青山英正編『石水博物館所蔵岡田屋嘉七・城戸市右衛門他書肆書簡集』(和泉書院、2024年2月)。帯に「近世の書物流通の実態を浮かび上がらせる一級資料」とある通り、書肆研究、蔵書研究にきわめて意義のある資料の翻刻で、我々の受ける恩恵は計り知れない。とにかくこの石水博物館の蔵書はすごくて、2021年には小津桂窓書簡集がやはり和泉書院から刊行されたが、そこに出てくる上田秋成ほか上方文人資料の豊かさに驚いたものだが、今回の書肆書簡は、実にリアルに当時の書物流通の様相を、かつてない大量の書簡で知らしめるという点でまた驚かされる。岡田屋と城戸の書簡が圧倒的に多いのだが、両書肆の営業方法の違いも浮かび上がるだけの量が翻刻された。二百数十点にわたる書簡から得られる情報は実に多い。
ここから脱線するが、川喜田家宛書簡の翻刻であるが、書肆の宛先表記は「川北」「川喜田」「川喜多」「河喜田」・・・と多様である。通称などの表記もそうだが、江戸時代の固有名詞表記は人名に限らず、結構ゆるい。国語表記史研究ではそこをどう捉えているのだろうか?かなりむかし、とある学会で馬琴の発表をした大学院生に、国語学研究者から、表記の違いの意味についてどう思うかという質問が出て、院生が「近世ではあんまり表記の統一を厳密にやらないと思います」みたいな回答をしたところ、質問した研究者がムキになって発表者を問いつめるみたいな場面があった(記憶なので不正確かも)のを思い出した。
さて、やはり書簡というのは、書籍目録や、蔵書目録がもたらす情報に比べると、比較にならないくらいに情報量が多いのはいうまでもないが、手紙を書く側、受け取る側の人間性まで浮き彫りにされるのが、すごい。だが、これを翻刻するのはものすごく大変である。近世の書簡などというものは、やはり何人かで読まないとなかなか完全には読めないものである。青山さん単著なのだが、これは単独作業ですか?だとしたらとてつもないことである。青山さんはこの4月、自身ご出身の東大(駒場)に着任されたようだ。二重におめでとうございます。