『日本古書通信』7月号に、ここで触れた「変化著しい学術情報環境の中で 1」が掲載されている。私のが掲載されるのは次号だが、今号は鈴木俊幸・塩村耕・田坂憲二・井上泰至の各氏が執筆。なぜかみんな知り合い。
鈴木さんのは熱い。図書館の蔵書はそれなりの価値判断による選書、そうでない古書たちに時代の「普通」を発見できる楽しみ。これは中野先生の『和本の海へ』の主張と同調。彼の『近世書籍研究文献目録』に索引がないわけは、お目当ての文献に至りつく過程における迷子状態を提供したかったのだという。全面的に共感。もちろん鈴木さんだからこそ説得力のある文章である。
文学全集の書誌的研究という途方もないことを実践している田坂さん。図書館長奮戦記も出版されているわが大学の先輩である。図書館では文学全集の箱、帯、挟み込みのチラシなどは保存されないから買うしかない。文学全集の書誌的研究の立場から言えば古書店は図書館以上の存在だという。田坂さんの本来の専門はもちろん源氏物語。
このブログでも何度か登場の塩村さんは、岩瀬文庫に身を捧げている方。「目学問」が横行する事態を憂える。しかしデジタル画像の公開が原本閲覧者の増加に繋がることを期待するという。井上さんもこのブログでよく登場しますが、子規・人情本・秋成・軍書…とどまるところを知らない勢い。ピンポイント学術情報の氾濫は、学としての豊かさを一般に還元できなくすることになるので、今こそ雑誌はデータの提供ではなく新しい時代の知的生産を提案すべきたどいう。
それにしても、この人達は、原本をものすごくよく見ている文献派なのだが、一方でパソコンの使いこなしも一流の人たちだ。鈴木さんなどは近世文学研究者の中でも最も早くパソコンを使っていた人の一人ですしね。まあ何でもそうなのだが、こういう人たちは大体なんでもできるのだ。ううう。意味不明の羞恥心がこみあげてきたのでこれくらいで。
ちなみに木越さんの「秋成逍遥」も快調連載中である。
2009年07月16日
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