井口洋先生の訃報が届いて愕然としている。コロナ前は研究会のたびにお会いしていたが、コロナになってお会いできない日々が続いていた。しかし、それもあとわずか、春になれば、先生も研究会に対面で出席されるだろうと期待していた。
近松・西鶴・芭蕉。元禄時代、いや江戸時代を代表すると言っていい三大作者のすべてについて論文集を刊行した研究者は、少なくとも私の知る限りにおいては、井口洋先生しかいない。その論は周到で、徹底的に本文を読み抜くことにおいて共通している。
かつて私にとって、井口先生は近寄りがたい「怖い」先生だった。井口先生だけではなく、同世代の上野洋三先生、矢野公和先生など、若い頃とても気軽に口を聞けるとは思っていなかった。そういう時に大失敗もした。私がQ大の助手の時、近世文学会がQ大を会場として行われた。ものすごい趣向に満ちた会ではあったが、懇親会のあとの飲み会もすごかった。一次会の懇親会が西鉄グランドホテル、二次会場の千代の海(だったっけ)というちゃんこ屋に入れなかった人たちが、「ここにはいろう!」という渡辺憲司さんの号令の下に、隣の焼き鳥屋に入る(これ2次会)、そこからタイミングを見計らって千代の海に移動(これ3次会)、そこから別途二次会の行われていた「芝」に移動(これ4次会)、ここに井口先生もいらして、なぜか私は隣にすわってきまずい感じに緊張していたのだが、緊張のあまり、井口先生のズボンにたっぷりの量のお酒をこぼしてしまったのだ。怒りもせず、笑いもせず、表情を変えない井口先生…。こわかったっす。ちなみにそのあと客に踊らせる店「福岡屋」(5次会、大谷篤蔵先生、長谷川強先生らも居て、長谷川先生はおてもやんを扮装させられて踊っていた。ちなみに私はピンクレディー。タイツをはかせられて。完全に逆カスハラである)、そしてそのあと数人で24時間営業の「芙蓉」という店(6次会)。
時は経って1997年、いまからちょうど4半世紀前の近世文学会秋季大会。私はまだ山口にいたころであったが、天理大学で「血かたびら」について発表。語り手人麿論という奇矯なことを言ったために、総攻撃を受けた。その時に手を挙げて質問してくださったお一人が井口先生である。これまた緊張のあまり、内容を憶えていない。壇を降りた後話しかけられて、論はダメだが人麿への着目はいいという評であったかと思う。
2001年、私は大阪大学に転任する。いろんなことがあって、かなり心身とも参っていたが、奈良女子大にいた井口先生は私を非常勤に呼んでくださった。それだけではなく、毎年奈良女子大に招く集中講義講師の方を囲む会にも誘ってくださった。授業は「思う存分、好きなことをしゃべっていいから」と言って下さったのである。奈良に行く時が楽しく、救われた。
京都近世小説研究会でもお会いするので、段々と距離が縮まって、親しくお話できるようになった。
研究会では、井口先生は、若手の発表であっても容赦のない質問・コメントを浴びせる。これは修士課程の学生であろうと、研究者として対等だという認識によるものだろう。教えさとすという感じではなく、議論を仕掛けていくという感じなのである。京都近世には全体としてその雰囲気があるが、一番尖っているのが井口先生ではないだろうか。しかし、実は心根のやさしい方なのである。
井口先生に対して、心から申し訳ないと思うのは、2021年11月に刊行された『『奥の細道』の再構築』のことである。井口先生には個人的にお礼申し上げたが、きちんと読み切っての感想を言えないままであったことである。中尾本『奥の細道』を「芭蕉自筆本」だとして疑わない学界の空気に、先生は違和感を覚えていた。中尾本の添削前のの本文を、『奥の細道』の一異本として読解する孤独な営為。先生はこれを長い時間をかけて徹底的に行い全うする。
そこであらためて「再構築」という書名の言葉に注目したい。古典を「再生」というキーワードで捉え直すという最近の私の試みにあまりにも近しい言葉ではないか。井口先生の中では、この本文批判は、「奥の細道」を未来につなぐための再構築、すなわち「古典の再生」に他ならないのだと、今の私は読む。
「古典の再生」とは、その都度その都度、古典を未来に繋ぐことだということを、井口先生は教えてくれる。
感謝とともに、先生のご冥福を心よりお祈り申し上げる。
2023年02月28日
2023年02月27日
『誹諧独吟一日千句』研究と註解(中嶋隆さんへの手紙)
中嶋隆さま
この手紙はご大著『『誹諧独吟一日千句』研究と註解』(文学通信、2023年2月)に触発された私の思いを、きちんとまとまらないままに書きつけ、お礼に代えるものです。
本来、数人の連衆の座を意識しつつ作句していく誹諧を、一人の創作者と不特定多数の享受者という関係に変質させたのは、西鶴が独吟したからである。しかし、その時の不特定多数の享受者を西鶴は連衆と呼んでおり、それは単なる聴衆とは違う。自分と同様、作句能力のある座メンバーである。西鶴の小説における作者/読者の関係は、この関係に似ている。
多様な読者が西鶴の小説にそれぞれのコンテクストを読み取り、作り出すことが、西鶴の誤読や幻想を生んだが、それは西鶴の複綜する文体が生み出したものであり、独吟のあり方は、その文体の秘密の解明を示唆する。
中嶋さんが、一日独吟の註解に取り組んだ理由がようやく腑に落ちました。小説家でもある中嶋さんの関心は、西鶴の小説にあり、その西鶴の小説の独自性の秘密の根が、彼の独吟に見えるからなのですね。
私のこの理解は、あるいは「誤読や幻想」かもしれません。なぜなら私にも、秋成の散文を考えるというコンテクストがあるからなのです。2月12日の「古典の再生」シンポジウムの私の発表で、私は秋成の「長物がたり」「ひとりごと」を取り上げたのですが、それをあるべき読者の不在という観点から考えました。秋成の『春雨物語』はその延長にあり、西鶴のベクトルとは逆に、不特定多数の読者を想定する版本の小説(秋成自身も浮世草子や雨月物語で経験ずみ)創作を経て、特定の人を読者として想定する写本の著述(注釈や和文など)によってモチベーションを確保していた京都時代の秋成が、最も信頼できる読者である「正親町三条公則」を喪って、不在の読者に向けて、ひとりごと、長物がたりをする、という道筋を考えていたからなのです。
秋成自身も体験している連句は、江戸時代における「作者/読者」を考える際に、重要な視点であることに気づかせていただいたと同時に、西鶴や秋成の散文が、どういう読者を想定していたか、おそらく近代読者とは違うだろうという問題を私の中にもたらしました。
この感想自体が逸脱=「長物がたり」ですが、さらに言えば、本書の研究篇の冒頭に、
「寛永期は、中世以前の伝統文化が出版メディアによって再生・再編された時期である」という一文にいまさらながら驚きました。先のシンポジウムでの議論とシンクロしますが、なんと「再生」というワードがここに使われているではないですか。まさに中嶋さんがディスカッサントとして、「源氏物語再生史」の「史」が問題だと言われた意味が前景化するのです。
その状況が進んだ中で生まれた談林の独吟・速吟は、座より個人、質より量という創作価値観の転換を生む。それは寛永期のあと、寛文・延宝期の文化動向の反映である、というのが中嶋さんの描く文学史だということでよいでしょうか。
複綜的なコンテクストには非現実的なコンテクスト(無心所着)があり、それが笑いを生んでいる。その事例をいくつも挙げることで、西鶴の独吟の方法が浮かび上がると同時に、西鶴の小説への展開が見えてきます。
なぜ、このテキストに注釈が必要なのか。それがここまで追究されていることに、感嘆を禁じ得ません。現代を見据えつつ古典に向き合い、「史」の構想を重視する中嶋さんならではの、一書として、本書を受け取りました。私の「誤読と幻想」を招いたことで、中嶋さんは西鶴に連なることになります。
この手紙はご大著『『誹諧独吟一日千句』研究と註解』(文学通信、2023年2月)に触発された私の思いを、きちんとまとまらないままに書きつけ、お礼に代えるものです。
本来、数人の連衆の座を意識しつつ作句していく誹諧を、一人の創作者と不特定多数の享受者という関係に変質させたのは、西鶴が独吟したからである。しかし、その時の不特定多数の享受者を西鶴は連衆と呼んでおり、それは単なる聴衆とは違う。自分と同様、作句能力のある座メンバーである。西鶴の小説における作者/読者の関係は、この関係に似ている。
多様な読者が西鶴の小説にそれぞれのコンテクストを読み取り、作り出すことが、西鶴の誤読や幻想を生んだが、それは西鶴の複綜する文体が生み出したものであり、独吟のあり方は、その文体の秘密の解明を示唆する。
中嶋さんが、一日独吟の註解に取り組んだ理由がようやく腑に落ちました。小説家でもある中嶋さんの関心は、西鶴の小説にあり、その西鶴の小説の独自性の秘密の根が、彼の独吟に見えるからなのですね。
私のこの理解は、あるいは「誤読や幻想」かもしれません。なぜなら私にも、秋成の散文を考えるというコンテクストがあるからなのです。2月12日の「古典の再生」シンポジウムの私の発表で、私は秋成の「長物がたり」「ひとりごと」を取り上げたのですが、それをあるべき読者の不在という観点から考えました。秋成の『春雨物語』はその延長にあり、西鶴のベクトルとは逆に、不特定多数の読者を想定する版本の小説(秋成自身も浮世草子や雨月物語で経験ずみ)創作を経て、特定の人を読者として想定する写本の著述(注釈や和文など)によってモチベーションを確保していた京都時代の秋成が、最も信頼できる読者である「正親町三条公則」を喪って、不在の読者に向けて、ひとりごと、長物がたりをする、という道筋を考えていたからなのです。
秋成自身も体験している連句は、江戸時代における「作者/読者」を考える際に、重要な視点であることに気づかせていただいたと同時に、西鶴や秋成の散文が、どういう読者を想定していたか、おそらく近代読者とは違うだろうという問題を私の中にもたらしました。
この感想自体が逸脱=「長物がたり」ですが、さらに言えば、本書の研究篇の冒頭に、
「寛永期は、中世以前の伝統文化が出版メディアによって再生・再編された時期である」という一文にいまさらながら驚きました。先のシンポジウムでの議論とシンクロしますが、なんと「再生」というワードがここに使われているではないですか。まさに中嶋さんがディスカッサントとして、「源氏物語再生史」の「史」が問題だと言われた意味が前景化するのです。
その状況が進んだ中で生まれた談林の独吟・速吟は、座より個人、質より量という創作価値観の転換を生む。それは寛永期のあと、寛文・延宝期の文化動向の反映である、というのが中嶋さんの描く文学史だということでよいでしょうか。
複綜的なコンテクストには非現実的なコンテクスト(無心所着)があり、それが笑いを生んでいる。その事例をいくつも挙げることで、西鶴の独吟の方法が浮かび上がると同時に、西鶴の小説への展開が見えてきます。
なぜ、このテキストに注釈が必要なのか。それがここまで追究されていることに、感嘆を禁じ得ません。現代を見据えつつ古典に向き合い、「史」の構想を重視する中嶋さんならではの、一書として、本書を受け取りました。私の「誤読と幻想」を招いたことで、中嶋さんは西鶴に連なることになります。
2023年02月26日
『挙白集』評釈 和文篇
ブログを書いたり、Twitterで呟いたりして、いろいろ発信していると、事情通のように思われているかもしれないが、真逆である。あんまり知らないので、「えっ、そんなことも知らないの?」という反応をされることもしばしばある。
『研究と評論』で『挙白集』の注釈が連載されていた時も、え?このメンバーはどういう関係で?と首を捻っていた。きっとみんな知っていることだったのだろう。中嶋隆氏や藤江峰夫氏の守備範囲がすごく広いことは知っていたが、それにしてもお二人が『挙白集』の注釈というのは意外である。
『『挙白集』評釈 和文篇』(挙白集を読む会編、和泉書院、2023年2月)は、『挙白集』和文篇の本格的な注釈書である。
ここでそのメンバーを紹介しておくと、大山和哉、岡本聡、雲岡梓、鈴木淳、中嶋隆、復本一郎、藤江峰夫の各氏である。復本一郎氏の「あとがき」で、読む会の歴史をしることができた。1990年に鈴木淳氏と復本氏が、佐野正巳氏の引き合わせによって、神奈川大学で出会ったことにはじまるようだった。そこで一杯やったときに、二人の自宅が徒歩十分のところにあり、読書会をはじめることになった。そこでメンバーを考えたとき、横浜在住の中嶋氏、藤江氏の名前が挙がったのだという。そう、ご近所読書会だったのである。これは気づかなかった。
『挙白集』を読むことになって、ペースは二ヶ月に一回。たしかにこれは長続きするペースである。その後、長嘯子の専門家である岡本聡氏が参加。箕面から毎回通っていたという。これはすごい。さらに岡本氏が、大山和哉、雲岡梓の若手二人をリクルートし、パワーアップ。出版にいたる詰めでは、若手が大車輪の活躍をしたことが、感謝とともに記されている。
その共同研究が六百頁を超える大冊として実を結んだ。作品を読む際に、会読形式は、本当に勉強になる。三十年以上も続けて、それを形になすのはどれだけ感慨深いだろうか。とくに最初から参加されていた方々の喜びは察するに余りある。コロナ禍のさなかはオンラインで行った模様で、それを乗り越えての慶事である。
近世和文史というものを構想するとしたら、長嘯子はその初期の最重要人物になる。とはいえ、和文は長嘯子に限らず、研究が進んでいなかったのが三十年前だ。注釈もほとんどなかった。近世和歌研究の発展とともに、和文も注目されてはじめてきた。岩波の「文学」が「近世歌文の創造」という特集を組んだのは、まさに30年くらい前か?中野三敏・松野陽一・上野洋三各先生の鼎談が掲載されていた。その後、松野先生はもちろん、風間誠史氏・久保田啓一氏・田中康二氏・岡本聡氏・雲岡梓氏らの研究が続く。秋成研究でも、和文に光が当たりはじめたのは、新日本古典文学大系で『藤簍冊子』の注釈(中村博保・鈴木淳)が刊行されたのが大きい。私も和文消息の『文反古』を数年読んでいくつか拙論を書いた。
しかし、和文といえば、やはり『挙白集』を押さえなければならない。これは上野洋三先生から学会の懇親会で諭されたことである。挙白集の和文は、秋成などと違って読みやすいが、しかし深いのだということが、この本で学べそうである。一度だけ「近世和文史」の授業をしたことがあって、「山家記」を苦心して自己流に注釈したのが懐かしい。
ともかく、決定版の評釈書が出たのは、本当にありがたい。いつでもここに帰ればいいからである。
『研究と評論』で『挙白集』の注釈が連載されていた時も、え?このメンバーはどういう関係で?と首を捻っていた。きっとみんな知っていることだったのだろう。中嶋隆氏や藤江峰夫氏の守備範囲がすごく広いことは知っていたが、それにしてもお二人が『挙白集』の注釈というのは意外である。
『『挙白集』評釈 和文篇』(挙白集を読む会編、和泉書院、2023年2月)は、『挙白集』和文篇の本格的な注釈書である。
ここでそのメンバーを紹介しておくと、大山和哉、岡本聡、雲岡梓、鈴木淳、中嶋隆、復本一郎、藤江峰夫の各氏である。復本一郎氏の「あとがき」で、読む会の歴史をしることができた。1990年に鈴木淳氏と復本氏が、佐野正巳氏の引き合わせによって、神奈川大学で出会ったことにはじまるようだった。そこで一杯やったときに、二人の自宅が徒歩十分のところにあり、読書会をはじめることになった。そこでメンバーを考えたとき、横浜在住の中嶋氏、藤江氏の名前が挙がったのだという。そう、ご近所読書会だったのである。これは気づかなかった。
『挙白集』を読むことになって、ペースは二ヶ月に一回。たしかにこれは長続きするペースである。その後、長嘯子の専門家である岡本聡氏が参加。箕面から毎回通っていたという。これはすごい。さらに岡本氏が、大山和哉、雲岡梓の若手二人をリクルートし、パワーアップ。出版にいたる詰めでは、若手が大車輪の活躍をしたことが、感謝とともに記されている。
その共同研究が六百頁を超える大冊として実を結んだ。作品を読む際に、会読形式は、本当に勉強になる。三十年以上も続けて、それを形になすのはどれだけ感慨深いだろうか。とくに最初から参加されていた方々の喜びは察するに余りある。コロナ禍のさなかはオンラインで行った模様で、それを乗り越えての慶事である。
近世和文史というものを構想するとしたら、長嘯子はその初期の最重要人物になる。とはいえ、和文は長嘯子に限らず、研究が進んでいなかったのが三十年前だ。注釈もほとんどなかった。近世和歌研究の発展とともに、和文も注目されてはじめてきた。岩波の「文学」が「近世歌文の創造」という特集を組んだのは、まさに30年くらい前か?中野三敏・松野陽一・上野洋三各先生の鼎談が掲載されていた。その後、松野先生はもちろん、風間誠史氏・久保田啓一氏・田中康二氏・岡本聡氏・雲岡梓氏らの研究が続く。秋成研究でも、和文に光が当たりはじめたのは、新日本古典文学大系で『藤簍冊子』の注釈(中村博保・鈴木淳)が刊行されたのが大きい。私も和文消息の『文反古』を数年読んでいくつか拙論を書いた。
しかし、和文といえば、やはり『挙白集』を押さえなければならない。これは上野洋三先生から学会の懇親会で諭されたことである。挙白集の和文は、秋成などと違って読みやすいが、しかし深いのだということが、この本で学べそうである。一度だけ「近世和文史」の授業をしたことがあって、「山家記」を苦心して自己流に注釈したのが懐かしい。
ともかく、決定版の評釈書が出たのは、本当にありがたい。いつでもここに帰ればいいからである。
2023年02月23日
近世後期江戸小説論攷
2月22日のにゃんこの日は、国際研究集会「〈紀行〉研究の新展開」と題して、小津久足研究で注目されている菱岡憲司さん、飛鳥井雅有を研究している大阪大学大学院の湯書華さん、海道記研究のアダム・ベドゥナルチクさん、俳諧研究者の辻村尚子さんをお迎えし、さまざまな角度から、「紀行」を照射した。フロアーからの意見も出て、生業と風流、虚実、インターテクスチュアリティ、雅俗・・・などの問題が浮上し、懇談会に突入しても議論は尽きなかった。その開会の挨拶をしている最中に、宅急便が来たんだが、もちろん出ることは出来ない。幸い宅配ボックスに入れてもらっていたのが、山本和明さんの論文集『近世後期江戸小説論攷』である。前著からそんなに時間も経っていないのに早くも第二論文集である。
そして、この第二論文集は、山本さんの思い入れが半端ない京伝を中心とした論文集である。「京伝が好きだ」と本人から聞いたことがある。しかし京伝の読本はあまり評価されていない。それは馬琴の『近世物之本作者部類』の呪縛から、いまの読本研究者が遁れられていないからだという。馬琴と京伝の読本は、めざす方向が違う。同じ物差しで、つまり馬琴読本を基準に京伝読本を測るべきではない、ということを本書ではまず強調している。
第1部が「京伝作品攷」、第2部が「和学・和文小説攷」、第3部が「後期小説の周縁」である。90年代の論文もあり、長い道程を感じる。
ところで、山本さんといえば、国文研のNW事業、つまり30万点の古典籍画像公開という大事業の責任者として、10年間、それこそ滅私奉公的な献身的な働きをしてきたことは、知っている人はよく知っているだろう。この件に関して、山本さんは国内外で数え切れないくらいの講演・レクチャーをしてきているのである。しかし、実は彼は研究上ではデータの人ではなく、本来的に「読み」の人である。大量のデータだけを示すような研究を唾棄している。その本領が発揮されているのが本書なのである。
少し私的なことをいうと、大阪の大学に勤めていた山本さんとは、私が大阪に来る前からの付き合いであり、秋成の遺墨を多くお持ちであった谷川家との縁を繋いでくれ(たまたま谷川さんの親族が山本さんの秋成についての講演を聞きに来ていたというご縁)、十年以上も毎年谷川家調査を一緒にやった。また家人の非常勤を紹介してくれたりもした。研究上では、これも長い長い期間にわたる蘆庵文庫研究会や忍頂寺文庫の研究、そして鹿田松雲堂蔵書調査など、数々の共同研究でご一緒した(あるいは彼を巻き込んでしまった)のである。NW事業の普及の一環として阪大で発表・講演していただいたことも複数回あり、その流れでドイツのシンポジウムに一緒に参加したことも1度ならずあり、さらにはデジタル文学地図プロジェクトでも、お世話になっている。年度によっては同僚よりも会う回数が多かったかもしれない。
そういうわけて、前書以上に、山本さんの思いが溢れている本書には、友人としての感慨を禁じ得ない。友人として認めてくれているかどうかはわからないけれど(笑)。
そして目次をめくっていて驚いたのは第2部第2章に「古典再生ー『飛騨匠物語』」という論文があることだ。「えっ」と思った。初出も「〈古典〉再生ー石川雅望『飛騨匠物語』」である。2月11日・12日に行った国際シンポジウム「古典の再生」。「再生」はパワーワードだと言ってくれた人もいたが、なんと、すでに2003年に山本さんが論文タイトルに使っていたのである。この論文では『更級日記』はそれほど読まれていたテキストではないことから、雅望が、作品に持ち込んだ『更級日記』本文と考証が、『更級日記』という古典の再生になっているという。まさに「古典再生史」に欠かせない一齣だと言えるだろう。山本さんが使った「古典再生」という言葉を、はからずも、20年後、私たちは「再生」したことになるのであった。まさに奇縁である。
そして、この第二論文集は、山本さんの思い入れが半端ない京伝を中心とした論文集である。「京伝が好きだ」と本人から聞いたことがある。しかし京伝の読本はあまり評価されていない。それは馬琴の『近世物之本作者部類』の呪縛から、いまの読本研究者が遁れられていないからだという。馬琴と京伝の読本は、めざす方向が違う。同じ物差しで、つまり馬琴読本を基準に京伝読本を測るべきではない、ということを本書ではまず強調している。
第1部が「京伝作品攷」、第2部が「和学・和文小説攷」、第3部が「後期小説の周縁」である。90年代の論文もあり、長い道程を感じる。
ところで、山本さんといえば、国文研のNW事業、つまり30万点の古典籍画像公開という大事業の責任者として、10年間、それこそ滅私奉公的な献身的な働きをしてきたことは、知っている人はよく知っているだろう。この件に関して、山本さんは国内外で数え切れないくらいの講演・レクチャーをしてきているのである。しかし、実は彼は研究上ではデータの人ではなく、本来的に「読み」の人である。大量のデータだけを示すような研究を唾棄している。その本領が発揮されているのが本書なのである。
少し私的なことをいうと、大阪の大学に勤めていた山本さんとは、私が大阪に来る前からの付き合いであり、秋成の遺墨を多くお持ちであった谷川家との縁を繋いでくれ(たまたま谷川さんの親族が山本さんの秋成についての講演を聞きに来ていたというご縁)、十年以上も毎年谷川家調査を一緒にやった。また家人の非常勤を紹介してくれたりもした。研究上では、これも長い長い期間にわたる蘆庵文庫研究会や忍頂寺文庫の研究、そして鹿田松雲堂蔵書調査など、数々の共同研究でご一緒した(あるいは彼を巻き込んでしまった)のである。NW事業の普及の一環として阪大で発表・講演していただいたことも複数回あり、その流れでドイツのシンポジウムに一緒に参加したことも1度ならずあり、さらにはデジタル文学地図プロジェクトでも、お世話になっている。年度によっては同僚よりも会う回数が多かったかもしれない。
そういうわけて、前書以上に、山本さんの思いが溢れている本書には、友人としての感慨を禁じ得ない。友人として認めてくれているかどうかはわからないけれど(笑)。
そして目次をめくっていて驚いたのは第2部第2章に「古典再生ー『飛騨匠物語』」という論文があることだ。「えっ」と思った。初出も「〈古典〉再生ー石川雅望『飛騨匠物語』」である。2月11日・12日に行った国際シンポジウム「古典の再生」。「再生」はパワーワードだと言ってくれた人もいたが、なんと、すでに2003年に山本さんが論文タイトルに使っていたのである。この論文では『更級日記』はそれほど読まれていたテキストではないことから、雅望が、作品に持ち込んだ『更級日記』本文と考証が、『更級日記』という古典の再生になっているという。まさに「古典再生史」に欠かせない一齣だと言えるだろう。山本さんが使った「古典再生」という言葉を、はからずも、20年後、私たちは「再生」したことになるのであった。まさに奇縁である。
2023年02月20日
和歌と暮らした日本人
21年間の大阪大学在職中、卒論生は毎年1人〜4人であったが、それでも40人くらいは、いる。公務員や教員や、IT企業やアパレル関係や、いろいろなところに就職して、がんばっている。その中のひとりに、中堅の出版社に就職した人がいた。大企業からも内定をもらっていたが、出版社に決めた。それが淡交社にいた八木育美さんだ。私の敬愛する歌人伊藤一彦さんの連載の担当もしていたが、浅田徹さんの『和歌と暮らした日本人』も担当したという。これは、少し前に出た本ではあるが、このたび、少し連絡をしていただくことがあって、彼女から「自分が担当した中でもお気に入りの本」ということで、送っていただいたものである。
雑誌に連載したものの単行本化であるが、国文関係の出版社ではないから、古典文学研究者でも気づいていない人がいるかもしれない。
読んでみると、たしかにいい本である。4章構成だが、特に第3章と第4章は、浅田さんの専門的な知識、研究成果が惜しみもなく披露されている。しかし、一般向けに実にわかりやすく書かれている。私など、蒙を啓かれること少なからず。また、よい本には必ず備わっている、なぜか私の研究のヒントになる記述が、1つ2つに留まらない。さすがである。
和歌がどう生活の中で使われてきたかに焦点をあてたもので、入門的な和歌の本としては、類書がないと思う。2019年9月刊。
雑誌に連載したものの単行本化であるが、国文関係の出版社ではないから、古典文学研究者でも気づいていない人がいるかもしれない。
読んでみると、たしかにいい本である。4章構成だが、特に第3章と第4章は、浅田さんの専門的な知識、研究成果が惜しみもなく披露されている。しかし、一般向けに実にわかりやすく書かれている。私など、蒙を啓かれること少なからず。また、よい本には必ず備わっている、なぜか私の研究のヒントになる記述が、1つ2つに留まらない。さすがである。
和歌がどう生活の中で使われてきたかに焦点をあてたもので、入門的な和歌の本としては、類書がないと思う。2019年9月刊。
2023年02月14日
近世文学史論
鈴木健一さんの『近世文学史論ー古典知の継承と展開ー』(岩波書店、2023年2月)が刊行された。
内藤湖南の名著と同題で、古典文学から近代文学への転換という大きな見取り図の中に近世文学を位置づけ、4つの視点から近世文学を史的に考察してゆこうとした論文集のようである。書き下ろしではないが、体系性をもたせようとしている。
鈴木さんによれば、近世は1603年から1867年まで。
第一の視点は、「学問と文芸の融合ー知の共同体の形成」
第二の視点は、「〈型〉の継承と変容ー新しさの創出への苦闘」
第三の視点は、「画と詩の交響「絵画体験と美意識の浸透」
第四の視点は、「神秘性から日常性へー現実に対処する精神」
それぞれの視点は、いくつかの論文の集成である。
このうち、土日に行われた国際シンポジウム「古典の再生」と、とくに関わるのが第二であろう。「変容」は作者の意識の持ちようで、「再生」とも捉えうるからである。
また、第四の、神秘性から日常性へとは、確かにそういう流れは、怪談史などを構想するならばあり得る推移の一面ではあるが、全体として捉えられる見方といえるかどうかは保留したい。むしろ神秘に対する態度、日常に対する処し方が変わっていくという見方もあるだろう。
ところで、「史」の問題は、前の投稿の「古典の再生」での、第2セッション「源氏物語再生史」でもディスカッサントの中嶋隆さんから重要なものとして言及されていた。メディアに注目する立場から、「アーリーモダン」という切り口を用意される中嶋隆さんは、鈴木さんの文学史をどう考えておられるだろうか。鈴木さんの切り口はおそらく「古典知」と言っていいだろう。だが、「古典知」の内容も、人によってバリエーションがある。「俗解された古典」知もあるので、古典だから雅というわけでもない。鈴木さんは、複雑な様相をわりと明解に説いているのだが、4つの視点はどう複合するだろうか。共同性と個性のバランスということを最後のあたりでおっしゃっている。私はシンポジウムで、和歌における「勅撰集モデル」(共通する心を表現)と「万葉集モデル」(自分自身の心を表現)を秋成が仮設していたというようなことを言ったが、それと重なるようにも思う。しかし、それは十八世紀後半に山があると見ている。
鈴木さんの本はまだめくってみただけで、精読していない。私の見当が外れているかどうか、これからじっくり読ませていただきたい。
内藤湖南の名著と同題で、古典文学から近代文学への転換という大きな見取り図の中に近世文学を位置づけ、4つの視点から近世文学を史的に考察してゆこうとした論文集のようである。書き下ろしではないが、体系性をもたせようとしている。
鈴木さんによれば、近世は1603年から1867年まで。
第一の視点は、「学問と文芸の融合ー知の共同体の形成」
第二の視点は、「〈型〉の継承と変容ー新しさの創出への苦闘」
第三の視点は、「画と詩の交響「絵画体験と美意識の浸透」
第四の視点は、「神秘性から日常性へー現実に対処する精神」
それぞれの視点は、いくつかの論文の集成である。
このうち、土日に行われた国際シンポジウム「古典の再生」と、とくに関わるのが第二であろう。「変容」は作者の意識の持ちようで、「再生」とも捉えうるからである。
また、第四の、神秘性から日常性へとは、確かにそういう流れは、怪談史などを構想するならばあり得る推移の一面ではあるが、全体として捉えられる見方といえるかどうかは保留したい。むしろ神秘に対する態度、日常に対する処し方が変わっていくという見方もあるだろう。
ところで、「史」の問題は、前の投稿の「古典の再生」での、第2セッション「源氏物語再生史」でもディスカッサントの中嶋隆さんから重要なものとして言及されていた。メディアに注目する立場から、「アーリーモダン」という切り口を用意される中嶋隆さんは、鈴木さんの文学史をどう考えておられるだろうか。鈴木さんの切り口はおそらく「古典知」と言っていいだろう。だが、「古典知」の内容も、人によってバリエーションがある。「俗解された古典」知もあるので、古典だから雅というわけでもない。鈴木さんは、複雑な様相をわりと明解に説いているのだが、4つの視点はどう複合するだろうか。共同性と個性のバランスということを最後のあたりでおっしゃっている。私はシンポジウムで、和歌における「勅撰集モデル」(共通する心を表現)と「万葉集モデル」(自分自身の心を表現)を秋成が仮設していたというようなことを言ったが、それと重なるようにも思う。しかし、それは十八世紀後半に山があると見ている。
鈴木さんの本はまだめくってみただけで、精読していない。私の見当が外れているかどうか、これからじっくり読ませていただきたい。
2023年02月13日
国際シンポジウム「古典の再生」報告
2月11日、12日、京都産業大学むすびわざ館で、国際シンポジウム「古典の再生」。前日の打ち合わせ・リハーサルから本日(2月13日)の意見交換会まで、4日間にわたる全日程を終了しました。シンポジウムは何度も企画しましたが、これほどの論客を集め、広く、深い議論をし、反響の大きかった会は、経験がありません。初日のエドアルド・ジェルリーニさんの基調講演、持説の「テキスト遺産」を古典×再生とし、以前うかがった講演をさらにパワーアップした内容で、キー・ノートに相応しい内容でした。それを受けての盛田帝子、ロバート・ヒューイ、アンダソヴァ・マラル各氏の発表は、江戸における王朝文化復興、琉球における日本古典の受容、古事記・日本書紀・風土記の各国訳とその違いなど、異なる視点から古典の再生の事例報告となりました。ディスカサントの荒木さんのコメントと質問は、荒木さんらしい博学と豊富な国際会議経験に基づく示唆深く、鋭いものでした。続く永崎研宣グループによるTEI入門講座+TEIでこんなことができるのプレゼンは、非常な反響をよんでいます。DH系の集会ではなく、古典文学系の研究集会で、これをやったことに大きな意義がありました。さっそく、その日のうちに、今お持ちのテキストデータから索引作成をしたいという研究者が、永崎さんに質問をされていました。特別プレゼンという場を作ってよかったと心から思いました。2日目の3つのセッション、ひとつめの「イメージとパフォーマンス」は、亡くなった楊暁捷先生が作成されていたプレゼンビデオから始まりました。楊先生のご遺族もZoomで御覧になり、喜んでいただけました。佐々木孝浩さんには人麿像について、さすがの蘊蓄・資料を提示、個人的には「ぬば玉の巻」の紹介が嬉しかったです。ジョナサン・ズウィッカーさんは『安積沼』の小平次が近代以降もさまざまなメディアに現れたことを紹介、「生きている小平次」と出征兵とのダブルイメージから小野田寛郎さんのことを思い浮かべた視聴者もいたようです。佐藤悟さんが今傾注されている女房装束の復元事業の紹介にも関心が集まりました。討論者の山田和人さんの相変わらずのスマートな問題整理、安定の仕切りでした。予想通り盛り上がったのが第2セッション「源氏物語再生史」。田渕句美子さんの「阿仏の文」から源氏物語を読み返すと、夕顔のふるまいがこんなに違って見えるのかという驚き、松本大さんの物語色紙を大量に読み込んでの考察、兵藤裕己先生の、もう一つの近代文学(史)を幻視するパースペクティヴをもった樋口一葉論と、まことに多彩でどれもこれも面白い発表、そして「再生史」の「史」にこだわった中嶋さんの怒濤のコメント。しかし周到な中嶋さんはふとフロアの中森康之さんに振る。中森さんのコメントも素晴らしい。いずれにせよ兵藤論は今回のシンポの議論の大きな磁場でした。そして第3セッションは、オンライン参加の山本嘉孝氏の柴野栗山の朝廷文物への関心についての具体報告、アロカイさんの紀行文における古典(レトリック)と古典ばなれの話題、飯倉の、上田秋成の万葉集注釈における逸脱する語りの考察、オンライン参加の討論者合山さんが、次々に簡単には答えられない質問をぶつけてきましたが、質問で討論時間が終わってしまい、議論にいたらなかったのは残念でした。しかし合山さんが、最後に基調講演に戻って、本シンポジウムの意義そのものを問うような問題提起をされたのは重要でした。そして今日13日も、登壇者があつまり、シンポの議論をさらに深める丁々発止のやりとりが行われました。近い未来に向けての作戦会議も。1年前から準備をはじめた大規模シンポ、とりあえず、大きな山を超えました。登壇者のみなさま、対面参加者、オンライン参加者のみなさま、運営スタッフのみなさま、すべてのみなさまに感謝です。