2009年04月12日

金閣寺と人間失格

 少し前に同僚の出原隆俊さんに「「金閣寺」の構成意識」という論文をいただいた。『三島由紀夫研究』7(2009年2月)所収。この中で、『金閣寺』が『人間失格』を意識していることを述べられている。そしていろいろと類似点を挙げるのだが、並べられた類似点を見ても、一見「そうかなあ」と思わないでもない。しかし、『人間失格』と『金閣寺』にはどこかつながるものがあるというのは、よくわかる気がする。

 多分、論者にも、そういう「感じ」が先にあったのではないか。そうすると挙げられた類似点も、三島の無意識層に働きかけてたのかなと思わせる。

 ではなぜ『人間失格』と『金閣寺』が結びつくのか。勝手なことを言えば、『金閣寺』は『人間失格』的な叙述から離れようとして、却ってそれを意識していることを露見させた作品だろうと。つまり三島が、自分の中の否定したい部分、それを人前にさらすように描く太宰に、深い嫌悪感を感じていたことが、屈折した形であらわれたものではないのか。もちろん似ているから嫌悪感を抱くのだ。まあ出原さんがそういう意図で両者を結びつけたのではないのかもしれないが。

 大江健三郎と三島由紀夫の関係にも似ていると私は思う。これは思想的な意味ではなく、文体的なレベルで。

 実は今手元にはないが、中村光夫が『日本の近代小説』(岩波新書)だったかに、太宰―三島―大江の、反転的接続を、書いていたような気がするのだが、(もう30年以上も前にだが)それを読んで、ヤッパリねと思ったという記憶があるのだ。忘却散人ゆえ、記憶違いかもしれない。だとしたらどなたかご存じの方はご指摘ください。
posted by 忘却散人 | Comment(2) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
太宰と聞いて飛んできました。
中村光夫は『日本の現代小説』で、たしかに三島と大江それぞれを語るさいに、太宰を持ち出しております。
ただ三者を接続させる論理は、この書には出てこないようです。
中村光夫が別のところで書いているかどうかは、恥ずかしながら、存じません…。
また見つかれば御報告いたします。
Posted by サイトウ@群馬 at 2009年04月13日 11:51
サイトウ@群馬様。コメントありがとうございます。まさか専門家がコメントしてくださるとは思いませんでした。
確かに、大江が出てくるからには『日本の現代小説』でないとおかしいですね(笑)。これも今手元にないんですが、おっしゃる通り、三者の連続というのは、私の記憶回路が勝手に混線したものでしょう。そのころ読んでいた岩波講座の『文学』(これも中也研究のNさんに譲った記憶)で、大江が三島の文体を過剰な修飾と非難していたのが、何か浮いた感じを受けたという経験か、三島由紀夫賞の第1回審査員になった時のコメントか、なにかの記憶がその混線を助長しているように思います。
Posted by 忘却散人 at 2009年04月13日 12:56
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