あまりにも遅いご挨拶ですが、明けましておめでとうございます。本年もなにとぞよろしうお願い申し上げます。
今年最初に取り上げますのは、田中貴子訳の『好色五人女』(光文社古典新訳文庫、2024年)でございます。
さて、大阪の誇る文人木村蒹葭堂と、西鶴の肖像画の共通点をご存じでしょうか?そそそ。ちょっと口が開いているのでございます。これは名古屋大学の塩村耕さんに教えていただいたんだったと記憶しておりますが、なぜ開いているかというと、これは二人がしゃべっているところを描いたのだと。両人とも「噺好き」だからなんだと。いやはや、バーンと膝を打ちましたな。なるほどと。
蒹葭堂のことはさておきまして、西鶴。『好色一代男』にはじまる数々の名作に「はなしの手法」が取り入れられていることは、西鶴研究者が説いてきたところでございまして、『好色一代男』巻一の一で「知る人は知るぞかし」なんて言うのは有名ですな。そこで田中訳。あ、田中貴子さんは、とても守備範囲の広い方で、最近も岩波新書で『いちにち、古典』という本を出されておいでです。『百鬼夜行の見える都市』という名著もございますな。でも西鶴、いや近世文学の専門家ではないんです。どちらかというと中世でしょうか。ところが、どうでしょう。現代語訳にあたって、田中さんのとった戦略は「噺家の文体」です。いや、もちろん西鶴の時代に、「噺家」っていう職業はまだないんですが、現代語訳にこれを採用するのはアリでしょう。このセンスは「近世」じゃないでしょうか。いや素晴らしいアイデアです。読んでおりますと、まさに「今の」噺家が、お夏やおせんの物語を語っている様子が浮かんできてしまいます。それというのも、田中さん、なかなか思い切った訳、ときには原文にない、噺家っぽい語りを入れてきます。
カフェとか、イケメンとかをルビに振ってみたり。「清十郎さまらぶ(ハートマーク)」なんてのも有って楽しいですな。(「胸騒ぎの腰つき」とやらいう歌がございますとおり・・)とかもありまして。さて、「解説 恋する・五人の・女たち」がまた面白い。つかみが秀逸です。向田邦子の小説『隣りの女』をドラマ化したテレビの一場面。桃井かおりと根津甚八。女は男に会うために、ニューヨークに向かう。飛行機に乗った女(サチ子)の手に握られていた本こそが『好色五人女』だったと。ちょっと待って。これ「古典の再生」の話でっしゃろ。となんでも自分の方に引きつけてしまうのが悪い癖でして(ポリポリ)。とにかく解説もポイントを外さないでしっかりしています。
いや、中嶋隆さんの『好色一代男』の新訳もすばらしかったが、桃井、あ、ちがった田中さんの『五人女』訳もユニークですばらしい。お見事お見事。