2025年04月22日

山東京伝研究

有澤知世さんの『山東京伝研究ー考証・意匠・戯作』(ぺりかん社、2025年2月)は、たまたまであろうが、時宜を得た出版となった。もちろん大河ドラマ「べらぼう」のことである。京伝は、今後「べらぼう」でも重要な位置を占めるキャラクターとなるだろう。『山東京伝全集』を刊行中の出版社から出すのもよい選択である。そして表紙がよく出来ていて、本屋に平積みしたいと思わせるものがある。つまり京伝の肖像を大きく使っていて映える。ついでに言えば本体価格を5000円台に抑えたのは、科研出版助成もあるが、やはり一定の売り上げを期待されてのことあろう。
 私の先師の主著は『戯作研究』だった。それを意識しているか否かはわからないが、山東京伝を研究したから「山東京伝研究」だという、オーソドックな命名には矜持も感じられる。図書館から選書されやすい書名でもある。
 その切り口は副題に示されている。「考証」「意匠」「戯作」は、一見つながりが直ぐには感得できない。「あとがき」にも書かれているように、有澤さんは私の教え子であり、私も本書所収論文の初稿は、当然読んできたが、さて、これを一書にまとめる時には、どういう配列になるのか、どう一書としての体裁を整えるのかな、と思っていた。しかし、序文と結語がついたことで、一書として整ったと感じた。「雅俗にわたる営為を総合的に論じ、十九世紀の江戸という都市空間に生きた文化人・岩瀬醒の営為として、捉えなおす」(序)。それを京伝の新たな評価につなげたいというこことである。
 それが鮮やかに示された、と絶賛するには元指導教員として若干の躊躇いもあるが、三十代半ば(著者紹介に生年が書いているのでこれ書いてもいいよね?)で、これだけの本数の論文を書き、これをまとめて一定の「新たな京伝像」を提起したのは、大いに評価できる。
 「営為」という点に帰趨する研究は、戯作研究の場合結構重要だろう。伝記ではなく、論文集でそれをやることが、戯作者を代表する京伝を対象とするからこそ意義を持ってくる。そこは試行錯誤の苦しみが反映してもいる。そして国文研で研究者と実作者とをむすぶ「ないじぇる」という仕事を経験したことが、活かされていることを感じる。
 京伝について、私は洒落本『傾城買四十八手』を学生の頃読んで、なんという素晴らしい男女の会話のやりとりの描写だろうと思った。一種の類型を描いているのに、リアリティがものすごい。今の学生が読んでも、この作品にはぐっと入り込めるようなのだ。さらに黄表紙『御存商売物』の知的な面白さに痺れた。京伝を研究している人は、様々な作品を入口にして京伝に魅せられ、京伝研究をやりはじめるのだろうが、この面白さ、趣向の卓抜さは天才としか言えず、研究対象として近づけないな、というのが私の素朴な京伝観である。私のような、センスなしにはとても手が出ないなと思ったものだ。だから、京伝研究者は結構プレッシャーを感じつつ、京伝を読んでいるのだろうな、と勝手に想像するのである。
 本書が、晩年の京伝の営為を、歴史的(文化史的)に位置づけることを目指しているとすれば、その文脈についての知見をさらに深めるとともに、京伝の文事とは結局なんだったのか、その評価を意識して、次の段階へと進んでほしい。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする