひとつ。鰯のように獲れ高に左右される本業の不安定さを補う兼業が、商家の継続の鍵を握るのだ。「兼ねる」ということ。それは人格的にも言える。言うのは簡単であるが、それを等価に調べていくことはそう簡単ではない。また秋成になるが、晩年の秋成は茶人としても際立っていたが、茶人秋成は、文芸作品との関わりにおいて以外は、文学研究者は自分ではあまり調べようとせず、茶道研究者に任せている(あ、これは私だけかも、失礼しました)。もっとも、自ら茶の稽古をしている研究者の方もいらっしゃる(尊敬してます)ので、一般化してはいけないところ。
また江戸時代は「家」の概念が非常に重要だが、菱岡さんは小津家代々について、実に丁寧に叙述してゆく。その上で紹介されるからこそ、家訓書『非なるべし』の家訓に深く感銘を受ける。驚きますよ。「恥をかき、義理をかき、事をかく三角の法は、商いのためには四書六経にもまされるをしへ、陰徳などは必ず心がくべからず。人のためよき事も心がくべからず。まして世のため国家のためなどいふは無用にて、商の道にあらず。商はただわが家繁昌、得意繁昌を思ふの外、無用也。」。いきなり、これを読めば、「やっぱりあきんどやな」と思うだけかもしれないが、菱岡さんの描く干鰯を生業とする与右衛門の透徹した処世観を読んでくれば、この家訓にはむしろ感動する。あくまで「家訓」であり、個人の生き方を示しているのではないのだ。
本書の中で、この第一章の意味は非常に重い。文学研究者は第2章から読みたいかもしれないが、第一章こそが必読なのだ。
第二章では国学・和歌・紀行文という文芸活動を行なった久足。ここでは「雅俗」についての説明があるが、現在いちばんわかりやすい「雅俗」の説明だろう。これは「今古和漢雅俗もみな一致」を唱える久足の文芸観の解説につながっていく。雅俗をきちんと論じるためには、堂上歌壇を無視できない。菱岡さんはそこもきちんと押さえて叙述し、宣長学からの離反という経緯を時代状況の中できちんと描く。
そして第三章。本好きにはたまらない、久足の蔵書「西荘文庫」の形成と、蔵書交流ともいえるネットワークの詳細な解明である。リアルな有様がわかる書簡や文書の的確な引用と、新事実の指摘もさることながら、きわめて重要な指摘をしている。それは江戸出版流通の整備と蔵書形成が深く関わっていること。とくに江戸時代後期になって富裕町人が大蔵書家になるための環境として、それが無視できないことを、わかりやすく説得力ある説明で教えてくれる。これも、出版流通に関わる先行研究の読み込みと、一次史料をきちんと抑える菱岡さんの学問的態度のなせる業である。また蔵書家同士の交流も、膨大な書簡の読み込みから明るみに出していて、ここらあたりは、本好きにはたまらないはずである。この章で重要なのは、えてしてありがちな、江戸・京都・大坂の三都文化圏だけで、江戸の経済や文化を論じようとするあり方への警鐘、そして、発信者(作者・著者)と受信者(読者)だけでなく、中継者という視点が必要で、その三者を総合したところに書籍文化論が成り立つだろうという提言。なるほどと頷かざるをえない。反省せざるを得ない。またまた秋成の話で申し訳ないが、秋成晩年の傑作『春雨物語』が、伊勢商人の間で重宝されている様子が、本書でも生き生きと描かれているが、宣長を生んだ伊勢で、その論敵秋成の作品が、ここまで人気があるという現象を知らないと、その意味はなかなかわからないだろう。秋成の本を写したり貸借する伊勢商人たちの嗜好はいかなるものなのか。これまでの秋成研究に欠けていた視点である(近年、少しずつ注目されはじめているが、これも菱岡さんや、青山英正さんたちの川喜田家蔵書調査の成果によるものである)。川喜田(遠里)は久足の蔵書仲間である。
ところで久足は馬琴から「神速」と呼ばれるほど、本を読むのが早かったらしい。それについて菱岡さんは触れているが、菱岡さんや、菱岡さんが敬愛する松坂出身の柏木隆雄先生(大阪大学名誉教授。本書のあとがきに出てくる。本ブログでも時々とりあげさせていただいている)速読術も尋常ではない。まあ、読書量がだんだんと速度を上げていくのでしょうね。
第三章では、秋成・馬琴・応挙などの本を、久足がどうやって集めていくか、そのさまざまなノウハウについても紹介されているとともに、なぜ久足が、それらを集めたのかという理由についても考察されている。ここも読みどころである。
第四章は宣長学の、前のめりで、一つに収束するような思想に嫌気をさしてそこから離れ、バランスのよい「雑学」を身にまとった「雑学庵」としての久足を描く。古今和漢雅俗一致の思想は、価値の相対化と、「畸人」志向から帰結する。ここにも商人の生業が関わってくる。
久足の膨大な量の紀行文は、そこから見える江戸時代のドキュメンタリーとして貴重である。その一端を示したのが第五章。興味がつきない記述がたくさん出てくる。
さて、いくつもの顔をもつ久足。どれが本当の久足なのか、と、凡庸な問いを発したくなるのだが、菱岡さんは終章で、これまでの内容を見事にまとめた上で、さらに面白い実態、そしてなるほどという見解を披露する。「壱人両名」ということが黙認されていた社会、最後に正体が明かされる近世演劇の「実は」の作劇法は、観客に「名称使い分け」の日常生活があったからすんなり受容できたのではという仮説。そして最後に、久足が蔵書や旅行にお金を使うことが、実は商売を守ることにつながるという一見逆説的なポリシーを紹介する。もうけたお金を元に商売をさらに拡大することのリスク(これで潰れた現代の商売のなんと多いことか)を熟知するゆえに、財産は守るが拡張しない、それが家の継続のために重要な考え方だと。
久足の考え方には今の我々が学ぶべきところが非常に多い。さりげない教訓書だったのか?いやそんなことを菱岡さんは考えてはいない。ただこの本は、読み始めたらやめられないくらいに面白く、わかりやすい。それでいいのだが、あまりにも学ぶところが、多いのだ。研究者には特に。
最後に、拙論たくさん引いてくださってありがとうございます。嬉しかったです(笑)
さて、その菱岡さんを基調講演者としてお招きし、国際研究集会「〈紀行〉研究の新展開」を、オンラインで開催する。2月22日15:00から。改めてまたアナウンスします!
2023年01月12日
古典と日本人
ブログの始動が遅くなってしまいました。本年もボチボチとやっていきますのでよろしくお願いします。
1月7日は、2020年以来の、対面での大阪大学国語国文学会に出席した。オンライン併用ではなかったこともあってか、予想以上に多くの方がいらしてた。久しぶりにお会いした方も多く、「旧交を温める」とはこのことか、と感じ入った次第である。
2月11日・12日に開催予定の国際シンポジウム「古典の再生」、私は司会、発表、そして運営スタッフでもあり、準備に追われている。私自身は、秋成の「古典」語りを通して、「古典の再生」のテーマに迫りたい。具体的には『万葉集』である。秋成は『万葉集』を読者として読むだけではなく、研究し、そして貴顕に対して教えた経験もあった。秋成の『万葉集』への向き合い方は複眼的なのである。『万葉集』評釈という語りを逸脱して自身を語るというあり方、近代古典評論とも異なるその語りは一考の価値があるということを問題提起したい。
そして、「古典の再生」というテーマに非常に関係の深い本が年末に読みやすい新書で出た。前田雅之氏の『古典と日本人』(光文社新書、2022年12月)である。副題が「「古典的公共圏」の栄光と没落」。「古典的公共圏」は前田氏の造語。概念を創出し、それを通すことによって、文学史が俄然見えてくることがあるが、「古典的公共圏」もそのひとつで、私はこの概念を借りながら、文芸や文壇について様々に考えることができた。前田氏の「古典的公共圏」論が、読みやすい形で体系的にまとめられたらどんなにいいかと思っていたところ、まさにドンピシャの本が出たわけである。
近時話題になることの多い、古典教育不要論も意識している。古典や古典教育を感情的に擁護するのではなく、厳しく冷めた目で現状を分析した上で、なぜ古典が、古典学びが必要であるかを説いている。まずは前田氏の「古典的公共圏」の定義をみておこう。124頁。
古典的公共圏とは、古典的書物(『古今集』・『伊勢物語』・『源氏物語』・『和漢朗詠集』)の素養・リテラシーと、和歌(主として題詠和歌・本歌取り)の知識・詠作能力とによって、社会の支配集団=「公」秩序(院・天皇ー公家・武家・寺家の諸権門)の構成員が文化的に連結されている状態を言う。
「古典的公共圏」は、ドイツの社会哲学者ユルゲン・ハーバーマスのいう「代表具現的公共圏」と密接に関わる。前近代の公共圏である「具現的公共圏には修辞的語法がつきものである」(カール・シュミット)。行動・服装・言葉という礼儀作法が重要である。日本の古典的公共圏では、古典の素養や題詠和歌の詠作能力や、有職故実の知識が必須となるわけである。最重要の古典は、先に挙げた4つの古典で、万葉集や今昔物語は入っていない。
この「古典的公共圏」は、古今集以下の4つの古典の注釈が現れ、本文校訂が現れ、徐々に形成されてゆき、それが確立した時代は後嵯峨院の時代であった。後嵯峨院は2度勅撰集を下命した。どちらも20巻であり古今集を継承する意識が明確である。そしてこの時代には古典のパロディーも現れた。
戦乱の中でも和歌を読む事や古典の知識は重視された。それどころか和歌と政治は密接につながっていた。
古典を写す行為は重要だった(松平定信は源氏物語を7回写している)。
とはいえ、古典の教養と人格は関係ないことも、前田氏ははっきり言明している。これには強く共感する。多くの古典擁護論は、古典がよい人格を作るという言説をたてるが、これは何の根拠もない、ポジショントークといわれても仕方のない論なのだ。
日本における前近代人と近代人の文章や論理の変化についても興味深い指摘をする。前近代の思考は、言葉と言葉の連想が基軸となっていた。記憶・連想による思考だ。対して近代の思考は、AだからBという線形論理である。また前近代の人間には「要約」という行為ができないという。これはなかなか大胆な仮説だが、確かに前近代の文章に「要約」というものを見ることがほとんどない。要約とは本質の摘出であるが、それをしない。彼らはこまめに抜き書きをするのである。面白いなあ。いやはや、100パーセントではないと思うが。とはいえ「近代」を論じた部分は、一等前田氏らしい議論が次々に出てくる。余談だが、「いやはや」「とはいえ」「一等」は前田氏の文章に頻出する前田節である。
なかなか類書を見出し難い本である。肯定的であれ、否定的であれ、古典文学研究者はやはり必読だし、古典に関心のあるすべての人に読んでいただきたい本である。
1月7日は、2020年以来の、対面での大阪大学国語国文学会に出席した。オンライン併用ではなかったこともあってか、予想以上に多くの方がいらしてた。久しぶりにお会いした方も多く、「旧交を温める」とはこのことか、と感じ入った次第である。
2月11日・12日に開催予定の国際シンポジウム「古典の再生」、私は司会、発表、そして運営スタッフでもあり、準備に追われている。私自身は、秋成の「古典」語りを通して、「古典の再生」のテーマに迫りたい。具体的には『万葉集』である。秋成は『万葉集』を読者として読むだけではなく、研究し、そして貴顕に対して教えた経験もあった。秋成の『万葉集』への向き合い方は複眼的なのである。『万葉集』評釈という語りを逸脱して自身を語るというあり方、近代古典評論とも異なるその語りは一考の価値があるということを問題提起したい。
そして、「古典の再生」というテーマに非常に関係の深い本が年末に読みやすい新書で出た。前田雅之氏の『古典と日本人』(光文社新書、2022年12月)である。副題が「「古典的公共圏」の栄光と没落」。「古典的公共圏」は前田氏の造語。概念を創出し、それを通すことによって、文学史が俄然見えてくることがあるが、「古典的公共圏」もそのひとつで、私はこの概念を借りながら、文芸や文壇について様々に考えることができた。前田氏の「古典的公共圏」論が、読みやすい形で体系的にまとめられたらどんなにいいかと思っていたところ、まさにドンピシャの本が出たわけである。
近時話題になることの多い、古典教育不要論も意識している。古典や古典教育を感情的に擁護するのではなく、厳しく冷めた目で現状を分析した上で、なぜ古典が、古典学びが必要であるかを説いている。まずは前田氏の「古典的公共圏」の定義をみておこう。124頁。
古典的公共圏とは、古典的書物(『古今集』・『伊勢物語』・『源氏物語』・『和漢朗詠集』)の素養・リテラシーと、和歌(主として題詠和歌・本歌取り)の知識・詠作能力とによって、社会の支配集団=「公」秩序(院・天皇ー公家・武家・寺家の諸権門)の構成員が文化的に連結されている状態を言う。
「古典的公共圏」は、ドイツの社会哲学者ユルゲン・ハーバーマスのいう「代表具現的公共圏」と密接に関わる。前近代の公共圏である「具現的公共圏には修辞的語法がつきものである」(カール・シュミット)。行動・服装・言葉という礼儀作法が重要である。日本の古典的公共圏では、古典の素養や題詠和歌の詠作能力や、有職故実の知識が必須となるわけである。最重要の古典は、先に挙げた4つの古典で、万葉集や今昔物語は入っていない。
この「古典的公共圏」は、古今集以下の4つの古典の注釈が現れ、本文校訂が現れ、徐々に形成されてゆき、それが確立した時代は後嵯峨院の時代であった。後嵯峨院は2度勅撰集を下命した。どちらも20巻であり古今集を継承する意識が明確である。そしてこの時代には古典のパロディーも現れた。
戦乱の中でも和歌を読む事や古典の知識は重視された。それどころか和歌と政治は密接につながっていた。
古典を写す行為は重要だった(松平定信は源氏物語を7回写している)。
とはいえ、古典の教養と人格は関係ないことも、前田氏ははっきり言明している。これには強く共感する。多くの古典擁護論は、古典がよい人格を作るという言説をたてるが、これは何の根拠もない、ポジショントークといわれても仕方のない論なのだ。
日本における前近代人と近代人の文章や論理の変化についても興味深い指摘をする。前近代の思考は、言葉と言葉の連想が基軸となっていた。記憶・連想による思考だ。対して近代の思考は、AだからBという線形論理である。また前近代の人間には「要約」という行為ができないという。これはなかなか大胆な仮説だが、確かに前近代の文章に「要約」というものを見ることがほとんどない。要約とは本質の摘出であるが、それをしない。彼らはこまめに抜き書きをするのである。面白いなあ。いやはや、100パーセントではないと思うが。とはいえ「近代」を論じた部分は、一等前田氏らしい議論が次々に出てくる。余談だが、「いやはや」「とはいえ」「一等」は前田氏の文章に頻出する前田節である。
なかなか類書を見出し難い本である。肯定的であれ、否定的であれ、古典文学研究者はやはり必読だし、古典に関心のあるすべての人に読んでいただきたい本である。