2009年05月20日

典拠探しの極意

 日本近世文学会ではトリの渡辺守邦氏の『慶長見聞集』と『童観抄』の典拠関係から、仮名草子論という大きな問題に展開する発表が印象に残っている。そういう折に神谷勝広氏の「初期草双紙『浮世宿替女将門』と八文字屋本『今昔出世扇』」(『かがみ』39号、大東急記念文庫、2009年3月)を研究室新着雑誌でたまたま読んだ。

 題を一見すると典拠を指摘しただけの論文のようだが、ここでは典拠指摘に定評のある神谷氏の「典拠探しの極意」が語られていて面白い。

「典拠調査は三つのパターンに大別できる」とし、それは@同一の世界(曾我物とか太平記物とか)に注目。A類似した内容に注目(読書量と記憶力が必要)。B一見無関係だが実は関わるものに注目(準備が大変、当たれば面白い)。と私が乱暴にまとめればそうなる。その上でBの実践例として『浮世宿替女将門』の典拠探し行う。ターゲットは浮世草子である。「結論からいうと、挿絵を手がかりとする」。調査範囲は挿絵を載せる全集類を使う。全タイトルは400種くらい。

 そうすると意外な作品が網にかかった。挿絵が似ている。文章を検討すると間違いない。「趣向を凝らした部分を挿絵として示す傾向がある」。ここに目を付ければよいのだと。まさに「秘打挿絵較べ」という感じだ。

 神谷氏の即物的な文体がこの論文には似合っている。文章のアヤで論文を説得力あるものにする文章の達人がいたりするが、そういう要素(アヤ)は全くない。意図的に排除しているかのようで。不思議な読後感である。

 さてここから広がるのは、上方の〈小説〉と後期江戸小説の「意外な」関係というテーマである。神谷氏は注で、浮世草子と初期草双紙の典拠関係を指摘した従来の論文を列挙する(これは圧巻)。近年では木村八重子氏の都賀庭鐘と草双紙の典拠関係の指摘があることも附言。典拠の指摘を積み上げることで、「意外」は「意外」でなくなって、文学史を塗り替えることができるというわけである。

 これは絵入りの近世仮名読物を扱う演習の授業なんかで是非紹介したい論文である。中村幸彦先生のように歩くデータベースでない限り、神谷式典拠探索法を試してみない手はない。
posted by 忘却散人 | Comment(4) | TrackBack(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 今はその道を離れているとは言え、学生の頃、典拠探しに苦労してましたので、興味深く詠ませて頂きました。
 万葉集の歌の題詞にある漢字二字の熟語を卒論のテーマとして扱おうと、師にに相談したところ、それならば漢籍に典拠はないか確認しなさいと言われ、二ヶ月ほど、文中にもあった中村幸彦先生が若き頃勉強を重ねたという天理図書館にこもったことがあります。
 私の在籍していた大学では、四年生になると、自由にその書庫に出入りすることが認められていましたので、暗いその書庫で圧倒的な数の漢籍とにらめっこをしていました。
 結局、意中の語は発見できず、それを師に報告すると、「よかったですね、漢籍に典拠がないことを証明できましたね。」とお褒めの言葉。

 二ヶ月の努力は卒業論文にて、「この語は漢籍にその例を認めることは出来なかった。」と原稿用紙にすればほんの一行に反映されました。
Posted by gatayan at 2009年05月21日 13:28
学生に聞かせてあげたい、いい話ですね。コメントありがとうございました。
Posted by 忘却散人 at 2009年05月22日 23:31
こんにちは。おじゃまします。
神谷論文は私も読みました。浮世草子(西鶴以外の)研究者にとって現在最大の課題は、不当に軽んじられている浮世草子の持っていた多大な影響を具体的に明らかにする、というものです。これまでは、浮世草子が受けてきた影響の研究が多かった。そのため、よりいっそう浮世草子が軽んじられる傾向にありました(所詮ぱくりかよ、みたいな)。
しかし、ふつうあまり書かないタイプの論文ですよね。本人に確認しましたが、神谷さんとこに今できのよい弟子が居て、お弟子さんに勉強の方法を教えるテキストとして書かれた論文でもあるんですね、これは。まあ、私も非常に役に立ったりしましたが。
木村氏の研究は読んでいませんでしたが。富川房信が繁夜話を読んでいるって、すごいですね。房信、かなり見直しました(読めたのかな。でしょうね)。
Posted by 高橋半魚 at 2009年05月26日 17:09
半魚さん、コメントありがとうございます。なるほど、浮世草子の影響を明らかにすることで、浮世草子の地位を高めるというわけですね。
『かがみ』の編集後記で長谷川強先生がおっしゃっているように、『御存商売物』で八文字屋本がコケにされているのは、倒すべき最大の旧勢力だだったからだと考えると納得がいきますね。
『繁千話』があるくらいだから、庭鐘も上方だけでなく江戸でも結構読まれてたってことで、やっぱり江戸時代の読者ってレベル高いんですね。
Posted by 忘却散人 at 2009年05月26日 21:46
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