近世文学会の学会誌『近世文藝』121号(2025年1月)に、王自強さんの「六如の和歌題漢詩について」が掲載されていて、近世上方文壇の人的交流を研究テーマのひとつとしている私としては、非常に勉強になった。私は特に妙法院宮真仁法親王の文芸交流に興味を持っているが、真仁が力を入れていたもののひとつが詩歌会(漢詩と和歌と同じ場で詠む会)で、六如はその常連の一人であった。王さんは、中世からの「和歌題漢詩」の流れという縦軸と、妙法院宮サロンとその兄公延入道親王の詩歌会という横軸(場)の両方から、六如の和歌題詩の定位を試みるスケールの大きな論を展開した。和歌題漢詩という視座と、公延詩歌会という場については、とても勉強させていただき感謝である。王さんの考察は作品の内容にも及び、『頓阿句題百首』の影響を立証した。同時期の歌人もまた頓阿の句題を利用しているし、18世紀には頓阿の家集『草庵集』の注釈書も出ているので、和歌と漢詩の交渉という点でも注目される。そしてこれは、江戸の詩人菊池五山にも及んでいくという。六如は個人的に今注目している詩人なので、私にとっては実にありがたい、タイミングのよい論文であった。
2025年01月31日
「儒教のかたち こころの鑑」展
少し前のことで、現在は既に終わっている展示なのだが、サントリー美術館で行われていた「儒教のかたち こころの鑑 日本美術に見る儒教」を観ました。仏教美術の展示は本当に多いが、儒教をテーマにしたものは珍しい。しかし、私の研究分野(近世文学)は、儒教抜きでは語れない。この展示の企画は素晴らしいものだ。
聖人と儒教の教えを可視化する絵。儒教は何よりまず為政者のための教えであったことを実感する。孔子をはじめとする聖人像。そして賢聖障子。孔子を祭る釈奠図。為政者が何を為すべきかを教える帝鑑図説。儒教の徳目「孝」を体現した人々を描く「二十四孝図」。儒教を学んだ禅僧たちの足跡。湯島聖堂。そして聖人たちの見立て絵まで。
別のコンセプトの展示でもみかけるものがあったが、「儒教」というテーマのもとに集められたこれらの美術品は、まさに「儒教のかたち」を表し、これらの美術品が「こころの鑑」となっていたことを十二分に示していた。図録もたいへんよい出来。
聖人と儒教の教えを可視化する絵。儒教は何よりまず為政者のための教えであったことを実感する。孔子をはじめとする聖人像。そして賢聖障子。孔子を祭る釈奠図。為政者が何を為すべきかを教える帝鑑図説。儒教の徳目「孝」を体現した人々を描く「二十四孝図」。儒教を学んだ禅僧たちの足跡。湯島聖堂。そして聖人たちの見立て絵まで。
別のコンセプトの展示でもみかけるものがあったが、「儒教」というテーマのもとに集められたこれらの美術品は、まさに「儒教のかたち」を表し、これらの美術品が「こころの鑑」となっていたことを十二分に示していた。図録もたいへんよい出来。
2025年01月27日
芭蕉風と芭蕉流
昨日ポストした近世随筆研究会の刺激が効を奏して、書き淀んでいた原稿が一気に進み、完成してしまいました。めでたし。この原稿、やや長めの書評なのですが、なにせ完全な専門外(いや、広い意味では専門内だが不得意なジャンル。論じる資格も本来ないような)の研究書。その関係の先行文献をきちんと読んでいる、そのジャンルの専門家がやるべき仕事だと思うのだが、私に依頼してきたってことは、その専門ではない立場から書いてくれということだよねーと勝手に解釈していたのだが、それでもやはり遅々として筆が進んでいないところに、きのうの中森爆弾。そうやん、専門家ぶって書かなくてもいいんや、とリラックス。その途端楽しく書けました。終わって送信した。書評としてはどうなのかわかりませんが、もともと人選が「不適切にもほどがある」のだから、仕方ないでしょう。
と、関係ない話をしましたが、流れからいくと、ここはもうくだんの中森康之さんが金子はなさんと編んだ『門人から見た芭蕉』(和泉書院、2024年8月刊)を取り上げないといけないでしょう。いやはや長いこせと気になりつつもこちらに挙げていませんでしたな。
門人から見た芭蕉ってなかなか面白いですね。
序論で中森さんが提起するのは「芭蕉風」と「芭蕉流」。芭蕉と其角って全然俳風違いますよね。許六は疑問に思ったんだって。でも芭蕉に言わせれば、「俺の俳風は閑寂を好んで細い、其角の俳風は伊達を好んで細い」。自己の根源的欲求(好んで)が表出したのが「風」である。しかし、繊細に感じ認識するところ(「ほそし」)は共通している。それが「流」である。「風」は違っていい、「流」こそが芭蕉門が共有する感覚であると。それが「芭蕉流」と呼ぶべきものである。実に納得。私の師、中野三敏とその門人たちで考えてみても。仮に「門人からみた中野三敏」ってテーマで、板坂耀子・白石良夫・園田豊・ロバート=キャンベル・宮崎修多・久保田啓一・高橋昌彦・入口敦志・川平敏文・勝又基・盛田帝子・・・まだまだおりますがごめん割愛。まったくの第三者が、それぞれの門人の中野先生との関わりを書いたらって想像すると楽しいですね。みんな「学風」は違うけど、どこか「中野流」であるところが共通しているって話である。
きのうの研究会で中森さんは、研究を外に開くべきだということを言っていた。それにはこうしたいという強い志が必要であると。では、中森さんにおける俳諧研究の志ってなに?中森さんは「はじめに」でこう言っている。「私は、古典文学研究の大きな役割の一つは「共有」の感度を育むことであると思う」。こんなことをこれまで言った人いるのか?いや、現代が分断の時代だからこそ、中森さんも言うのだろう。古典文学研究は、これまで比較して違うところを問うことが多かった。連歌と俳諧はどこが違うかとかね。幸いこれも昨日の中森さんの話で出ていたこと。形式は同じ。俳諧も連歌の一種だし、と。
中森さんは言う。「見方を変えよう!」と。違いを見つけようとせずに、共有点を見つけようと。この本のコンセプトはここに集約される。
それを踏まえて各論は書かれる。悪いけど、各論を論じていたら、本格書評になっちゃうので、自由なブログとしては、金子はなさんの「あとがき」を借用しよう。多様性に富む芭蕉の門人達。しかし彼らには共有している芭蕉観があった・それが「理想の俳諧を徹底的に探究し、変革・深化させ続ける人間」というものであり、彼らの共有する思いは「何としてもこの師を理解し、ついて行きたいという切実な感情」だったと。
各論は、どれを読んでも、門人の芭蕉へのそれぞれの思いが、それぞれの研究者の見方で論じられている。芭蕉はどう共有されたか、という新しい問題意識を「共有」して。この共同研究の形もまた新しく、そしてゆかしい。いろいろ考えさせられる一書である。
と、関係ない話をしましたが、流れからいくと、ここはもうくだんの中森康之さんが金子はなさんと編んだ『門人から見た芭蕉』(和泉書院、2024年8月刊)を取り上げないといけないでしょう。いやはや長いこせと気になりつつもこちらに挙げていませんでしたな。
門人から見た芭蕉ってなかなか面白いですね。
序論で中森さんが提起するのは「芭蕉風」と「芭蕉流」。芭蕉と其角って全然俳風違いますよね。許六は疑問に思ったんだって。でも芭蕉に言わせれば、「俺の俳風は閑寂を好んで細い、其角の俳風は伊達を好んで細い」。自己の根源的欲求(好んで)が表出したのが「風」である。しかし、繊細に感じ認識するところ(「ほそし」)は共通している。それが「流」である。「風」は違っていい、「流」こそが芭蕉門が共有する感覚であると。それが「芭蕉流」と呼ぶべきものである。実に納得。私の師、中野三敏とその門人たちで考えてみても。仮に「門人からみた中野三敏」ってテーマで、板坂耀子・白石良夫・園田豊・ロバート=キャンベル・宮崎修多・久保田啓一・高橋昌彦・入口敦志・川平敏文・勝又基・盛田帝子・・・まだまだおりますがごめん割愛。まったくの第三者が、それぞれの門人の中野先生との関わりを書いたらって想像すると楽しいですね。みんな「学風」は違うけど、どこか「中野流」であるところが共通しているって話である。
きのうの研究会で中森さんは、研究を外に開くべきだということを言っていた。それにはこうしたいという強い志が必要であると。では、中森さんにおける俳諧研究の志ってなに?中森さんは「はじめに」でこう言っている。「私は、古典文学研究の大きな役割の一つは「共有」の感度を育むことであると思う」。こんなことをこれまで言った人いるのか?いや、現代が分断の時代だからこそ、中森さんも言うのだろう。古典文学研究は、これまで比較して違うところを問うことが多かった。連歌と俳諧はどこが違うかとかね。幸いこれも昨日の中森さんの話で出ていたこと。形式は同じ。俳諧も連歌の一種だし、と。
中森さんは言う。「見方を変えよう!」と。違いを見つけようとせずに、共有点を見つけようと。この本のコンセプトはここに集約される。
それを踏まえて各論は書かれる。悪いけど、各論を論じていたら、本格書評になっちゃうので、自由なブログとしては、金子はなさんの「あとがき」を借用しよう。多様性に富む芭蕉の門人達。しかし彼らには共有している芭蕉観があった・それが「理想の俳諧を徹底的に探究し、変革・深化させ続ける人間」というものであり、彼らの共有する思いは「何としてもこの師を理解し、ついて行きたいという切実な感情」だったと。
各論は、どれを読んでも、門人の芭蕉へのそれぞれの思いが、それぞれの研究者の見方で論じられている。芭蕉はどう共有されたか、という新しい問題意識を「共有」して。この共同研究の形もまた新しく、そしてゆかしい。いろいろ考えさせられる一書である。
2025年01月26日
随筆とは何か
小林ふみ子さんの論文を読んだタイミングがちょうど今日の研究会の直前だった。
今日の研究会とは、前のポストの最後のあたりにちょっと書いた川平敏文氏の科研が主催する「近世随筆研究会」。対面は国文研で行われたが、オンラインも併用。私はオンラインで参加した。会場には20名くらいの人がいるということだったが、錚々たるメンバーが集まっていた。
一人40分の発表で、質疑応答の時間もたっぷりととっていた。13時30分から18時まで。
最初は古畑侑亮さんの「抜書される近世随筆 ―江戸周辺地域の在村医の事例から―」で、ノートやメモの類いの資料から当代人の情報収集のあり方に迫ろうとする研究の事例報告というべきもの。在村医がどういう随筆を抜書しているのか、興味深いレポートである。
2番目は青山英正さんの「城戸千楯『紙魚室雑記』について――鐸舎(ぬてのや)と以文会」と題する発表。こちらは上方が舞台だが、以文会という「随筆を持ち寄る」勉強会?の実態を深掘りしたもの。学問の大衆化、拡散化のモデルとしての以文会。
3番目は理論家中森康之さんの、ずばり「随筆とは何か」。まずは研究会主催者の川平さんに軽くジャブを放つ。以下は勝手に脚色しているけど大体内容は押さえているつもり。
「近世随筆なんて面白いところに目をつけたのに、何のためにこの研究会やってるの?真面目すぎない?安定の川平なんか見たくない、悩んで悶絶しているニュー川平がみたいんだよ!ってメールしたら、じゃあてめえやってみろよ!ってことだったのでやる羽目になりました」
いずれ活字にするだろうから、あんまり詳しくここで披露するのはやめるけど、めっちゃ面白かった。ひとつのキーワードは「レイヤー」だな。じしんの専門である俳諧を例に、「考え方」革命を提唱。質疑も沸騰した。中森さんは、随筆研究を、いまやる意義があるだろう!学界の外にアピールする意味あるだろう?だからやるんでしょう?それ何よ?僕はこう考えてるけどね。ということを話したわけだ。その態度というか姿勢には共感しかない。
とはいえ、少し違和感もあったからオンラインで感想を述べましたけどね。
学界では数少ない戦っている人。今回も期待を裏切らないプレゼン。刺激を受けました。ありがとうございます。
私は、近世随筆が、いわゆるエッセイとは違うということを、中村幸彦先生から教わった。中村先生の書いたものではなく、直接口頭で。大学院生のころ、たまたま学会からの帰りだったか、電車で中村先生のお隣に座ることになって、なぜか近世随筆の話をされていた。だから、近世随筆の話になると、その時の中村先生のお顔を思い出すのである。
今日の研究会とは、前のポストの最後のあたりにちょっと書いた川平敏文氏の科研が主催する「近世随筆研究会」。対面は国文研で行われたが、オンラインも併用。私はオンラインで参加した。会場には20名くらいの人がいるということだったが、錚々たるメンバーが集まっていた。
一人40分の発表で、質疑応答の時間もたっぷりととっていた。13時30分から18時まで。
最初は古畑侑亮さんの「抜書される近世随筆 ―江戸周辺地域の在村医の事例から―」で、ノートやメモの類いの資料から当代人の情報収集のあり方に迫ろうとする研究の事例報告というべきもの。在村医がどういう随筆を抜書しているのか、興味深いレポートである。
2番目は青山英正さんの「城戸千楯『紙魚室雑記』について――鐸舎(ぬてのや)と以文会」と題する発表。こちらは上方が舞台だが、以文会という「随筆を持ち寄る」勉強会?の実態を深掘りしたもの。学問の大衆化、拡散化のモデルとしての以文会。
3番目は理論家中森康之さんの、ずばり「随筆とは何か」。まずは研究会主催者の川平さんに軽くジャブを放つ。以下は勝手に脚色しているけど大体内容は押さえているつもり。
「近世随筆なんて面白いところに目をつけたのに、何のためにこの研究会やってるの?真面目すぎない?安定の川平なんか見たくない、悩んで悶絶しているニュー川平がみたいんだよ!ってメールしたら、じゃあてめえやってみろよ!ってことだったのでやる羽目になりました」
いずれ活字にするだろうから、あんまり詳しくここで披露するのはやめるけど、めっちゃ面白かった。ひとつのキーワードは「レイヤー」だな。じしんの専門である俳諧を例に、「考え方」革命を提唱。質疑も沸騰した。中森さんは、随筆研究を、いまやる意義があるだろう!学界の外にアピールする意味あるだろう?だからやるんでしょう?それ何よ?僕はこう考えてるけどね。ということを話したわけだ。その態度というか姿勢には共感しかない。
とはいえ、少し違和感もあったからオンラインで感想を述べましたけどね。
学界では数少ない戦っている人。今回も期待を裏切らないプレゼン。刺激を受けました。ありがとうございます。
私は、近世随筆が、いわゆるエッセイとは違うということを、中村幸彦先生から教わった。中村先生の書いたものではなく、直接口頭で。大学院生のころ、たまたま学会からの帰りだったか、電車で中村先生のお隣に座ることになって、なぜか近世随筆の話をされていた。だから、近世随筆の話になると、その時の中村先生のお顔を思い出すのである。
2025年01月25日
近世随筆における考証の意義
2025年の初ポストです。今年もよろしくお願いします。
いくつも紹介したい研究書が溜まっておりますが、少しずつペースを挙げて参りたいと思います。
さて今日は、読んだばかりの論文の紹介。最近はあまり論文紹介はしてませんでしたが、大変勉強になったので、メモを残す意味で。
小林ふみ子さんの「近世随筆における考証の意義ー大田南畝から考える「考証随筆」」(『國語と國文学』、2025年2月号)。
まだ1月ですが、2月号はもう出ているのですね。学術雑誌は、奥付より遅れて出ることも多いのですが、さすがは学界をリードする雑誌です。
この論文では、まず「考証随筆」というテクニカルタームについての問題を指摘する。「考証随筆」は「第一義的に戯作者の著述を指すものと解されてきた」感があるが、古くは和田萬吉、近くは白石良夫・日野龍夫・山本嘉孝らが、文体の和漢を問わず文献を論拠として実証的態度で書かれた随筆という認識で用いられているのである(ちなみに、私も後者の意味で理解していた)。
ではなぜ戯作者の著述に限定する理解が生じたかというと、その源は中山久四郎の「考証学概説」(1939)にあり、さらには中山の引く大田錦城の「梧窓漫筆
拾遺」に、清朝考証学が戯作者らの考証好きに影響を与えたする見解が示されていたからだと。中山説はその後の研究に大きな影響を与えたが、実は清朝考証学以前から和学の世界で考証があり、それが流れ込んでいるのであり、「清朝考証学→戯作者の考証随筆」は正しいとは言えないと。
小林さんの専門である大田南畝の考証随筆に注目すると、南畝は先人の考証に目配りをしているが、とくに南畝以前の幕臣達の考証を参照していることがわかる。小林論文ではとくに南畝がその名を書き留めた幕臣大久保忠寄に焦点を当てる。忠寄の考証は京伝にも影響を与えているという。
ここからは、私の感想であるが、こうした考証は、たしかに戯作者たちの楽しみとなっていて、彼らは随筆のみならず、読本などの読物の中にもそれを持ち込んでいる。いわゆる「小説」の中に取り込むにしては大真面目で、よい意味では読み応えがあり、悪い意味では蘊蓄に走りすぎるのだが、江戸人にとっては、物語の筋と同様、あるいはもしかするとそれ以上に、面白い部分だったのではないかと思う。私の用語で「学説寓言」という、作者の考えを寓意する知的な読み物は、18世紀に「奇談」という仮名読物の領域で盛んになっていた。秋成なども「物語」の中に考証随筆を織り込むが、その結果、物語の体を崩しても構わない。というよりも、学説を語ることもまた物語なのだった。
そのようなことを考えている私のアンテナに、小林さんの問題意識はびびびっと来たのであった。
なお、考証随筆は先行の同様な随筆を承継するとともに、人的交流を通して横にも拡がっているだろうし、考証をみんなで楽しむ一種の「共同研究」的な在り方もあるだろう。明日国文学研究資料館で行われる川平敏文氏の随筆をめぐる研究会も、ちょっとオンラインで覗いてみたいものである。
いくつも紹介したい研究書が溜まっておりますが、少しずつペースを挙げて参りたいと思います。
さて今日は、読んだばかりの論文の紹介。最近はあまり論文紹介はしてませんでしたが、大変勉強になったので、メモを残す意味で。
小林ふみ子さんの「近世随筆における考証の意義ー大田南畝から考える「考証随筆」」(『國語と國文学』、2025年2月号)。
まだ1月ですが、2月号はもう出ているのですね。学術雑誌は、奥付より遅れて出ることも多いのですが、さすがは学界をリードする雑誌です。
この論文では、まず「考証随筆」というテクニカルタームについての問題を指摘する。「考証随筆」は「第一義的に戯作者の著述を指すものと解されてきた」感があるが、古くは和田萬吉、近くは白石良夫・日野龍夫・山本嘉孝らが、文体の和漢を問わず文献を論拠として実証的態度で書かれた随筆という認識で用いられているのである(ちなみに、私も後者の意味で理解していた)。
ではなぜ戯作者の著述に限定する理解が生じたかというと、その源は中山久四郎の「考証学概説」(1939)にあり、さらには中山の引く大田錦城の「梧窓漫筆
拾遺」に、清朝考証学が戯作者らの考証好きに影響を与えたする見解が示されていたからだと。中山説はその後の研究に大きな影響を与えたが、実は清朝考証学以前から和学の世界で考証があり、それが流れ込んでいるのであり、「清朝考証学→戯作者の考証随筆」は正しいとは言えないと。
小林さんの専門である大田南畝の考証随筆に注目すると、南畝は先人の考証に目配りをしているが、とくに南畝以前の幕臣達の考証を参照していることがわかる。小林論文ではとくに南畝がその名を書き留めた幕臣大久保忠寄に焦点を当てる。忠寄の考証は京伝にも影響を与えているという。
ここからは、私の感想であるが、こうした考証は、たしかに戯作者たちの楽しみとなっていて、彼らは随筆のみならず、読本などの読物の中にもそれを持ち込んでいる。いわゆる「小説」の中に取り込むにしては大真面目で、よい意味では読み応えがあり、悪い意味では蘊蓄に走りすぎるのだが、江戸人にとっては、物語の筋と同様、あるいはもしかするとそれ以上に、面白い部分だったのではないかと思う。私の用語で「学説寓言」という、作者の考えを寓意する知的な読み物は、18世紀に「奇談」という仮名読物の領域で盛んになっていた。秋成なども「物語」の中に考証随筆を織り込むが、その結果、物語の体を崩しても構わない。というよりも、学説を語ることもまた物語なのだった。
そのようなことを考えている私のアンテナに、小林さんの問題意識はびびびっと来たのであった。
なお、考証随筆は先行の同様な随筆を承継するとともに、人的交流を通して横にも拡がっているだろうし、考証をみんなで楽しむ一種の「共同研究」的な在り方もあるだろう。明日国文学研究資料館で行われる川平敏文氏の随筆をめぐる研究会も、ちょっとオンラインで覗いてみたいものである。