2008年11月16日

続「字姿」

二つまえのエントリーの続き。

「字姿」を様式のひとつとして考えることは十分可能です。浄瑠璃などの正本、黄表紙のひらがなの多い小さな字、篤胤本の楷書に近いやや丸っこい字…。これは書道や書(芸術)というよりも、「字姿」史の問題でしょうか。

 文学としての書というのは何か。書が文学的営為と関わる要素は、色紙・短冊などへの揮ごうの場合はもちろん、単に紙に書く場合も、墨の濃淡、字詰め、くずし方、連綿、散らし書き、改行、仮名字母などいろいろとあります。

 その場合は、様式ではなく、個人の××です。この××のところに、どういう言葉を入れればよいのか?難しいところです。「癖」「性格」「工夫」「意図」・・・・。

 それらのテクスト上での意味については、わずかに近世小説の仮名字母とか、古活字版の連綿の問題などが論じられたことがありますが、文学的営為としての位置づけとまではいかないような印象です。

 しかし、現代のわれわれでさえ、手書で手紙でも書こうというときには、少し緊張し、どこで改行するか、余白はどうするかとかで、あれこれ考えているわけですから、江戸時代の著述の主体(作者)が筆をとる時は、さまざまに神経を使っていたことでしょう。そうなってきますと、「字姿」は意味を持ってしまうことになります。

 書が問題になるのは基本的には写本ですが、写本の模倣である意識のある版本でもそれは同様、むしろ版本ならではの「字姿」にこだわるところもあったでしょう。印刷史との接点です。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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