2024年06月26日

三井大坂両替店(シリーズ大阪本5)

 久しぶりにシリーズ大阪本。今回は萬代悠氏の『三井大坂両替店ー銀行業の先駆け、その技術と挑戦』(中公新書、2024年2月)である。両替商の仕組みを説明した本だろうと思って読み始めたが、たしかにそれもきちんと解説されているが、本書の目玉は、両替店が顧客の信用調査をどのような方法で行うか、その信用調査が、両替店の業績に直結しているということを、史料を読み込み、解釈して明らかにしている点である。それにとどまらず、そこから著者は、これらの信用調査のありかたから江戸時代の文化・社会風俗も浮き彫りになると言う。
 江戸時代に来日した外国人の残した記録から、江戸時代の人々は「正直」で「誠実」だと言われることがあり、「今なお江戸時代の日本人が誠実であったとする先入観が多くの人々に共有されているようだ」。しかし、それは本当なのか。両替店の信用調査では、借り入れを申し込んだ顧客の8割が信用調査で不合格であった。不誠実な顧客を排除しようとしたのである。すくなくとも、不誠実な人がいることを前提として両替店は、信用調査の方法に磨きを掛けた。そこをみよういうのである。
 本書の内容は、
第1章 事業概要
第2章 組織と人事
第3章 信用調査の方法と技術
第4章 顧客達の悲喜こもごも
第5章 データで読み解く信用調査と成約数
 の5章構成である。第1章では、とくに主力融資である「延(のべ)為替貸付」の解説が重要である。幕府の公金を預かる両替店は、それを90日以内であれば、融資して運用することができた。そこにいろいろな仕組みがあるのだが、実に巧みなシステムで、びっくりするほどきちんとしていて、近代的にすら見える。
 第2章では、店舗の立地や、店の見取り図を示しての解説および奉公人の構成・報酬、彼らを飴と鞭で巧みにつかう様子が活写される。
 第3章以下、信用調査の方法と技術。まずは「聴合(ききあわせ)」と称する信用調査の実際である。親類をふくめての資産状況、担保物の実際、世間の評判、人柄などが徹底調査される。不安があれば、契約に至らない。不動産の評価の方法もきわめて具体的に示されている。
 第4章では、調査された側の顧客の悲喜こもごもの実例紹介。は遊郭通いで資産を取り崩し、身をもちくずしていくパターンが多く、なにやら浄瑠璃の世話物を思い出す。
 第5章では、契約口数や顧客の業種・人柄・家計状態などのデータを分析、三井が信用調査で業績を上げたことを明らかにする。
 このような研究は、文学研究側から申し上げても、たいへん有り難いものである。
 そして、ここから江戸時代(人)像を再検討する必要があると著者はいう。人々が誠実に見えるのは、両替店の信用調査が「巨大な防犯カメラ」の役目をしていたからだと。大手の金貸しから融資を受けるには、品行方正でなければならなかった。これはいわゆる権力による監視社会というのとはまた違う、品行方正誘導装置としての信用調査システムが働いているということなのだ。
 そもそも、江戸時代の人は、我々よりも「借金生活」が常態だったはずだ。「掛け売り」という慣習もそれだ。三井呉服店(越後屋)は「現金掛け値無し」商法でも有名であるが、現金掛け値無しでしか物が買えないとなると、今の我々だって、質素で、品行がかなり方正になっていくのではないだろうか。そういう江戸時代人にとって、「信用」は命と同じくらい大事なものだっただろう。だから信用調査のスキルは非常に大事になるのである。
 とはいえ、本書を読んで、「信用調査で八割審査おちするくらいだから江戸時代人は一般に不誠実」と簡単にいうべきではない。そもそも、調査される人は、お金の借り入れを申し込んだ人だからである。もちろん、著者は問題提起をしているだけであって、「江戸人は誠実」を否定しようというしているわけではないので誤解なきよう。ただまあ、お金をどんどん使って、貯金をためこむことの少なかった江戸時代の方が、今より経済は回っていたのかも知れませんな。
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2024年06月14日

近世長崎渡来人文運史

 若木太一先生のライフワーク『近世長崎渡来人文運史 言語接触と文化交流の諸相』(勉誠社、2024年6月)が刊行された。総頁数695頁の大著である。若木先生といえば、長崎学。九州大学大学院時代には(もしかすると山口大学時代にも)、長崎に訪書するたびに、若木先生のお世話になった。長く長崎大学に勤められ、さまざまな方面から近世長崎の文化を明らかにしてこられた。本書に入っていない研究成果も少なくないはずである。そして、上田秋成や西鶴の論文もある。『雨月物語』「白峯」の典拠論は不朽の労作で「白峯」研究の必読論文であるし、京都大学附属図書館所蔵の『ぬば玉の記』の紹介も貴重なお仕事であった。
 本論文集のタイトルを見て、唸った。「なるほど!」である。先生の多くの業績をまとめるのに、これほどふさわしい書名は他にない。朝鮮と中国からの渡来の窓口は、対馬・長崎である。キーワードは「筆談」「語学書」「唐話」「通事」「黄檗」であり、これはまさしく、近世日本に大きく刺激を与えた新しい文化の通路だった。人物としては藤原惺窩・石川丈山・雨森芳洲・隠元・鐵心道絆・牛込忠左衛門・林道栄・劉宣義・劉図南・魏五左衛門龍山・向井元升・高玄岱・大潮元晧・高階賜谷・・・・とまさに多士済々で、そのほとんどの論考に年譜が付されている。渡来人と彼らと交遊した人々が生き生きと資料を通して描き出される。
 25本に及ぶ論考の全てを読むにはどれだけかかるかわからないので、ひととおり頁を最後までめくったところで紹介させていただくことにした。第三部渡来人の系譜はなかでも唐通事・唐話会などを扱い、読本研究との関わりも深い。日本における新しい文学は、長崎を通して、渡来人によってもたらされたことが、いまさらながら認識させられる。
 先生の論考の中には「後考を期す」ということばも見える。先生はここで一区切りを付けたが、まだまだやる気だな、と嬉しくなる。本書はおそらく歴史研究者にも多く読まれることになるだろう。
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2024年06月13日

詩歌交響 

 楊昆鵬『詩歌交響 和漢聯句のことばと連想』(臨川書店、2023年2月)。
 刊行されたのは1年4ヶ月前。ここに取り上げることになったのは、少し前に『後陽成天皇』という論集を紹介したが、それを読んだ本書の筆者の楊さんから、その本に収められている和漢聯句の章は、後陽成天皇の和漢聯句活動の一部で不完全なものなので、それを付け加えた完全版を読んでほしいと言って、わざわざ送って来られたことによる。
 たいへん恐縮してしまい、簡単なお礼状を書いたのだが、「和漢聯句」は日本文学の中でも、かなり難解で知識教養を必要とするジャンルで、そう簡単に読み進められるものではない。
 「後陽成天皇の和漢聯句と聯句」と題する章は、本書の最後に位置する。たとえば和漢千句興行を四回も主催したことは空前絶後だそうで、後陽成天皇は和漢聯句に熱心であった。この豊かな文学的な実りを見事に収穫し、それをわかりやすく提示した章となっている。日記類を駆使して、その実態を叙述し、合わせて和漢聯句の興行の仕方を伝え、なおかつ句について、詳細に注釈・解説していく。そこに天皇の機知・教養とセンスの良さを見、さらに政治性(政治的題材)を手がかりに、作風の変化に及ぶ。
 考えてみれば、中国に生まれて、日本で文学を学んだ方に、「和漢聯句」という研究テーマはあまりにもぴったりである。名古屋大学大学院で塩村耕さんに学び、京都大学大学院で大谷雅夫さんに学んだことも、素晴らしい師との出会いだっただろう。論述の学問的な確かさに厳しい指導が透けて見える。 
 ちなみに楊さんは「聯句」を「れんぐ」と読ませているが、古くはそう読んだと辞書にもある。「れんく」となるのは、どのあたりからなのだろう?
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2024年06月12日

ョ山陽 詩魂と史眼

 揖斐高さんの『ョ山陽 詩魂と史眼』(岩波新書、2024年5月)が刊行された。
 ョ山陽については、「鞭声粛々、夜河を渡る」の詩句が余りにも有名だが、小学校の運動会で、詩吟にのせて集団演技した記憶がある。後にそれがョ山陽の作だと知る。大学院の演習で、父春水の『在津紀事』を読んでいたことがあり、『ョ山陽全書』を繰ったこともあったが、その後アンテナにかかることがなく、中村真一郎の『頼山陽とその時代』を読んだくらいであった。もちろん、読みやすい文庫や新書も出ていたのだろうけれど。少し前に揖斐さんによる、『頼山陽詩選』(岩波文庫)が出て、今回の新書による入門書的な本が提供されたのは、ありがたいことで、改めてョ山陽の生涯、詩人として、歴史家としての概要をつかむことが出来た。いつもながら揖斐さんの文章はわかりやすく、入門書として最適の文体で書かれていると言ってよいだろう。
 伝記では、あらためて十九世紀の京都文壇で、山陽が重要人物であることを再確認させられた。公家の日野資愛、高槻の藤井竹外との交わりは、とくに私にとって興味深い。
 詩については、詩選の方に譲ったところも多いのか、紙幅はそんなにとっていないが、いわゆる欄外評を使っての分析が面白い。
 歴史と歴史思想については、勉強になる。「勢」と「機」という概念を重視する歴史哲学は、孫子の影響を受けているのではないかという指摘に、なるほどと頷く。気になりながら未読の濱野靖一郎氏の『頼山陽の思想』とはどう切り結ぶのか?
 問題意識的に最も共感するのは、語りに注目する「第十三章『日本外史』の筆法」で、「例えば平氏の巻と源氏の巻で同じ歴史的な出来事を記していても、いっぽうでは源氏側の視点で記述し、もういっぽうでは平氏側の視点で記述しているというのである」「こうした異なる視点に拠る複眼的な叙述法が、結果的に『日本外史』に奥行きを与え、歴史の中で行動する人間を臨場感をもって描写することを可能にした」という指摘である。いわゆる客観的な歴史叙述ではない文学性が、『日本外史』の魅力になっていると。このような指摘はあるいは既に行われているのかもしれないが、「詩魂と史眼」が融合したところに山陽らしさを見るというのは、魅力的な視点だと思う。
 あとがきには、揖斐さんの山陽との関わりが、人(本)との出会いによって深まっていったことが記される。まことに研究とは出会いであるなあと、これを拝読して思ったことであった。

 
  
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2024年06月10日

学会私記(専修大学)

6月8日から10日まで、専修大学で日本近世文学会が行われた。今回は、全ての発表を聞いたわけではなく、発表以外の部分でも印象的なことが多かったので、「私記」を謳う。これまでも「私記」だったのだけど。
今回は、事務局・開催校がたくさんの企画を打ち出した。
天理ギャラリーで行われている北村季吟の展示との連携企画。土曜午前に行った。チケットを無料配布。展示は北村季吟の仕事を総合的に把握できるように工夫されたもので、芭蕉との接続、古典への向き合い方など適切なコンテンツが並べられていた。小規模ながら、充実したもの。
初日のシンポジウムは、神田古書店の老舗、一誠堂書店、誠心堂書店、大屋書房の三店からパネリストをお招きし、司会の津田真弓氏や聞き手の有澤知世氏が、自身もパワーポイントを用意しつつ、神田古書店の歴史や、仕事を、熱心な顧客の思い出などを次々に聞き出して行った。和書の個人的な保管方法など、実践的な質疑応答もあった。裏番組は若手交流会でこちらも盛況だったと聞く。総会前には、日本近世文学会賞の授賞式。慶應義塾大学大学院の浅井万優さんが授賞。デジタル文学地図の研究集会にも来てくれていた方なので、こちらも嬉しい。
 懇親会でもひさしぶりに会話する人が多かった。田中則雄さんが古典再興について憂慮しておられ、近年私の関わった『古典の再生』を真摯に読んで下さっていたことに感銘を受けたり、古い友人である久保田啓一さんとそれぞれの今後の研究の展望について語り合ったりなど、楽しく会話した。最近、二日酔いで苦しんだことがあったので、ウーロン茶や炭酸水をまぜながら、飲み過ぎないように注意した(飲んだのはワイン2杯だけ)。
 2日め、やはり旧友のロバート・キャンベルさんと書籍販売コーナー近くでばったりあって、彼が最近翻訳した『戦争語彙集』(岩波書店)の感想を伝えた。原作者を日本に招いての講演会やシンポジウムのプロデュース(3回ほどやったらしい)などの話や、彼が今とりくんでいる、ある趣向をもつ物語についての話など、語り合っているとあっという間に時間が経って、彼の昼食時間がなくなってしまった。
午後のトップバッターは後輩の勝又基さんの「大丸屋」の発表。後輩の丸井さんが会場校だったので、一肌脱いだとか。UCバークレーの三井コレクションの写本をずっと調査してきたので、その一本を使って、「写本文化」論を提唱するところに落とし込むものだった。ポイントになる妖刀が歌舞伎の影響を受けてあとから付け加えられたかどうかのところに質疑のポイントがあったようだ。
 2日目終了後は、発表した勝又さん、キャンベルさん、宮崎修多さんら「九州」ゆかりの人たちで軽く食事をして、ほっこりした気分になった。
 3日目は、今回の古書店連携企画の第2弾神保町古書店ツアー。5グループに分かれて7、8人ずつグループで五店を回る。我々のグループは沙羅書房、大屋書房、一誠堂書店、誠心堂書店、日本書房の順。時間があっという間で、次のグループが外で待つという場面が二度、三度。面白い本を惜しみなく展観してくれていて、手で触りながら堪能できた。同じグループだった天野聡一さんとランチして帰阪。ひさしぶりに神保町の本と食に浸り、旧交をあたためた学会でありました。発表内容にほとんどふれずにすみません。
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