2023年06月27日

日本文学研究ジャーナル・書誌学

 『日本文学研究ジャーナル』26号(2023年6月)は、佐々木孝浩・高木元両氏により特集「書誌学」を組んでいる。このジャーナルは毎号特集をたてそれぞれ2人編集体制でずっときているが、編者による巻頭対談というのはこれまであっただろうか?全号読んでいないので確言できないが、はじめての試みではないか?(間違っていたら乞ご訂正)。
 これがおもしろい。どうやらオンライン対談のようであるが。2008年に阪大の助成で秋成の本を出した時に、故木越治さんと二人で編み、やはり冒頭に巻頭対談を置いたが、このときはメールでやった。オンラインが普及する前は、旅費やテープ起こし代を節約するのにこれしか思いつかなかったわけで。
 さて、対談タイトルは「いまなぜ書誌学か」と真っ向勝負である。「いま」というのは、やはりデジタル時代の「いま」ということである。国際化時代ということもあるだろうか。よくいわれる原本を見て触らないと和本は本当にはわからない、原本を見るための書誌学的知識が必要という議論はもちろんなされているが、それ以外にも、画像をデジタル公開する場合にメタデータが必要でそのために書誌学知識が必要だということも強調されている。
 巻頭エッセイは「江戸時代の写本の可能性」と題して、ピーター・コーニツキー氏。八編の論文は、若い方中心である。舟見一哉氏「字高の効用」、宮川真弥氏「電子画像を用いた匡郭間距離測定技術の書誌学的活用」は、いずれも重要な提案。アレッサンドロ・ビアンキ、李裕利、真島望、有澤知世、神林尚子、松永瑠成各氏の論考は、興味深い具体例に即した考察。勉強になります。
 編集後記まで対談になっているのは、ちょっとした遊びでしょうか。
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2023年06月09日

蝶夢思想の浄土的側面

 田坂英俊さん。広島府中市の慶照寺のご住職。親戚関係にあたるおなじく府中の明浄寺出身の昇道研究の第一人者である。昇道は、秋成の歌文集『藤簍冊子』の編集を担当し、版下も書いた。晩年の秋成を語るのになくてはならない存在である。田坂さんとは面識はないが、研究上、さまざまな便宜をお図りいただき、著書もたくさんいただいている。研究書は20冊以上に及ぶが、資料の博捜ぶりは並みの研究者では及ばない。
 田坂さんは、蝶夢の研究者でもあり、蝶夢全集の編集にも携わっている。今回、出版された『蝶夢思想の浄土的側面』(慶照寺、2023年6月)は、蝶夢の仏教者としての側面を緻密に描きだした画期的な研究書である。もとより浄土真宗のお寺のご住職であるから、仏教思想はまさに専門であり、田坂さんでなくてはこのような本は書けない。本書の意義については、田坂さんと30有余年の付き合いをされてきたという田中道雄先生が「奇特なお坊様の蝶夢論」と題された序文につくされている。
 江戸中期の捨世派の僧侶たちが与えた蝶夢への影響を裏付けた点。蝶夢の思想の根底に懺悔心があるという指摘。近江石山寺に石灯籠を建立した意図や、蝶夢の書簡に頻出する全国各地の作柄や米価についての記事から、庶民の貧窮を憂慮する蝶夢の心の読み取り。
 田中道雄先生は、「私は俳人・文人次元の蝶夢は理解したかも知れぬが、仏者としての蝶夢の理解にまでは、とても至っていなかった。しかし、その蝶夢の仏教思想の探究こそ、蝶夢研究の根底に置くべき課題であり、それゆえに不可欠であろう。(中略)私は、蝶夢をそれなりに理解していると思い込んでいた。皮相な理解を。何と浅はかで、傲慢であったことか。田坂さんこそが、現在もっとも深く蝶夢を理解しておられるお方である」と言い切っている。蝶夢研究を領導する田中先生のこの謙虚な、しかし正直に発せられる言葉は、私の胸を打つ。田中先生のすごさをここに感じる。そして、田中先生の言う通り、本書は蝶夢研究の必読書となるに違いない。
 まことに残念ながら、田坂さんは、そのほとんどの著書を自費出版されており、本書も非売品の少部数印刷ということである。蝶夢全集の別巻として出版されればいいなあと心から願望する。
 
 
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2023年06月07日

ヴァーチャル日本語 役割語の謎

 金水敏さんの『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』(岩波現代文庫、2023年5月)が、文庫本になった。最初に出たのはもう20年前なのか!
私は2001年に大阪大学に奉職。1年前に金水さんが着任されていた。(日常的には金水先生と呼ぶのだが、ブログでは同世代アラウンドは「さん」付けであるのでここでも「さん」で行きます)日本文学・国語学研究室の尊敬する同僚であった。なんと年齢も同じである。数ヶ月お兄さんだけど。もっとも私が長崎西高校→九州大学→山口大学と、西の方でうろうろしていたのに対して、金水さんは、大阪の名門北野高校から東大、神戸大学、大阪女子大学などを歴任していて、文化度・洗練度が全然違う。学会的には学会会長、学術会議会員そして学士院入り、キャリア的にも研究科長、今は放送大学大阪センターの長という輝かしい履歴である。それでも、なんという気さくさ、なんという庶民感覚、なんというユーモアセンスとお茶目っぷり・・・。誰からも愛されるスゴい人とは、金水さんのことを言うのだろう。文学部長としての、卒業式での贈る言葉はSNSでものすごい拡散をしたことも記憶に新しい。
 その金水さんの名著が文庫本になった。私が着任したころに、多分この本を執筆されていたのだろう。そのころ、私は国語学の歴史的研究において、狂言・浄瑠璃・洒落本などのテキストが「口語資料」として扱われていることが多いことに、違和感をもっていた。本当にそれは、当時の口語を反映しているのか?狂言・浄瑠璃は演劇であり、あくまで役者のことばである。いまの演劇だって、日常の口語をそのまま反映しているとは思えない。当時だってそうだろう。狂言には狂言の言葉使い、浄瑠璃には語りとしての韻律、洒落本には「息子」や「半可通」などのキャラクター特有の話し方があるじゃないの。院生発表会などで、そういう質問をすると、金水さんが援護射撃してくださることがあった。今考えれば、役割語だよ。そして、程なく、金水さんが「役割語」という概念をひっさげて、私の疑問を氷解してくださったのである。ということで、大阪大学着任当時の思い出と金水さんの役割語研究は、私の中で重なっているのである。
 それから20年。何人もの学生が「役割語」を研究し、博士論文を書く人も出てきた。大阪大学だけではなく、いろんな国語学者が「役割語」の概念を使って研究を進めているのである。
 田中ゆかり氏の解説は名解説であるが、その冒頭文を引用したい。「世の中には、確実に存在しているのに、名前がないために看過されているものがたぶんかなりある。しかし、いったん定義とともに名前が与えられると、数学の図形問題に適切な補助線が引かれたように世界の見え方は一変する」まさしく、「役割語」とはそういうものなのだ。つまり「役割語」は概念の発見である。すごいなあ、すごい!
 私も近世文学研究でちょこっと真似しているのだが、ちょこっとしか流通してないもんね。というわけで、きわめてきわめて私的な紹介を終わります。
 
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2023年06月06日

大田南畝の世界

「大田南畝の世界」展については、5日付の投稿「学会記」(日本女子大学)で触れた。この展示の会期は4月29日から6月29日で、展示期間が前期@・前期A・後期と、3期に分かれている。私たちが見たのは後期であったが、実は前期のみの展示も数多くあったということが出品目録からわかった。関東地区に住んでいれば2回は行っただろうにと残念だが、それを補うのが、図録『大田南畝の世界』である。なんとか写真で渇を癒やせるのだ。こちらもまた素晴らしい出来である。そして特筆すべきは所収論考がどれも非常に面白いことである。いくつか短評。巻頭の揖斐高「大田南畝の自由と「行楽」」はさすがの手練れ。小林ふみ子「「著作」の範囲―大田南畝の知の広がり」は、南畝全集に収められていない南畝の「自著」について触れる。それは既存の文献からの抜き書き、また他人の著書への書き入れ、編纂された叢書など。近世文人の「著作」活動にはこのようなものがきわめて多い。たしかにそれはオリジナルの作品ではないが、まぎれもない文事である。まだ院生のころだったか、中村幸彦先生に近世的な随筆の定義を教わった記憶が甦る。抜き書きを記録に留めることもまた随筆なのだと。牧野悟資「狂歌指導者大田南畝を考えるー方法としての狂歌判者」は展示で『狂歌角力草』稿本における南畝の添削を見た直後に読んだのでよくわかった。池澤一郎「漢詩と狂歌との接点―日野龍夫先生の洞察された大田南畝の文藝の特質―」は、日野先生の、性霊派漢詩論を南畝の狂歌が摂取していたという卒論の話題(もともとは本多朱里さんの文章に書かれていたことらしい)から始まる。その先見性に敬服しつつ、「漢詩が狂歌を支えていた」例として源氏物語に取材した狂歌を取り上げて論じる。そこでは南畝の源氏物語の読みも炙り出すという名人芸。これには唸った。宮崎修多「大田南畝の「日本」」。南畝の「日本」意識を論じるものだが、なんとも江戸文学に習熟していると舌を巻く文章である。どこか既視感があると思ったら、宮崎さんの師(私の師でもある)中野三敏先生の文章の呼吸にそっくりだった。短評は無理なんで、味わい深かったとだけ言っておこう。
 
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2023年06月05日

学会記(日本女子大学)

 6月3日と4日の両日。日本女子大学で日本近世文学会春季大会の研究発表会が行われた。歴史有るチャペルでの2日にわたる研究発表会。初日は台風による新幹線機能不全の影響、二日目には地震による一瞬の中断と、いろいろありながらも、福田安典さんはじめ日本女子大の方々、事務局、実行組織のみなさまなど関係各位の献身的なご努力により無事終えることができた。心から感謝申し上げる。
 さて、久しぶりの本格的な対面のみの学会。参加者数は250名を超えたとうかがった。初日午前中に新幹線が動かない、大幅遅延などのアクシデントがあり、参加出来なかった人が多数いたにも関わらず、初日の懇親会には、明らかに100名以上の参加者がいて、なんと鏡割りも復活、勝手に?歌を披露する先生まで出てきて、「昭和な近世学会」が現出した。「これだよこれ」と呟きながら、いろんな会員と旧交を温めることができた。若い頃は、学会に行くたびに、「勉強するぞ!」といつも刺激を受けたが、その感覚が鮮やかに蘇ってきた。1次会でたっぷり2時間もとっていただいていたので、本当にゆっくりとお話ができた。そして対面学会ならではの「情報」の質と量。これはやはりすごい。今回は3年分の皆さんの飢餓感が、一気に癒やされたのではというくらいの飛び交う情報であった。
初日は4名(うち3名は若い方)の、豊富な資料を使っての堅実な発表で、これまた近世だなーと感じさせるものだった。二日目は、俳諧3本を含む4本の発表と、大田南畝をテーマとするシンポジウム。ベテラン陣が発表した俳諧3本は聞き応えがあったが、特に佐藤勝明さんの『猿蓑』論は、撰集としての読みのご提案。長らく注釈をしてこられた経験に基づき、従来の見解に次々に異論を唱えていかれる自信に満ちた展開であった。「これだよこれ」とまた呟く。
ところで私は2日目の冒頭発表、幾浦裕之さんのTEIご紹介を兼ねた師宣画『藤川百首』についての発表の司会を担当した。私の関わった2月の国際シンポジウム「古典の再生」でも、デジタル時代の古典研究の基本になっていくであろうTEIについての発表をしていただいたが、その時の3人の発表者のうちの一人が幾浦さんであった。TEIの可能性をいろいろと紹介してくれたが、ママ原文と校訂本文の同時表示、TEIで書かれた複数のテクストの横断検索、翻刻本文と原文あるいは画像のリンク、単なる検索ではない人名検索や地名検索など、タグを利用した様々な可能性を示してくれて、次世代の翻刻公開方法を実感させた。問題は、TEIによる記述がワードのような簡単なものではないということで、これをどう簡略化していくのか、TEIに対する理解をひろげるとともにTEI利用の環境整備をしていく必要性を感じた。しかしそのためには、今日の発表だけではなく、ことあるごとにTEIの話を諸学会で展開し、古典文学研究者の耳に馴染ませていくことが肝要である。繰り返し繰り返し、情報系の学会ではなく、中古・中世・近世・和歌・説話・美術史・日本史・思想史のようなところで。今回だけで近世文学会の諸氏が、納得してTEIに目覚めてくださるとは思えないからである。あと、同じ人ではなく、別の人がTEIを使った発表をやるということが大事だろう。手を変え品を変え繰り返し、である。まあ方法の流通は選挙運動と同じなのだ。
南畝のシンポジウム。九大同窓の久保田さん、宮崎さんの幕臣としての南畝という視点は、中野三敏先生の御説の継承と展開、福田さんの上方から見た南畝も新視点。石川淳の江戸戯作受容のお話も貴重。ただ時間がおしていたようで、ディスカサントとパネリストの絡みや、議論の時間がなく、これは残念だった。論点はディスカサントの小林さんが出していたのだが。僭越ながら顰蹙覚悟で私もちょっと発言したが、南畝のような人物を論じるとどうしても論じる人の人柄が反映されるよな、という感想を持った。これは西鶴をはじめとしてこれまでも言われていたことだが。また上方側が南畝に歓迎的に対応するのも、幕臣なのに文芸をやるというキャラクターが大きいような気がする。幕臣加藤宇万伎が、秋成や蒹葭堂に歓迎されたのと同じ対応ではないかと。そういえば千蔭も上方で人気が高いし。まあ感想なのでお許しください。
さて特に計画していたわけではなかったが幾浦さんの慰労会を少人数で行った。彼は近世専門ではないが、近世文学会にとっても貴重な人材だと思う。
さて、3日目(5日)は学会とたばこと塩の博物館が連繋して行った大田南畝展へ。月曜日に学会員のために特別開館してくださったもの。会場には南畝の専門家である宮崎修多・久保田啓一・池澤一郎・小林ふみ子各氏をはじめとする錚々たる「解説者」がいたので、さまざまな知見を聞くことができた。今回の展示は、かなり専門家向けというかマニアックなもので、新資料・個人蔵が多く出ていた。いろいろと工夫もされていて、素晴らしいものだった。図録もじっくり拝見したい。
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