2008年12月13日

論文の凝縮度

 すぐれた論文には、さまざまな問題提起が含まれ、重大な事実がこともなげにいくつも指摘されています。

 数百という論文を発表された故中村幸彦氏の論文は、その1本1本に、10本以上の内容が凝縮されていることが少なくありません。おそらく、氏の論文にこめられた問題意識・情報は、数千本分の内容に匹敵するでしょう。いや、今なら、それで1本の論文にしてしまうような、典拠の指摘が、たった一行でなされていることがあり、そのことが気付かれていないケースさえあるようです。

 濱田啓介氏の論文にもそれが言えます。濱田氏の業績の一部は、『近世小説・営為と様式に関する私見』(京都大学学術出版会、1993年)にまとめられていますが、そこに収められなかった重要な論文が数多くあり、その中には、驚くべき先見の明が示されていたり、貴重な指摘が散りばめられているのです。

 読本様式論である「造本とよみもの」(国語国文、昭和32年5月)。氏が27歳の時の論文ですが、そのレベルの高さ、凝縮度、現在でも十分鮮度のある情報の豊かさに舌を巻いてしまいますね。

 「教訓読本」「画本読本」という時の「読本」ということば。この「読本」に「近世文藝の基礎の岩盤の露出」=「よみものとしての基盤」を見、さらにそのよみものの下に、「もっと宏い大きな「本」という基底」があると説きます。そして、「近世の「本」を作る人々が、原稿を書くというよりも「本作り」をやったという感を抱く」。その「最も甚だしい例は本屋作者の場合である」と述べているところ。つまりは、最初から開板を予定された本の作ろうとする造本意識に基づく行為であり、学者一般の著業とは異なるというのです。

 いまでは、これらの考えはある程度常識になっているかもしれませんが、ここに到る濱田氏の論は、伝達行為史的な構想、書林仲間記録の精査、本屋作者論、書肆の仕入れ帳の紹介、書籍目録の検討、「絵本」と「読本」の問題、後期上方読本史、秋里籬島論、「本作り」論など、今でもホットなテーマを自在に往還しているのです。

 こういう論文を読むときの至福。それにしてもこれが27歳とは。それにくらべて自分は・・・・、などと反省するのはやめて、しばらく味読。味読。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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