2023年04月30日

和学知辺草

〈埋もれていたもうひとつの「うひ山ぶみ」〉という触れ込みで、『和学知辺草 翻刻・注釈・現代語訳』という本が、「小城鍋島文庫研究会」のみなさんによって刊行された(文学通信、2023年4月)。『和学知辺草』とは、18世紀の終わり頃に、佐賀で書かれた、和学(というよりも和漢の学全般)の入門書である。
 当時の地方の学問の手引き書のサンプルとして貴重である。注釈や現代語訳も丁寧である。このように、現代語訳までつけるというのは異例であるが、研究会のみなさんが、多くの人にこの本を読んでもらいたいという志の表れだと思う。現代語訳は白石良夫さんが一手に引き受けておられるが、「うひ山ぶみ」の現代語訳でも見せた定評の文章力で安心して読める。
 少し気になったところを述べる。全ページの影印は必要ないが、表紙カバーにしか写真がないのはいかがなものであろうか。最近はあまりそういうことはないのかもしれないが、公共図書館・大学図書館では配架の時カバーや箱を捨ててしまうところもあるのでやや心配になった。
 そして、唯一の伝本であるのならば、もう少しモノとしての本の解題や、文学史的な意義について解説がほしいと思うのは私だけであろうか。私はもうひとつの「うひ山ふみ」というにはちょっと方向性が違うなと思ったので、なおさら、なぜそう言えるのかという点を教えてほしかった。書誌学的な説明もややそっけないかなと感じた。
 さて、「あとがき」に、白石さんが、本書が科研共同研究の成果であること、それを社会に還元するには出版社による出版で市販ルートに載せることが大事だという認識によって、文学通信から刊行したことを述べている。科研費による成果公表では、A4版の報告書を作成して、関係者に配布するパターンが多いのだが、見知らぬ研究者が目にすることはなく、一般の方の手に渡ることもありえない。だから、出版社による出版にこだわったと。共感する。科研報告書を科研費で出版するのはルール上ハードルが高いが、これをもっともっとやりやすくしてほしいと思う。科研での学術図書出版助成という制度もあるが、これは審査に時間がかかる上、助成を受けられるのは応募の3割くらいではないだろうか?もし審査に通らなかったら、何度も挑戦しないといけないが、時宜を逸してしまうこともあるし、一般向けにも配慮された本は「学術的ではない」と審査の対象外になりかねないのだ。学術書を出版して原稿料や印税をもらおうなどと思っている人は、人文系にはほぼいない。普通自腹でかなり負担している。だから、せめて科研費で出版もできるように、原稿料・印税なしをルール化して、ハードルを低くしていただきたいと心から願っている。
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2023年04月27日

近世の論争

『日本文学研究ジャーナル』25号(2023年3月、古典ライブラリー)は、浅田徹・田中康二編で「近世の論争」を特集。
冒頭長島弘明さんの「秋成と架空の論敵」は、重要な指摘がそこここに鏤められている。まずは『春雨物語』「海賊」が「歌舞伎読本」だという見立て、面白い。「秋津は不在の論敵、あるいは架空の論敵に向かってただ一方的に語りかけている」。そして『雨月物語』の「白峰」や「菊花の約」にも論争になりきれなかった論争があると指摘する。論争の中断や不成就という点では同じだが、しかし雨月物語は暗く海賊は明るい。そこに秋成の「憤り」と「命録」という、若いときと老年のときの生き方が反映しているとみる。
 さらに、秋成は「本質的な論争をほとんどしなかった人であるように思われる」という。『胆大小心録』にはいろんな歴史上の人物にくってかかるけれどそれは「放言」である。たしかに『胆大小心録』は「ひとりごと」と自ら言っているので、そう言えるだろう。
 『胆大小心録』は置いといて、私は『雨月物語』や『春雨物語』で、秋成が自説を登場人物に語らせるありかたを〈学説寓言〉としてとらえ論じてきた。秋成の方法は〈学説寓言〉史においても、非常に重要である。多くのヒントをいただいた長島さんに感謝する。
 板東洋介・高松亮太・田中康二各氏の論文も、秋成と宣長の論争に触れる。板東氏の「犬をめぐる論争」は発想がユニークである。禽獣観から思想史を構築するとは。高松氏は、先行研究を踏まえ秋成の対宣長意識を丹念に追う。田中氏は、宣長の論争の戦略、「論破」の方法を分析する。なにやら〈はい論破〉という決め台詞が話題になった最近の「論壇」(?)のことが想起された。宣長は論争が上手いということを明らかにする。
 巻末の浅田徹さんの「『筆のさが』の香川景樹歌を読むー伝統を踏み破る思想−」は、当代きっての江戸の歌人らから非難された景樹の和歌を、ほかならぬその非難を手掛かりに、その新しさを指摘していくもので、実に手際がよい。これは近世和歌研究者にはなかなか及ばない方法で、伝統的な和歌の詠み方に精通している中世和歌研究者ならではの論であった。
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2023年04月21日

冷泉為村歌集の怪

 家人に送られて来ていた抜き刷りをそれとなく手に取ったら、かなりエキサイティングな論文だったという話。
 古相正美さん。私と年が近くて、すごく古い付き合いの方。専門は近世和歌で多田南嶺についての本を出したり御会和歌年表を作ったりしている。いまは福岡に在住。何十万首という宮廷御会和歌の翻刻を続けているという。その古相さんが、不思議な事に気づく。いろんな人が出詠している御会和歌の和歌が、冷泉為村の歌集の歌と一致している例が次々に見つかったというのである。冷泉為村の歌集2166首のうち、1621首が、江戸時代の御会和歌(為村の和歌ではない)と一致するという。その発見と報告が「江戸時代御会和歌と「冷泉為村卿歌集」」(『朱』66号、2023年3月)になされた。スゴい発見。もしこの歌集で為村の和歌を論じたらとんでもないことになる。
 為村の専門家久保田啓一氏はどうやら、為村の歌集を怪しいとにらんでいたらしく、ほとんどそれに言及していないそうだ(古相論文)。さすがですな。
 ではなぜそういう奇怪なことが起こったのか。為村は御会和歌の題者や奉行を務める。手元に和歌の控えをとることが可能である。「おそらく和歌練習の手控えとして冷泉家に所蔵されていたものが、なんらかの形で流出し、冷泉為村の和歌集と名付けられて流布したものと見ることができるだろう」と結論づける。いやこわいこわい。

 
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2023年04月20日

古典新訳版『好色一代男』

 学部生時代の話。近世文学で卒論を書くことを決めた4年、中野三敏先生の学部演習は『好色一代男』であった。4年の私が最初の担当(当時「模範演習」と称していた)であった。巻1の1を担当。決まってからかなりの時間をかけて準備した。谷脇理史先生の「『好色一代男』論序説」を読むようにと言われ、その長い連載論文をコピーして、我流で製本した。それにしても、西鶴のへんてこな文章には難渋した。理屈では理解できても、現代語訳は至難だ。幸い、現代語訳を演習では求められなかったように思う。
 というわけで、『好色一代男』現代語訳が新訳で出る、それも中嶋隆さんが・・・、と聞いて文字通り鶴首して待った。最近日本古典も手がける光文社古典新訳文庫である。お送りいただいて早速巻1の1を読むと、期待に違わぬ鮮やかな訳である。訳しにくい筈なのだが、実に自然に、すっと読める文章なのである。さすがは小説家でもある中嶋さんだ。令和の今、どういう訳がよいか、というところまで考え抜かれた言葉の選び方だと思う。50年後は知らず、今から当分の間、この新訳が好色一代男現代語訳の決定版だと言い切ってよいだろう。
 訳だけではなく、注もかなり充実している。そして解説。なにか現代語訳とシンクロするような文体である。そして中嶋さんならではの解説。京都や江戸に遅れをとった大阪の出版業が俳書から始まった理由とはなにか。『生玉万句』で「私は阿蘭陀流と悪口言われてましたがね−」と言っているのは守旧派からの攻撃イメージを作ることで自己宣伝する「どこかの国で人気のあった政治家」と同じではないかなど、そうだったのかも、と思わせる、そして『好色一代男』の革新性。これも面白く分かりやすく説いている。江戸時代の遊郭知識はクイズで出題など、飽きない工夫もされている。是非ご一読を。
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2023年04月01日

大阪大学附属図書館古浄瑠璃コレクション

大阪大学附属図書館電子コンテンツで古浄瑠璃コレクション赤木文庫(100点)の目録・原本画像・翻刻(20点)が公開されています。ご利用下さい。https://ir.library.osaka-u.ac.jp/portal/akagi/
翻刻リストは写真の通りです。
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