柏木隆雄先生の『本居宣長・本居春庭・小津久足・小津安二郎 伊勢松阪の知の系譜』(和泉書院、2024年11月)が刊行された。
伊勢松阪出身の柏木先生が、夕刊三重新聞に毎週土曜日に連載していた、伊勢松阪「小津党」の本居宣長・本居春庭・小津久足・小津安二郎の四人について、独自の視点から、その知の在り方と、繋がりを、高度なレベルで、しかしとても読みやすく描ききった快作である。先生はバルザックなどを専門とするフランス文学者でありながら、日本文学にも通暁しておられるため、これまでも日本文学についての論文や著作を数多く発表されている。しかし、本作の中心は江戸時代後半の国学者評伝であり、膨大な資料を読み込むのに相当な時間を要したに違いないと思われる。それにも関わらず、専門家も気づかない指摘や分析をさりげなく織り交ぜながら、「知の系譜」と称するに相応しい展開を見せたのは、流石である。小津安二郎まで繋げて、このような系譜として描くのはなかなかの難業であるが、その松阪の知の系譜に連なるといっても過言ではない柏木先生の対象愛がそれを可能にしたのだろう。
とはいえ、この長い連載を始めるきっかけは、我が同窓の後輩である菱岡憲司さんの小津久足研究というから、嬉しいではないか。菱岡さんは『大才子小津久足』でサントリー学芸賞を受賞した俊英であり、以前より柏木先生の著書に注目して、片端から読んでいたようなので、まことに知の系譜のさらなる展開と見立ててもそれほど外れてはいまい。
さて、本書である。本居宣長から始めると、どうしてもその後が小さく見えるのが普通だろう。しかし、柏木先生は宣長の学問の方法をズバリと指摘したあと、彼の紀行文『菅笠日記』に多くを費やし、そしてそれでさらっと宣長の項を終わる。『菅笠日記』の分析は、膨大な紀行文を残した久足に繋ぐ伏線でもあるが、『菅笠日記』の面白さを書くことで宣長像が鮮やかに見えてくるのは、柏木先生の巧みな文章のなすところだが、柏木先生自身が宣長の紀行文に深く感じ入っているからだろう。また旅をどう記述するかという視点で、知の系譜を見ていくと、非常にくきやかに時代が、文化観が、古典観が浮かび上がってくるからだろう。それにしても、時折、私的回想を挟みつつ、また読書観を披瀝するのも、読者が「待ってました!」と言いたくなる、素敵な寄り道と言えるのだ。たとえば全集主義や『奥の細道』の意義など、傾聴に値する。
国文学や国語学を志す者が足立巻一の『やちまた』を読めば、必ずや感動する。私も感動した一人である。それほど『やちまた』は宣長の子春庭を感動的に語る。春庭の伝記と、著者らしき青年が春庭の事蹟を研究する重ねの構造が、その感激をより強める。もちろん柏木先生にも『やちまた』への強いリスペクトがある。したがって、春庭への眼差しも自然に優しいように思う。春庭の項目には、彼が眼病を治療しようと、当時の名医谷川氏を訪ねるくだりがあり、それがうまくいかなかったことをわがごとのように嘆く柏木先生の春庭への愛情が映し出される。私も、谷川氏は秋成の失明を恢復させた眼科医であることを知っており、谷川家の御子孫の家に十年以上通っていたので、引きつけられた。
その春庭の門人となり、春庭をサポートしていたのが小津久足である。菱岡氏の翻刻した資料を隅から隅まで読み尽くし、菱岡氏とはまた違った久足像を提起したのは非常に面白い。ひとつは、久足の恋の題詠に、父の後妻へのほのかな思いを読み取るという大胆な仮説。題詠とはそもそも仮構であり、演技であるので、そう見せかけておいて、実は真の想いを込めるという読みは、一瞬受け入れがたいのだが、しかし100パーセントないとはいえない、何かが残る。もしかすると光源氏の藤壺への想いと重なるからであろうか。もうひとつ特徴的なのは、馬琴の殿村篠斎宛書簡などを読み込んで、屈折した馬琴の思いを推理していくスリリングな叙述である。久足への「大才子」とは何か。ここらが最重要ポイントになる。そして、あくまで私の印象だが、馬琴に柏木先生を、久足に菱岡さんを比定して、ついニヤッとしてしまうのだが、これはお二人と付き合いのある数少ない読者である私だから感じることなのだろう。
小津安二郎の各映画への批評は案外に厳しいものが少なくないが、そこには細部を見逃さない柏木先生の映画論があり、小津の描く風景が、宣長や久足の紀行文と重なることも、系譜として浮かび上がってくる指摘となる。
本書については、既に菱岡さんの熱いレビューもある。合わせて読んで下さい
2024年12月18日
2024年12月06日
蔦屋重三郎
来年の大河ドラマ、「べらぼう」の主人公、蔦屋重三郎に関心が集まっている。本屋にいくと、あまたの蔦屋重三郎本が所狭しと並んでいる。しかし、その中で、最も信頼できるのが、鈴木俊幸さんの本である。ここ何十年間、ずっとずっと、まぎれもない蔦屋重三郎研究の第一人者であり続けた。そして、「べらぼう」でも当然ながら考証に深く関わっている。講演依頼もひっきりなしのようで、今猛烈に忙しいようである。
鈴木さんは私と同世代。互いに院生のころに学会で知り合った。すでにこのころから詳細な蔦屋重三郎の出版書目年表を作成しておられた。その後は信州をとくに攻め、書籍流通史を中心に、膨大な業績を上げ、2冊の書籍研究文献目録は、近世近代の研究者にとって必携のツールとなった。私の敬愛する研究者のおひとりである。一度懐徳堂の春秋講座で『御存知商売物』のレクチャーをしていただいたこともある。
蔦屋に関する決定的な研究書は『蔦屋重三郎』(若草書房)であるが、それをやや改編したのが『新版 蔦屋重三郎』(平凡社ライブラリー)、そして「べらぼう」に合わせるタイミングで新たに蔦重像を書き下ろしたのが、『蔦屋重三郎』(平凡社新書、2024年10月)。ビジュアルに見せるのが、監修をつとめられた『別冊太陽 蔦屋重三郎』(平凡社、2024年11月)である。
鈴木さんの中でも、蔦屋像は微妙に変化しているだろうし、時代との関わりという点での知見も深められたに違いない。本だけでなく、肉声でそこのところを聴けたらどんなによいだろう。と思っていたところ、同志社女子大学で、鈴木さんの話がきけるというので、昨日の夕方、喜び勇んで出かけた。表彰文化学部連続公開講座「蔦屋重三郎とは何者ぞ」である。独特の話術で笑いをとりながら、蔦重の本質をきちんと資料に基づいて、淡々とお話になる。資料はフルバージョンで用意されているものの、いつも途中で時間切れになるそうで、今回も新吉原時代で残念ながらタイムアップ。
しかし、本で読んで理解しているはずのことも、鈴木さんの肉声で聞くと、入り方が違う。蔦重のことを語るのに最適の声なんじゃないかと思う。あらためて蔦重の商才のすごさを確認できたのだが、同時に広告メディアとして、吉原散見や、遊女画像集をはじめとするさまざまな新趣向の本を出して行くのに、吉原の人々が入銀というやりかたでサポートしている実態と、そのサポートをとりつける蔦屋の人間通の一面が、手にとるように理解できた。吉原が蔦重を育てたという側面の重要性を認識できた。
打ち上げにも参加させていただき、美味い和食と美味い酒を交わしながらの歓談はこの上ない愉しい時間であった。
鈴木さんは私と同世代。互いに院生のころに学会で知り合った。すでにこのころから詳細な蔦屋重三郎の出版書目年表を作成しておられた。その後は信州をとくに攻め、書籍流通史を中心に、膨大な業績を上げ、2冊の書籍研究文献目録は、近世近代の研究者にとって必携のツールとなった。私の敬愛する研究者のおひとりである。一度懐徳堂の春秋講座で『御存知商売物』のレクチャーをしていただいたこともある。
蔦屋に関する決定的な研究書は『蔦屋重三郎』(若草書房)であるが、それをやや改編したのが『新版 蔦屋重三郎』(平凡社ライブラリー)、そして「べらぼう」に合わせるタイミングで新たに蔦重像を書き下ろしたのが、『蔦屋重三郎』(平凡社新書、2024年10月)。ビジュアルに見せるのが、監修をつとめられた『別冊太陽 蔦屋重三郎』(平凡社、2024年11月)である。
鈴木さんの中でも、蔦屋像は微妙に変化しているだろうし、時代との関わりという点での知見も深められたに違いない。本だけでなく、肉声でそこのところを聴けたらどんなによいだろう。と思っていたところ、同志社女子大学で、鈴木さんの話がきけるというので、昨日の夕方、喜び勇んで出かけた。表彰文化学部連続公開講座「蔦屋重三郎とは何者ぞ」である。独特の話術で笑いをとりながら、蔦重の本質をきちんと資料に基づいて、淡々とお話になる。資料はフルバージョンで用意されているものの、いつも途中で時間切れになるそうで、今回も新吉原時代で残念ながらタイムアップ。
しかし、本で読んで理解しているはずのことも、鈴木さんの肉声で聞くと、入り方が違う。蔦重のことを語るのに最適の声なんじゃないかと思う。あらためて蔦重の商才のすごさを確認できたのだが、同時に広告メディアとして、吉原散見や、遊女画像集をはじめとするさまざまな新趣向の本を出して行くのに、吉原の人々が入銀というやりかたでサポートしている実態と、そのサポートをとりつける蔦屋の人間通の一面が、手にとるように理解できた。吉原が蔦重を育てたという側面の重要性を認識できた。
打ち上げにも参加させていただき、美味い和食と美味い酒を交わしながらの歓談はこの上ない愉しい時間であった。