2023年06月07日

ヴァーチャル日本語 役割語の謎

 金水敏さんの『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』(岩波現代文庫、2023年5月)が、文庫本になった。最初に出たのはもう20年前なのか!
私は2001年に大阪大学に奉職。1年前に金水さんが着任されていた。(日常的には金水先生と呼ぶのだが、ブログでは同世代アラウンドは「さん」付けであるのでここでも「さん」で行きます)日本文学・国語学研究室の尊敬する同僚であった。なんと年齢も同じである。数ヶ月お兄さんだけど。もっとも私が長崎西高校→九州大学→山口大学と、西の方でうろうろしていたのに対して、金水さんは、大阪の名門北野高校から東大、神戸大学、大阪女子大学などを歴任していて、文化度・洗練度が全然違う。学会的には学会会長、学術会議会員そして学士院入り、キャリア的にも研究科長、今は放送大学大阪センターの長という輝かしい履歴である。それでも、なんという気さくさ、なんという庶民感覚、なんというユーモアセンスとお茶目っぷり・・・。誰からも愛されるスゴい人とは、金水さんのことを言うのだろう。文学部長としての、卒業式での贈る言葉はSNSでものすごい拡散をしたことも記憶に新しい。
 その金水さんの名著が文庫本になった。私が着任したころに、多分この本を執筆されていたのだろう。そのころ、私は国語学の歴史的研究において、狂言・浄瑠璃・洒落本などのテキストが「口語資料」として扱われていることが多いことに、違和感をもっていた。本当にそれは、当時の口語を反映しているのか?狂言・浄瑠璃は演劇であり、あくまで役者のことばである。いまの演劇だって、日常の口語をそのまま反映しているとは思えない。当時だってそうだろう。狂言には狂言の言葉使い、浄瑠璃には語りとしての韻律、洒落本には「息子」や「半可通」などのキャラクター特有の話し方があるじゃないの。院生発表会などで、そういう質問をすると、金水さんが援護射撃してくださることがあった。今考えれば、役割語だよ。そして、程なく、金水さんが「役割語」という概念をひっさげて、私の疑問を氷解してくださったのである。ということで、大阪大学着任当時の思い出と金水さんの役割語研究は、私の中で重なっているのである。
 それから20年。何人もの学生が「役割語」を研究し、博士論文を書く人も出てきた。大阪大学だけではなく、いろんな国語学者が「役割語」の概念を使って研究を進めているのである。
 田中ゆかり氏の解説は名解説であるが、その冒頭文を引用したい。「世の中には、確実に存在しているのに、名前がないために看過されているものがたぶんかなりある。しかし、いったん定義とともに名前が与えられると、数学の図形問題に適切な補助線が引かれたように世界の見え方は一変する」まさしく、「役割語」とはそういうものなのだ。つまり「役割語」は概念の発見である。すごいなあ、すごい!
 私も近世文学研究でちょこっと真似しているのだが、ちょこっとしか流通してないもんね。というわけで、きわめてきわめて私的な紹介を終わります。
 
posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする