2023年03月30日

幕末・明治期の巷談と俗文芸

神林尚子さんの『幕末・明治期の巷談と俗文芸』(花鳥社、2022年2月)が刊行された。
副題は「女盗賊・如来の化身・烈女」。これは読みたくなりますね。序章・終章を除いて、三部各八章、全部で24章、700頁の大冊である。
評する能力は全くないので、私の理解による(まちがっているかもしれない?)紹介と素朴な感想(感嘆?)だけですが、お許しください。

 まず、「本書は、日本近世・近代の「巷談」と、戯作や歌舞伎、巷談などの文芸・芸能との交渉を、具体的な作品に即して考察するものである」(序章)
神林さんによると「巷談」とは、「口碑や風聞に淵源し、諸種のジャンルにわたって扱われた題材の総称」であり、歌舞伎・浄瑠璃・読本・草双紙の題材となる実録のあり方よりもさらに広く、巷説・話芸としても成長展開する。だから「実録の下位分類として措定するだけでは」不十分である。そこで神林さんは「巷談」を「分類指標」として設定する必要があるという。分類指標というのは「ジャンル」とは違う。あくまで「街談巷説に由来する題材の謂」である。
 それは「研究領域」と言いかえられるかもしれない。巷説と特定ジャンルとの関係(読本における巷談物など)、あるいはある特定の巷説の実録・読本としての展開という先行研究はあるが、巷談という分類指標を意識し、その視点から諸々の巷談の原型と展開・拡散・転化、それも近世から近代にかけてのそれを実証的に追うことで、文学史の一端を明らかにするというものである。この時期は文学史でも様々な立場からの発言がある。神林さんの視座はそこへの新たに参入宣言でもあるのだ。つまり「巷談」の文学史的研究というものを目指して、そのおおきな第一歩を踏み出したのが本書である。
 実に壮大かつ堅実かつ緻密で明瞭な構想が序章で示されているのである。
 では具体的には何を扱うのか。
1 「鬼神のお松」。門付芸能の「ちょんがれ」に端を発して様々に展開したと跡づける。まず「ちょんがれ」自体を丁寧に丁寧に考察するところ、その徹底ぶりに鳥肌が立つ。個人的には大阪大学の忍頂寺文庫を使っていただきありがとうございます(笑)。忍頂寺務さんも喜んでいます。
2 「お竹大日如来」。名主の家の下女お竹は実は大日如来という口碑。開帳や略縁起の世界にも果敢に挑んでいる。
3 「烈女おふじ」。飯田藩の江戸上屋敷で藩主の側室を斬りつけた奥女中「おふじ」が、烈女として顕彰され、烈女イメージを生成してゆく。「烈女」の問題は、思想史・政治史にも拡がっているが、そこもしっかり押さえている。
 いずれも女性の巷説を扱っているところが興味深い。もともとジェンダー研究を志す意図はなく、面白いからという理由で選んだものらしいのだが、自ずから「巷談の展開と女性表象」の問題に繋がるわけで、それは終章で考察されている。 
 それにしても、各部各章の徹底ぶりがすごい。「ザ・研究」と呼ぶにふさわしい実証へのこだわり、関連する文献の博捜、感嘆せざるを得ない。
 神林さんは、畏友ロバート・キャンベルさんの教え子。キャンベルゼミから実証を重んじる素晴らしい研究者が輩出しているが、神林さんもその一人。「巷談研究」という新たな研究領域の方法と実践を体現した研究書として本書は永く記憶されるだろう。
 


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2023年03月29日

明治歌舞伎史論

 金智慧(Kim Jihye)さんの『明治歌舞伎史論 懐古・改良・高尚化』(思文閣出版、2023年3月)が刊行された。
 明治期は歌舞伎史にとって激動の変革期である。本書は、歌舞伎と社会との関わりに注目し、「江戸懐古」「脚本改良」「高尚化」という視点から、新たな歌舞伎史構築を目指したもので、歌舞伎史研究においても意義のある研究書だと私は思う。
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 私にとって、この本の刊行は少なからず感慨深い。私の教え子としては初めての論文集という事になるからである。
「あとがき」にもあるように、彼女は韓国の誠信女子大学校を出て、高麗大学校の大学院に進み、そこで1年学んだ後、大阪大学に研究生としてやってきて、博士前期課程、同後期課程と進み、2022年3月に学位を取得、京都大学人文科学研究所に助教として就職した。大学院交流事業で高麗大の院生と大阪大の院生とて共同研究会をやったことがあり、高麗大在学中の金さんが発表したことがあった。2015年1月のことである。それから大阪大に来て私のゼミに所属した。私は歌舞伎が専門ではないし、まして明治歌舞伎の研究ということなので、指導教員としては全くの能力不足で、大変申し訳なかった。授業も大学院では演劇関係のテキストを扱うこともない。そんな中で、よく頑張ったと思う。特に博士後期課程に入ってから、地道に努力し、ものすごく伸びたと思う。それは演習などでの発表にも如実に現れていた。
 そして彼女は日本語の読み書きが完璧に近い。英語もできる。博士後期課程に入ってからは、国際学会での発表、UCBへの留学などチャレンジを続けた。これからの研究・教育界には非常に有益な人材となるだろう。
 本書に収められている各論文については元になった初出論文については私が見ている(他の専門の先生にも見てもらっていたかもしれない)。論の進め方とか書き方については指導できても、専門的な内容についてはさっぱりであり、阪大には歌舞伎が専門の先生もいらっしゃらないので、本当に指導環境は良いと言えなかったのである。この論文集に専門的な部分で行き届かない部分があれば、それは私の責任でもあるのだ。
 とはいえ、若手研究者の出版を支援する勤務先の助成金をいただけるというチャンスがあったので、それを掴み、形にしたのは素晴らしい事である。表紙もいい感じに仕上がった。表題については相談を受けたので、提案させていただいたが、なんとそれを使ってくれたようであるが、表題がデザイン的にもしっくりしていて安心した。
 どうか、皆さんのご批正を賜れば幸いである。
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秋成自筆長歌の報告

 吹田市立博物館(大阪府)に2021年に入った、上田秋成自筆長歌一幅について、同館の館報に調査報告を掲載させていただきました。「吹田市立博物館所蔵上田秋成自筆長歌一幅について」(『吹田市立博物館館報』23号、2023年1月)。昨日、落手したものですから、ここでのポストが少し遅くなりました。秋成が妻と共に元日に垂水神社に出かけ、小松引きをして遊んだということが詠まれています。垂水神社は今も吹田に鎮座しており、吹田市立博物館が本長歌を入手した所以もそこにあります。さて、この長歌自体は、秋成の家集に収められたものですが、成立時の筆写ではないけれども秋成の自筆であること、題が秋成の家集所収のものと異なること、書写年月(つまり秋成再写の年月)と年齢が記されていることから、秋成伝に新しい事項を立てられることにもなり、貴重な資料であると言える。
 実際に秋成が元日に垂水神社に出かけたのは、寛政三年だろうと推定した。さて、ではなぜその時小松引きをしたのか?これを論文をお送り
したS先生に問われて、はて?なんでだろう、と思い至らず、S先生に逆にお考えを聞いたところ、その問いを投げかけた理由を教えていただき、「なるほど「なるほど!」と膝を打った次第。これは次の課題として受け止めさせていただいた。
 吹田の学芸員のIさんが、私の研究室を訪ねてこられ、私に自筆かどうかの見立てと調査を依頼してくださった。ちょうど垂水神社の近くにある関西大学に出講していたこともあり、縁を感じた。なおご興味おありの方はPDFで報告文をお送りします。コメント欄にメールアドレス(他の方には見えません)をお書きください。


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2023年03月27日

未来を切り拓く古典教材

 第3回古典教材開発研究センター・第6回コテキリの会が3月26日、同志社大学烏丸キャンパス志高館で行われた。対面・オンライン併用。
当日対面参加した方には、本会のこれまでの活動の総括ともいえる『未来を切り拓く古典教材─和本・くずし字でこんな授業ができる』(文学通信、2023年3月)に加えて、現古絵合わせカルタが配布された。すごいサービスである。ちなみに、同書はなんと全文PDFで無料ダウンロード可であり、SNSでは、驚きと歓喜の声が拡がっている。とはいえ、物としての本書はひとつの世界を作っていて、素晴らしい出来である。まずは店頭で手にとってみていただきたい。和本やくずし字を用いた授業の実践例を多く掲げている。
 さてコテキリの会は2部構成で、第T部がこれまでコテキリの会で基調講演をした経験のある仲島ひとみさん、佐々木孝浩さん、飯倉と、コメンテーターを務めたことのある平野多恵さんと、このプロジェクトのリーダー司会の山田和人さんの5人による座談会。それぞれの教育実践に基づいて、和本・くずし字教育についての提言を行った。山田さんは意図的に「むちゃぶり」をして、登壇者の素を引きだそうとしたとおっしゃっていたが、登壇者はそれに戸惑いながらも、きちんと打ち返していたのは流石である(私は打ち損ないのファールボール?)。山田さんもおっしゃていたが、「コミュニケーションツールとしての和本・くずし字」、「テキストと組み合わされる絵の魅力」、「社会とどう関わるか、何の役に立つのか」というところの意見交換が面白かった。なかでも私が感心したのは平野多恵さんがゼミでやっている「和歌占い」。実際に学園祭やネットで、一般の人からも相談を受け、和歌で占ってあげて、「救われた!」と言った方もいるという話である。むかしから、和歌には人の心を動かす力があると言われているが、和歌占いの方法をマスターすれば、現代の人を救うこともできる、その実例があるということに、ものすごい衝撃を受けた。
 第2部意見交流会では、10グループに分かれて、今回和本バンク(有志者からコテキリに寄贈された和本群。私も5点ほど持参して一緒に並べてもらった)から選ばれて、その場に並べられた100冊ほどの本から、自分の気に入った1点を選んで、それについて意見交換するというものだが、この意見交換会が異常な盛り上がりを見せた。またグループ分けが絶妙で、中高の現役教員、学部生大学院生、大学教員、なかには一般の方もいたが、どのグループでも、それぞれ入り交じっての意見交換。切実で、真摯な、しかし未来を見据えた手応えのあるやりとりが、私の所属したグループでも行われた。実際、私たちからみたら、ありふれた和本でも、それを選んだ人は、その本の面白さを滔々と語って、私たちにも「なるほどね」と、新しい発見を共有させていただけた。
 各グループ代表が、3分の持ち時間で自分の推し和本について、その面白さや、どう教育に活用できるかなどをプレゼン。みなさん実に素晴らしいプレゼンをした。
 対面の素晴らしさは、個人的にもたっぷりお話することができたり、次へ向けての繋がりを持てたり、やはり対面のポテンシャルはすごいです。山田さんは、芸能研究者だけあって、このイベントをひとつの劇(祭?)に見立て、最後は三本締め。場内湧き上がりましたが、だれもここで自足はしていません。みなさん、今日の成果をどう教育に活かすか、会が終わってからも、会場のあちこちで話し込む姿が見られました。

 さて、配られた本、これは文句なしに素晴らしい出来です。和本とくずし字の教材としての必要性、魅力、実際の教育実践、自由に使える教材、とてもよく出来ています。無料ダウンロードもできるという信じられない大サービスです。https://bungaku-report.com/kotekiri.html
是非ご活用を。そして書籍版も手に取ってみて下さい。image_67239169.JPGimage_67186945.JPGimage_67214849.JPG
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2023年03月06日

追悼浅野三平先生

 訃報が相次ぐ。上田秋成研究の先達である浅野三平先生。先生は数奇な人生を辿られた方であったようだ。今私はそのことをここで述べることはしない。
 私は私と先生の関係においての先生を語り、追悼の言葉とする。
 先生が上田秋成研究に果たしたご功績はこのうえなく大きなものだった。大著『上田秋成の研究』で、秋成の全体像を示したが、特に恩恵に与ったのは『秋成全歌集とその研究』だった。増補改訂版も出して下さったので、古びることなく、私の座右の書となり続けている。秋成の和歌を、文字通り資料を博捜して網羅しているので、たとえば古書店で秋成の和歌短冊が出てきた時に、まず先生の『全歌集』で検索し、新出かどうか、新出でなければどういう作品に収められている和歌かを、たちどころに知る事ができた。秋成研究においては、現在歌文の研究が重要になってきているが、本書は益々その価値を増しているように思える。 
 先生の研究は、秋成だけではない。たとえば『近世中期小説の研究』という本では、多くの談義本作者を取り上げて論じておられる。18世紀の散文をすこし研究している私にとっては、この本もまた頼もしい先導役だった。
 ある時、私は本屋で、先生の書かれた研究書ではない文庫本を見付けた。それが『スピリチュアル犬ジローの日記』だった。同姓同名の方の本かと最初は思ったが、中身を読むと明らかに先生が書かれたものだった。私はその本を購入し、一気に読んだ。それからまもない時期に開催された日本近世文学会の懇親会場に向かうバスで、偶然浅野先生と相席になり、ジローの話題で俄然盛り上った。先生がジローをこよなく愛し、死んだ後も霊となってもいつも近くにいることを信じていらっしゃることがわかった。今頃は、ジローとお会いになっていることだろう。
 私が日本近世文学会の事務局をしていた時に、学会初めての試みとして、韓国の高麗大学校で大会を開催したことがあった。大会は大会校をはじめとする関係各位のご協力のおかげで大成功だったが、初日の懇親会も、二日目の懇親会でも、浅野先生に乾杯の音頭を取っていただいたことは、忘れられない思い出である。先生は、スピーチで、三十七年前にソウルであつらえたスーツを着て来たんだとおっしゃっていた。大会を成功に導いて下さったお一人だと本当に感謝している。
 他にも、私が主催した秋成シンポジウムのため、はるばる東京から大阪にいらっしゃって下さったこと、秋成の未紹介資料についての私の学会発表について、新出和歌を紹介してくれてありがとうとお声がけ下さったことなど、ありがたい思い出が次々に甦ってくる。まだまだ、お導き下さってほしかった。今は心からご冥福をお祈りするばかりである。
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2023年03月02日

家康徹底解読

 大河ドラマ「どうする家康」がじまって2ヶ月。ドラマは「史実」に沿ってはいるが、大胆なエピソードを虚構しつつ、決断を迫られて右往左往する家康を描いてゆく。かつては山岡荘八原作・滝田栄主演の『徳川家康』も大河で放送された。こちらはなんだか立派な家康だったと記憶する。
 我慢強いとか、狸親父とか、地味とか、我々がもつ家康のイメージは、信長・秀吉とは対照的である。では、その実像はどうだったのか、そしてその定着しているイメージはどう形成されたのか。歴史研究者と文学研究者を糾合して、「実像」と「虚像」を追究したのが、堀新・井上泰至編の『家康徹底解読』(文学通信、2023年2月)である。
 同じお二人の共編で出た『秀吉の虚像と実像』『信長徹底解読』に続く第3弾である。信長の時には『信長公記』という、絶対的な通路(虚像実像の両方にとって主要な史料)があったが、家康の場合はそうではないだろう。アプローチは様々である。今回も14のテーマについて、歴史側と文学側からの考察が並ぶ。シリーズ3冊目となって、双方が互いに研究方法を理解しあい、シンクロしあっているような章もあれば、何か違うことを論じているのでは?と思わせる章もあって、逆にそれが面白い。シンクロしているように思われたのは、たとえば「小牧・長久手の戦い」であり、この戦いで徳川家康が勝利したという通説が、徳川史観によって創られたものだという考察が、史学(堀新氏)・文学(竹内洪介氏)双方から為されている。互いに草稿の段階で、原稿を交換していたような形跡があって、見事に融合しているように見えた。
 尾張人質時代はなかったのではという歴史学からの考察や、三河一向一揆・方広寺鐘銘事件など、さまざまなテーマにおける最新研究成果に基づく、興味深い考察がなされている。
 それにしても、歴史研究者の書く歴史とは「確実な「事実」を一次史料で押さえ、一次史料のないところを二次史料で補い、それでも足りないところを合理的な考察で「歴史」として叙述するもの」というのが一つの見方だと思うが、当事者自身の手になる一次史料にも、年記や宛名が欠けているとか、写しであるとか、控えであるとかの外側の問題や、文言そのものの意味不明箇所など、徹底的な解読が必要であり、逆に後世の者が編んだ歴史書から、事実と虚飾を読み取る読解力も求められる。新しい史料が出現したら、これまでの「事実」が転覆することもある。まことに歴史研究は大変である。しかし、そうであるからこそ、歴史研究者は、虚構の混じる文書・記録さらには物語をも読む必要に迫られる。一方で、文学研究者も、作品の背景や作者の思想を探る際に、一次史料に遡ることを余儀なくされることもある。方法と目的を異にするとはいえ、歴史学と文学研究は交差しているし、情報交換を重ねていかねばならないだろう。いずれにしても、「徹底解読」の姿勢だけは持っておかねばならないわけですね。そういう意味で、実像と虚像の両面を「徹底解読」するこのシリーズの果たしている役割は大きいのではないだろうか。


 
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2023年03月01日

古活字探偵事件帖

 古活字探偵とは高木浩明さん。古活字本悉皆調査をライフワークとし、精力的に調査を進めておられる。その副産物である論文集も刊行されていて、このブログでも紹介したことがある。われながら、いい紹介文なので(笑)、是非ご参照賜りたい。
 高木さんは古活字探偵を名乗る。探偵というより刑事ではないか、と無駄口も出てしまうくらいに、徹底的な聞き込み、いや書誌調査のため、全国を歩き回る。多分海外も視野に入っているだろう。
 さて、高木さんの仕事の尊さは、日本文学研究者(とくに中世・近世の研究者)なら誰しも知る所だが、まだまだ一般には周知されていないかもしれない。すくなくとも古本好きには周知されてほしいものだ。したがって『日本古書通信』に高木さんが連載を持つことになったことを風の便りに伺った時は、「それはなにより」と私も喜んだ。題して「古活字探偵事件帖」である。
 2023年1月号から開始されて、現在連載は2回。1回目は「古活字版の誕生」と題するが、古活字版入門というべき位置づけになる。つまり探偵心得のようなものである。その中でしっかり胸に刻むべき教えを私なりに選べば、「新たな学問の受け皿として誕生した」「古活字版は整版とは大きく性格が異なっている。どちらかというと写本の性格に近いものがある」(引用ではなく大意です)というものである。つまり、古活字版は、その大部分が立派な本なのである。
 2月号は「欠損活字を探せ!」。いよいよ探偵としての最初のミッションが示される。古活字か整版か、一見判断が難しい時に、何が決め手になるのか。「古活字版は、限られた活字を繰り返し用いるので、全く同一の活字が別の丁にも繰り返し出現する・・・確実に同一の活字であることを確認する方法がある。それは「欠損活字を探すことである」」。その結果、古活字版研究の巨人である川瀬一馬氏の考察をひっくり返す、大ドンデン返しが起こるのである。まさに、探偵小説さながらのスリリングな展開。今後の事件帖の公開に期待がかかる。
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