『かがみ』55号(大東急記念文庫、2025年3月)は、「長谷川強先生追悼文集」として、11名の方の追悼文を掲載する。並びは五十音順のようで、井上和人・岡雅彦・岡崎久司・倉員正江・鈴木淳・長友千代治・花田富二夫・深沢眞二・藤原英城・宮崎修多・村木敬子の各氏が、長谷川先生との思い出を語っている。なかでも宮崎修多さんの文章は、彼が私の畏敬する後輩であることもあるが、長谷川先生との思い出を通して彼自身の青春が垣間見えて興味深い。宮崎さんが国文研に就職したあと、長谷川先生の話をよく聴くことがあった。先生は浮世草子のまぎれもない第一人者でありながら、近世文学のあらゆるジャンルに精通し、彼の専門である漢詩文の論文を送っても、的確な指摘・批評が返ってくるのだと。
同じ国文研の同僚としては岡先生、鈴木淳さん、そして、宮崎君と年齢も近い深沢眞二さんが書いておられる。他は教え子の方、『八文字屋本全集』を共に編集された方、大東急でのご縁の方が書いていらっしゃる。いずれの文章を読んでも、深い敬意を感じ取ることができる。
私は、研究について直接に会話したことはたぶん一度もなく、ご本から学ばせていただいたのである。『浮世草子考証年表』などは、私の「奇談」研究にとっては、座右の書のひとつであった。
とはいえ、強烈なインパクトのある、先生の仮装姿は、目に焼き付いている。1985年、九大で行われた近世文学会。その3次会か4次会(?)でのこと。当時、元県議会議員であった女性が経営するお店で「福岡屋」という変わったお店があった。ステージがあり、お店のスタッフが歌い踊るのはもちろん、客に仮装させて踊らせるのである。もう夜中に近いというのに、何十人もそこにいた。もちろん中野三敏先生が用意された店なのだが、私の記憶では、大谷篤蔵先生もいらっしゃった。そして長谷川先生は、カルメンの音楽に乗って、ソンブレロを被った仮装で踊っておられた。別のステージだが私もズボンを脱いでタイツをはかされ、ピンクレディーのUFOを踊らされた。すべってステージで一度転倒した。また渡辺守邦先生はおてもやんの扮装でこれもよく憶えている。しかし、長谷川先生のソンブレロはかっこよく決まっていた。翌年の春の学会で、その写真を長谷川先生にお渡ししたのが、私の数少ない先生との会話である。