話が前後しますが、1月10日に大阪大学国語国文学会で、藤田真一さんの「〈書家〉蕪村」というご講演がありました。画家でも俳人でもなく書家としての蕪村に焦点を宛てた話で、秋成作品の書の側面に興味を最近もっている私にとっては有益でした。
その話の中で芭蕉が自分の作品を何度も推敲するのに、清書は他人に任せるのはなぜか、それは、自分で清書すると、また直したくなっていつまでたっても清書が完成しないからだ、という(やや乱雑な要約ですみませんが)お話があり、これが興味深かったです。藤田さん自身、自分が原稿を書く時も、締切がなければ、いつまでも書き直し続けるとおっしゃっており、そういう経験の中からのひらめきなのかもしれません。
この話、ふたつ前のエントリーで触れた、入不二基義さんの『相対主義の極北』におけるクオリアの論議の中で、「完結せず繰り返される不在」と表現される議論とパラレルに見えたのです。こういうところと、自分勝手の文脈ながら繋がっていくというのが、面白いですね。でも、入不二さんの議論はそういう単純なものではないので、私の勝手な誤読であることをお断りします。
2009年01月12日
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