門脇大氏の「弁惑物の思想基盤の一端」(『国文学研究ノート』,2009年3月)。副題は「『太平弁惑金集談』の一篇を中心にして」であり、私のアンテナにピピっと来る。
近世中期の書籍目録で「奇談」に部類分けされる書物たちがあり、それらが文学史的に重要であると私は考えているので、それらについてこれまでいくつかの論文を書いてきた。それらは一部を除いてほとんど論ぜられることのなかったものだが、近年、研究者の間の問題意識が「奇談」研究ではなくても、たまたま「奇談」を扱うことになる論文に遭遇する。これは私にとっては漁夫の利である。「ありがたい。ありがたい」と、捧げ持ちながらこれらの論文を拝読する。
『太平弁惑金集談』も「奇談」なので、当然ピピっと来るのである。門脇氏のテーマは「弁惑物」という点にある。これは「惑を弁ずる」つまり、怪異などの迷妄を打破し正しい説明をすることを主眼とする読み物といったらよろしいであろうか。「迷妄」というのはもちろん作者の立場であって、信じる側から言えば「なにを」ということになる(中井竹山・履軒の懐徳堂学主兄弟と上田秋成の立場の違いも同じことだ)。
さて、本論だが、堤邦彦氏の「弁惑物読本の登場」などを踏まえながら、『金集談』をヒントに弁惑物の思想的基盤をひとつの言説に求めようとしたものである。結論から言えば、それは『性理字義』の「妖由人興」(妖は人に由りて興る」の言説である。『金集談』にはこの書名が明示され、その言説の広がりが仮名草子などに見られるというものである。
副題は「『金集談』を手がかりに」とかした方がいいのかなと思ったが、先行研究をうまく咀嚼した、なかなか手際のあざやかな論考と見た。欲をいえば、この言説の広がりをもう少し具体的に挙げていただきたいところである。談義本にもありそうだし、近世後期の読本類にまで探索を及ぼしてもらえばより厚みが出るでしょう。でも面白うございました。
2009年05月05日
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こんにちは。
先日の研究会ではお世話になりました。
また、拙論を御読みいただき、御批評もいただき、重ねて御礼申しあげます。
まさかまさかブログに取りあげていただけるとは思いもよらず、赤面しております。
ご指摘いただきました通り、「妖拠人興」の広がり、あるいは類似の言説に注目した時、こういった思想の広がりをより明確にし得ると考えます。
ありがとうございます。
また、心学との関連も考えてみたいところです。
近世期における「怪異」意識の変遷はとても魅力的ですが、複層的に考えなければならないし、どこまで文献で追求できるのか等々、問題が多いと考えています。
とまれ、読書不足を痛感する毎日です。
今後ともご指導よろしくお願いします。
ありがとうございます。次を書けるように頑張ります。
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「もろはのつるぎ」
御講評をお願い致します。