2024年07月24日

その悩み、古典が解決します

菱岡憲司さんの『その悩み、古典が解決します。』(2024年7月、晶文社)は、明日発売らしいのですが、ありがたいことに著者から献呈されて一足先に読ませていただきました! 非常勤先への往復の電車の中で読了できました。
寄せられた?悩みをいくつか紹介すると・・・
「いろいろとやりたいことがあって困ります」
「とにかく集中力がありません」
「適切なセックスの回数というのは、どれくらいなのでしょうか?」
「文学を勉強するって、なんの役に立つんですか?」
「どうしたら人の心を読めますか?」
「あがり症で困っています」
 全部で30の悩みに、「古典」を使って、爽快に回答してゆく菱岡さん、いや天晴れ。
 ご自身、古典で悩みを解決してきたと豪語するが、それは本当のようで、「いろいろとやりたいことがあって困ります」に対する回答(ネタバレになるのでここではいいませんが)を、菱岡さんが自ら実践しているのを私は聞いたことがある。それが、古典に基づいていることを知らなかったのだが、今回それを知り得て、心から納得した。
 私もかつて、学生に向かって言ったことがある。「大事なことは、すべて古典(のどこかに)書いてある」と。
とはいえ、さまざなな実際的な悩み、哲学的な悩み、人間関係の悩みに、「そういう症状には、はいこれ!」とまるで「古典薬局」の薬剤師みたいに、適切なお薬を出すのは、そんなに簡単ではない。菱岡さんならではなのだが、やはりまずは菱岡さんの読書量がものをいう。しかも、快活で、ひねりのきいた、一筋縄ではいかない、読んで面白い解決法であり、そのヒントは、すべて古典、それも、あんまり人が読んだことのない江戸時代の古典なのである。
 菱岡さんは大事なことを言っている。古典を読むことは「異文化交流」なのだと。海外で「へー、こんな文化が、こんな考え方があるのか」と目から鱗の体験をすることを異文化交流のひとつだとすれば、古典を読むことも立派な異文化交流である。へー江戸時代の人は、こんな考え方で悩みを乗り越えたのか?と。逆もあるだろう。海外に行って、へー、私達の国とそこは同じなんだ!という感想を持つことがあるが、古典にもそれがある。その両方があるから、「おーっ」という悩み解決法がある。
 それを上手に引き出すのが菱岡さん。そこには「古典は人生を豊かにする」とか「教養を涵養する」というような教訓臭さは全くない。
 この本に紹介されている数々の古典、みんな掛け値なしで「面白い!」。だからこそ、今まで読まれ続けて残いるのですよ。外れがないのが古典です。
 ともあれ、快著!
 
 

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2024年07月20日

武士の道徳学

 川平敏文『武士の道徳学ー徳川吉宗と室鳩巣『駿台雑話』』(角川選書、2024年6月)が刊行された。
 本書によれば、儒者和文の名手である鳩巣の文章は、戦前まで旧制中学校の教科書で8割、高等女学校の教科書で5割に掲載されていた。しかし、戦後はほぼ掲載がなくなった。こういった例は他にも少なくないが、多くは忠孝を讃えるような「封建的」な思想ゆえに、戦後民主主義になじまないためである。著者はまた、古文教育が、「現代文」教育と対置されることで、「精選」されることになり、多くが中古中世の和歌・物語・随筆・説話となるとともに、「漢文」もあることから、漢文訓読体と擬古文体のまざった標準的な和文は中途半端で掲載されることがなくなったことも理由のひとつとして上げる。
 皮肉なことに、このことが、生徒達の「古文嫌い」を増やしてしまったのだと私は考えている。思想的にも全く問題ない、詠みやすく面白い「古文」がたくさんあることは、「こんなによみやすい古文があるんですね」という、私の授業を受けた学生の感想に多く見られることでも明らかなのである。
 その名文『駿台雑話』を中心に、徳川吉宗に仕えた室鳩巣の人と思想を、わかりやすく紹介したのが本書である。特に私自身の研究とリンクするところで面白かったのは、川平さんが『駿台雑話』を談義本、あるいは「奇談」書に類したものと指摘しているところである。享保期には、談話(講釈・問答・咄)をベースとした読み物がはやり、その一群を本屋は「奇談」と分類したのだが(拙稿「近世文学の一領域としての「奇談」、日本文学、2012年10月号)、川平さんは拙稿を引用してくださり、その位置づけをしてくれた。そして、享保期の教訓談義本の作者を代表する佚斎樗山らとその「社会的属性」が共通すること、すなわち幕府ないし幕府に近い家臣であることを指摘する。それが町人へと拡がって談義本の流行を見るようになるのである。
 本書には、おもしろいトピックがいくつもあるが、私の興味を引いたのは、御前講釈のリアルな記録(57頁あたり)、『六諭衍義大意』をめぐる吉宗と鳩素の綱引き(87頁あたり)、武道人情論の主張(206頁あたり)あたりであった。
 
 

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2024年07月17日

五山文学探究 資料と論考

 堀川貴司さんの『五山文学探究 資料と論考』(文学通信、2024年5月)。2011年の『五山文学研究ー資料と論考』、2015年の『続 五山文学研究ー資料と論考』(いずれも笠間書院)の続編に相当するという。中世日本漢文学研究者として、ゆるぎない信頼をもつ堀川さんは、『書誌学入門ー古典籍を見る・知る・読む』(勉誠出版)という名著もある。文献に基づく堅実な論考を絶え間なく生産し続けている。
 本書についてコメントすることなど、私にできるわけもないが、第4章のはじめに書いておられる、中世における唐物の日本文化への定着が、「モノ」の移動だけではなく、中国・日本の禅僧という「ヒト」の相互往来によって、行われ、広まったという当然の指摘を、今更ながら再認識させていただいた。近世においても禅僧の存在の意味は大きく、漢文学のみならず、散文を考える際にもポイントになるし、人的交流からみる文壇史にも欠かせない視点となる。それを思い起こさせてくれる。第7章の「富士山像の変遷」もまことに勉強になる。石川丈山の著名な「白扇倒懸東海天」の句をもる「富士山」の詩も、五山で詠まれた富士山詩の流れに位置させることで、その独自性が際立つことになる。第14章の「『江湖風月集』注釈の展開」は、出版によって中世の「知」がひろく普及することのあることが指摘されている。
 知の展開という視点でいえば、五山文学の重要さは看過できないことをあらためて知らされた一書である。
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2024年07月12日

「和歌所」の鎌倉時代

 小川剛生さんの『「和歌所」の鎌倉時代ー勅撰集はいかに編纂され、なぜ続いたか』(NHKブックス、2024年6月)。
 勅撰集とは全部で21回にわたり作られた。そのうち古今集、後撰集、拾遺集を「三代集」と言い、古今集から新古今集までを「八代集」という。「本歌取り」されるのは「八代集」まで(本書15頁)で、そのあと続くのは「十三代集」と一括して呼ばれ、文学史的な評価は低い。そういえば、奥村恒哉氏によれば、「歌枕」認定も、「八代集」までだったように記憶する。しかし「勅撰和歌集の権威が確立するのはむしろ鎌倉時代であ」り、下命者は治天の君(上皇か天皇)であり、「編纂は政治日程の上に位置づけられた。そして撰者の私邸を「和歌所」と称した」(本書13頁)。そして「十三代集は、八代集とは異なる力学によって作られている」(17頁)という。
 本書は序章で和歌所とその源流について解説し、続く第一章で新古今和歌集を扱い、九章(続後拾遺和歌集)まで次々に作られる勅撰集の政治ドラマ(人間ドラマ)を叙述する。小川さんの歴史知識がものすごく、「そうなのか!」と何度も頷きながら頁をめくる。入集希望者への対応(書状・面会)なども生々しい。政治力学があちこちで働く様子もよくわかる。人間関係を配慮しなければならず、撰者は単にいい歌を選ぶというだけではない、またそれをどう配列するかにも腐心する。定家が撰者である新勅撰和歌の集巻十九雑四は七十五首すべてが名所歌であるが、その配列は整然としており、「下命者が全国を統治していること、統治している地域はすべて和歌がゆきわたっていることを示すという王土王民思想が看取される」(99頁)と。これは名所歌に目下関心のある私のアンテナに強く反応する。また二条為世と京極為兼の玉葉集撰者をめぐる争いも壮絶を極める。その為世の議論を「陳腐な三段論法」と切って捨てるあたり、小川さんの厳しい評価が見られるが、和歌についても結構忌憚のない批評をしていて、非常に読んで痛快でもある。
 ただ、私に中世史と中世和歌(史)の知識がなさすぎて、本書の本当の価値を伝えられていないことは大変申し訳ない。完全に門外漢の感想として読み流していただき、専門家のご批評を是非ご参考にされたい。ただし、読む方に知識なくても面白いことは保証します。
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2024年07月11日

『人情本入門』

武藤元昭監修・木越俊介編『人情本入門』(花鳥社、2024年7月)が刊行された。
 2010年に国文学研究資料館編で『人情本事典』(笠間書院)が刊行されて、もう14年というのに驚いたが、その続編という位置づけで間違ってはいないだろう。『人情本事典』は文政期の人情本を取り上げたが、その後の天保期、人情本の最盛期、『春色梅暦』を中心とする作品56の解題である。「入門」を謳うだけあって、人情本についての基本的な知識も数十頁にわたって掲載される。「商家繁栄譚」というのが基本だということである。
 今はなき鈴木圭一さんは、人情本というより中本研究の第一人者であったが、2019年に逝去された。鈴木さんの遺された文章は人情本概説として貴重なものである。そして、その鈴木圭一旧蔵コレクションについても後学の伊藤さんによって書かれている。本書によれば、人情本の研究者に若い方が加わってきたのは頼もしい限りである。私と同い年の鈴木さんの研究が、このような形で引き継がれていくのは、嬉しいことである。とはいえ、人情本の研究は、読本に比べるとまだまだ隆盛とはいえない。本書が、若い人が研究を志すきっかけになればありがたい。以前にくらべ、画像データベースの充実によって研究もかなりやりやすくなっているので。
 また、本書は大学のテキストとして使える一方、一般読者へもアピールする装幀となっている。人情本は、当時の江戸時代の女性を虜にした〈恋愛小説〉である。面白くないはずはない。この本を手引きに、人情本の読者が少しでも増えたら嬉しいことである。
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2024年07月10日

中国/日本〈漢〉文化大事典

 標記の事典が刊行された。版元は明治書院。奥付は2024年6月30日。今届いたばかりである。「中国/日本」は角書きである。当初『漢文学大事典』という本を作るのかと思っていたが、あえて『〈漢〉文化大事典』と命名している。911頁。大項目立項主義で、中国編252項目、日本編174項目である。これは、引く事典というより読む事典だろう。もちろん五十音目次もあるので、引くこともできる。
 文学事典ではなく文化事典なので、語学・音楽・出版・思想・書画・諸芸と多岐にわたる。日本編では、全体にわたる項目として「漢文学の受容と変容」「中国観の変遷」「漢文訓読・訓点」「字書」「類書」「和歌と漢詩」「歌学と詩論」「書」「唐絵」「庭園」「漢籍の出版」がある。続いて時代順に項目をたててゆくが、江戸時代については、60項目以上が立てられている。「雅俗」「朱子学」「林家」「木門」「朝鮮通信使」「唐話学」「寺子屋」「俳諧」「老荘思想」など、こちらも多彩である。人物としては、秋成や宣長も立項されている(この2つは私が担当)、漢詩関係の立項が多いのはもちろんだが、散文ジャンルも仮名草子、談義本(私が担当)、洒落本、読本などがある。それぞれ読むと結構執筆者の色が出ていて面白い。100頁強を通読すれば、江戸時代〈漢〉文化史を読むことになる。明治以降もある。〈漢〉と〈〉で括ったのは、〈漢文〉化事典と誤解されないためだろうか。
相当長い年月をかけて完成した事典であるが、やはり出来てみると、なかなか画期的な事典だと思う。図書館・研究室そして漢文学に興味のある個人は必備であろう。
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