2024年7月に文学通信から刊行された前田雅之『戦乱で躍動する日本中世の古典学』。すでに刊行から4ヶ月経とうとしているが、本書に言及せずして、今年を終えることはできない。とはいえ900頁を超える大著である。向き合い方によっては年を越してしまう。よってここでは、そのほんの一滴を掌に載せて、しばし観察してみたい。
プロローグで、いきなり「文学と戦争の親和性」が提起される。たしか前田さんは軍事史をもうひとつの専門とする方であり、「文学とは平和への祈り」という甘いテーゼを容認するはずはない。私は、かつて(院生時代)中上健次が平和のまっただ中で「文学(者)は戦争を欲している」という見出しの文芸時評を書き、それを相部屋の近代文学専攻のN君が見て興奮していたことを思い出した。
一方で、著者のいう「古典公共圏」のベースに置かれる、古今、伊勢。源氏、朗詠集の四大古典には、戦乱のかけらも見られない。そこは、どのように考えればいいのか。本書を読むに当たって、いやおうなく読者は問題意識を植え付けられるのである。
第一部「和歌の世界」の序論には、すでにその見通しが述べられている。「戦乱・政治変革と古典・和歌の相互補完的循環構造」の論から引用する。
「文事」「文学」の外部に属する政治変革(政争)・戦乱といった例外=非常事態が、現状に対する激越な危機意識や喪われた過去を求める始原回帰意識、もしくは、それらかれ連想的に想起される秩序恢復願望などを惹起・勃興させることになるだろうと。その時、その具体的かつ有効な道具や手段、否、そうした意識を叶え、具現化する装置として、古典・和歌が用いられるのではないか。そうして和歌・古典活動が活発となり、それら自身が種々の変容を伴いつつ改良・革新しながらこれまで以上の広範な階層にまで流布拡大していく。こうした一連の展開を見て、政治変革・戦乱は、古典・和歌にとって、あたかもイノベーションと同等の役割を果たしたと考えてみたいのである。
応仁の乱と宗祇ら連歌師や三條西実隆そして武将らの古典への熱意、南北朝から室町にかけての不安定な政情の中で着々と企てられる勅撰和歌集などの例をあげ、各論でそれを精緻に検証してゆく。
第二部「古典学の世界」では、従来の国文学の方法では析出できない、古典と呼ばれる書物とはなんだったのか、それらはどういうものだったのか、どうしてこれらの書物がよく読まれ、かくも保存されたのか、という、いわば書物学を取り込んだ古典学を展開する。筆者の持論の「古典公共圏」をきわめて体系的に論じている。総論と各論を効果的に交え、巨大な「古典学」学が姿を現す。
古典(学)不要論の現代を見すえつつ、なぜ古典学が必要なのか、この論文の集成が一つの挑戦的な回答を具現化しているのである。以上、とりあえずの感想である。
2024年11月25日
2024年11月17日
学会記(佛教大学)
恒例の学会記。2024年秋季大会は、観光シーズンまっただ中の京都、佛教大学での開催。ホテルを取るのが大変だったようだ。取れても洛中ではないビジネスホテルで2万円ちかくとか、奈良にやっと取れたとか。
佛教大学のキャンパスは大変立派で、清潔で、快適な空間であった。
土曜日は、研究発表4本、その中で道外役嵐音吉に関する発表があり、この役者は戯作評判記で作者の力量を役者に喩える描写で、「もたれ気のない」のが嵐音吉みたいと評されていたので、興味を持って聴いた。ついつい質問してしまったが、拙著を読んで下さっていたので、既に承知していたようであった。
日曜日は、午前中に国文研の大型プロジェクトの「データ駆動」に関わるシンポジウム。我々は「データ駆動」=「データ活用」と思ってしまうのだが、実はそうではないようである。我々がやりたいことを実現するためにデータを活用するのは「要求駆動」だという。そういえば、3月の人文学情報研究所主催のシンポジウムで、海外のデータ駆動研究の第一人者の話を聞いたことを思い出したので、フロアからのコメントを求められた時に、ちょっと発言をしてしまった。今回のシンポジウムでは、「データ駆動」というのが何なのか、ということをまず問わねばならないことが明らかになったということだろうか。
午後ラストの大谷俊太さんの発表は、江戸中期の名もない歌人のとんでもない歌集の紹介。超有名な古歌を「直し」て、初学者の参考にするという、異色の歌集である。まさに近世中期の「畸人」の一人と言ってよいだろう。
浜田泰彦氏をはじめとする佛教大学スタッフ、実行組織のみなさん、事務局のみなさん、登壇者のみなさん、お疲れ様、ありがとうございました。
佛教大学のキャンパスは大変立派で、清潔で、快適な空間であった。
土曜日は、研究発表4本、その中で道外役嵐音吉に関する発表があり、この役者は戯作評判記で作者の力量を役者に喩える描写で、「もたれ気のない」のが嵐音吉みたいと評されていたので、興味を持って聴いた。ついつい質問してしまったが、拙著を読んで下さっていたので、既に承知していたようであった。
日曜日は、午前中に国文研の大型プロジェクトの「データ駆動」に関わるシンポジウム。我々は「データ駆動」=「データ活用」と思ってしまうのだが、実はそうではないようである。我々がやりたいことを実現するためにデータを活用するのは「要求駆動」だという。そういえば、3月の人文学情報研究所主催のシンポジウムで、海外のデータ駆動研究の第一人者の話を聞いたことを思い出したので、フロアからのコメントを求められた時に、ちょっと発言をしてしまった。今回のシンポジウムでは、「データ駆動」というのが何なのか、ということをまず問わねばならないことが明らかになったということだろうか。
午後ラストの大谷俊太さんの発表は、江戸中期の名もない歌人のとんでもない歌集の紹介。超有名な古歌を「直し」て、初学者の参考にするという、異色の歌集である。まさに近世中期の「畸人」の一人と言ってよいだろう。
浜田泰彦氏をはじめとする佛教大学スタッフ、実行組織のみなさん、事務局のみなさん、登壇者のみなさん、お疲れ様、ありがとうございました。
2024年11月10日
大和文華館の呉春展
数日前、大和文華館で行われている呉春展を観に行った。ここ数年、諸処で呉春の展示を見たが、この展示が、呉春の全体像を映し出すという意味では、もっとも見応えのあるものだった。
呉春は、秋成との交友もあり、ふたりによる画賛も少なくない。そして妙法院宮真仁法親王の厚い信頼を得て、同所に頻繁に出入りし、即興画を描くこともよくある。なんといっても、真仁法親王の肖像を描いている。この肖像画も今回展示されていた。随分前に行われた京博での「妙法院と三十三間堂」以来、お目にかかった。秋成と真仁法親王を研究対象としている私としては、小澤蘆庵と並ぶ重要人物である。
呉春は妙法院の推挙によって宮廷絵師ともなった。同時代には間違いなく高い人気を誇ったが、図録解説にもあるように、師である蕪村、そして呉春のすこし前に京都で圧倒的な存在感を示した円山応挙の陰に隠れて、あまり大々的に取り上げられることがない。しかし、今回は、量的にはそれほどでもないが、その渇を癒やすに十分な充実ぶりであった。
呉春は洒脱で、人づきあいが巧く、とんがった性格ではないように思う。それが、とんがった人に好かれた理由ではないかと思う。呉春の絵を見ていると、なにか安心する。品のよさと、バランスのよさ、落ち着きといったものを感じさせる。
蕪村には絵だけでなく俳諧も学んでいて、文学的だと思わせる絵もある。TPOを弁えた、融通無碍な画風は、個性的とはいえないが、人的交流を大切にする江戸時代には重宝がられたと思う。謡好きや食通ぶりを示す資料も展示されていて、呉春の人柄を感じさせる、私にとっては非常にありがたい展示だった。
呉春は、秋成との交友もあり、ふたりによる画賛も少なくない。そして妙法院宮真仁法親王の厚い信頼を得て、同所に頻繁に出入りし、即興画を描くこともよくある。なんといっても、真仁法親王の肖像を描いている。この肖像画も今回展示されていた。随分前に行われた京博での「妙法院と三十三間堂」以来、お目にかかった。秋成と真仁法親王を研究対象としている私としては、小澤蘆庵と並ぶ重要人物である。
呉春は妙法院の推挙によって宮廷絵師ともなった。同時代には間違いなく高い人気を誇ったが、図録解説にもあるように、師である蕪村、そして呉春のすこし前に京都で圧倒的な存在感を示した円山応挙の陰に隠れて、あまり大々的に取り上げられることがない。しかし、今回は、量的にはそれほどでもないが、その渇を癒やすに十分な充実ぶりであった。
呉春は洒脱で、人づきあいが巧く、とんがった性格ではないように思う。それが、とんがった人に好かれた理由ではないかと思う。呉春の絵を見ていると、なにか安心する。品のよさと、バランスのよさ、落ち着きといったものを感じさせる。
蕪村には絵だけでなく俳諧も学んでいて、文学的だと思わせる絵もある。TPOを弁えた、融通無碍な画風は、個性的とはいえないが、人的交流を大切にする江戸時代には重宝がられたと思う。謡好きや食通ぶりを示す資料も展示されていて、呉春の人柄を感じさせる、私にとっては非常にありがたい展示だった。
2024年11月05日
日本人にとって教養とはなにか
ブログを再開して1ヶ月ちょっと。さぼっている間に、本ブログで紹介したいと思っていた本がたまっていたが、順不同で紹介していきたい。タイムラグがかなりある本もありますが、お許しを。
まず、鈴木健一さんの『日本人にとって教養とはなにか 〈和〉〈漢〉〈洋〉の文化史』(勉誠社、2024年10月)。
〈教養〉にずっとこだわりつづけた、鈴木さんならではの一書で、これまでの研究の蓄積を感じさせる好著である。序章に書かれているように、私達の子供のころ、百科事典ブームというのが確かにあった。我が家にはなかったが、友達の家に置いていることが多かった。世界文学全集みたいなのもブームだった。あのころはまだ教養の時代であった。平成のはじめごろから、大学から教養部が次々になくなってしまった。
本書は、日本における「教養」もしくは「教養書」の歴史を平易に説いたものである。江戸時代に頁を多く割かれていること、和漢のみならず〈洋〉を重視して、和漢と並行する教養基盤と見立てている点に特徴がある。〈洋〉を〈和〉〈漢〉と同等に扱うのは、古典研究者の著書にはあまり見られない。しかし、いうまでもなく、今日の我々の教養は、和漢洋に基づいており、とくに〈洋〉は欠かせないものである。今日への繋がりを考えれば、〈洋〉は無視できないのは当然なのだ。
本書は教養(書)の歴史を平易に説きつつも、この本を読むことで、教養が身につくという仕組みになっているように思う。時代時代における教養とは南アのか、教養がどういう本によって普及浸透していくのかを読み進めていくうちに、和漢洋の基礎的な教養も身についていくのである。教養について、ずっと考えてこられた鈴木健一さんだから書ける本と言えるだろう。〈和〉〈漢〉〈洋〉の展開の見取り図も説得力あるものである。以上、散漫な感想である。
まず、鈴木健一さんの『日本人にとって教養とはなにか 〈和〉〈漢〉〈洋〉の文化史』(勉誠社、2024年10月)。
〈教養〉にずっとこだわりつづけた、鈴木さんならではの一書で、これまでの研究の蓄積を感じさせる好著である。序章に書かれているように、私達の子供のころ、百科事典ブームというのが確かにあった。我が家にはなかったが、友達の家に置いていることが多かった。世界文学全集みたいなのもブームだった。あのころはまだ教養の時代であった。平成のはじめごろから、大学から教養部が次々になくなってしまった。
本書は、日本における「教養」もしくは「教養書」の歴史を平易に説いたものである。江戸時代に頁を多く割かれていること、和漢のみならず〈洋〉を重視して、和漢と並行する教養基盤と見立てている点に特徴がある。〈洋〉を〈和〉〈漢〉と同等に扱うのは、古典研究者の著書にはあまり見られない。しかし、いうまでもなく、今日の我々の教養は、和漢洋に基づいており、とくに〈洋〉は欠かせないものである。今日への繋がりを考えれば、〈洋〉は無視できないのは当然なのだ。
本書は教養(書)の歴史を平易に説きつつも、この本を読むことで、教養が身につくという仕組みになっているように思う。時代時代における教養とは南アのか、教養がどういう本によって普及浸透していくのかを読み進めていくうちに、和漢洋の基礎的な教養も身についていくのである。教養について、ずっと考えてこられた鈴木健一さんだから書ける本と言えるだろう。〈和〉〈漢〉〈洋〉の展開の見取り図も説得力あるものである。以上、散漫な感想である。
2024年11月03日
仮名読物史の十八世紀
拙著『仮名読物史の十八世紀』(ぺりかん社 2024年11月)が発売されました。
「近世小説史」をたどると、十八世紀、とくに享保から宝暦・明和あたりは、前期から後期への移行期で、混沌・未分化な状況です。そこをなんとか新たな枠組で把握できないかと試行錯誤してみた既発表の諸論を元に、削るべき削り、加筆すべきは加筆して、一書の体裁に整えてみました。
「仮名読物」という枠組と、書籍目録の分類項目である「奇談」そして、私の造語である「学説寓言」をキーワードに構成しました。一番古いものは1988年初出、ちと時間がかかりすぎの論文集ですが、なにかで縁があってご一読たまわれば幸いです。
目次を以下に挙げておきます。
序論 十八世紀の仮名読物
第一部 江戸産仮名読物の誕生
第一章 佚斎樗山の登場
第二章 常盤潭北と教訓書
第三章 『作者評判千石篩』考
第二部 奇談という領域
第一章 近世文学の一領域としての「奇談」
第二章 奇談から読本へ ―― 『英草紙』の位置
第三章 浮世草子と読本のあいだ
第四章 「奇談」の場
第五章 「奇談」史の一齣
第三部 <学説寓言>の時代
第一章 怪異と寓言 ―― 浮世草子・談義本・初期読本
第二章 前期読本における和歌・物語談義
第三章 大江文坡と源氏物語秘伝 ―― <学説寓言>としての『怪談とのゐ袋』冒頭話
第四章 『垣根草』第四話の<学説寓言>
第五章 『新斎夜話』第一話の<学説寓言> ―― 王昭君詩と大石良雄
第四部 仮名読物の諸相
第一章 怪異語り序説
第二章 「菊花の約」の読解
第三章 尼子経久物語としての「菊花の約」
第四章 濫觴期絵本読本における公家・地下官人の序文
第五章 『絵本太閤記』「淀君行状」と『唐土の吉野』
第六章 『摂津名所図会』は何を描いたか
初出一覧
あとがき
「近世小説史」をたどると、十八世紀、とくに享保から宝暦・明和あたりは、前期から後期への移行期で、混沌・未分化な状況です。そこをなんとか新たな枠組で把握できないかと試行錯誤してみた既発表の諸論を元に、削るべき削り、加筆すべきは加筆して、一書の体裁に整えてみました。
「仮名読物」という枠組と、書籍目録の分類項目である「奇談」そして、私の造語である「学説寓言」をキーワードに構成しました。一番古いものは1988年初出、ちと時間がかかりすぎの論文集ですが、なにかで縁があってご一読たまわれば幸いです。
目次を以下に挙げておきます。
序論 十八世紀の仮名読物
第一部 江戸産仮名読物の誕生
第一章 佚斎樗山の登場
第二章 常盤潭北と教訓書
第三章 『作者評判千石篩』考
第二部 奇談という領域
第一章 近世文学の一領域としての「奇談」
第二章 奇談から読本へ ―― 『英草紙』の位置
第三章 浮世草子と読本のあいだ
第四章 「奇談」の場
第五章 「奇談」史の一齣
第三部 <学説寓言>の時代
第一章 怪異と寓言 ―― 浮世草子・談義本・初期読本
第二章 前期読本における和歌・物語談義
第三章 大江文坡と源氏物語秘伝 ―― <学説寓言>としての『怪談とのゐ袋』冒頭話
第四章 『垣根草』第四話の<学説寓言>
第五章 『新斎夜話』第一話の<学説寓言> ―― 王昭君詩と大石良雄
第四部 仮名読物の諸相
第一章 怪異語り序説
第二章 「菊花の約」の読解
第三章 尼子経久物語としての「菊花の約」
第四章 濫觴期絵本読本における公家・地下官人の序文
第五章 『絵本太閤記』「淀君行状」と『唐土の吉野』
第六章 『摂津名所図会』は何を描いたか
初出一覧
あとがき