上田秋成の国学の師は加藤宇万伎である。幕府の大番与力で、たびたび上方に来て、大坂城・二条城を警護した。秋成と知り合ったのは大坂に来ていた時だろうが、その年次は明和八年が有力である。その宇万伎は安永六年の六月に京都で客死する。その墓は現在無縁墓となっていると聞いていたが、きのう、ゼミ研修で京都に出た際、宇万伎が詰めた二条城で解散だったので、そのあとひとりで、そのちかくにあるはずの三宝寺をたずねた。こういうところは、なんとなく最初はひとりでたずねたいものなのである。
堀川通りを少し南に下がり、意外にも商店街入口から入ってしばらく商店街を歩く。三条大宮公園をすぎて、細い道を少し北へ上がった突き当りに三宝寺はあった。
幸いに御住職が門のところにいらっしゃったので、「ここに加藤宇万伎という人の墓があるとうかがって」というと、「墓石はあります」と。中に入れていただき、見せていただくと、たしかに無縁墓石群の中ではあるが、意外に目立つところに「藤原美樹」と刻された墓石があった。感銘を受ける。秋成が終生尊敬してやまなかった人の墓石がこうして今もあるということに。
無縁墓になっても、こうして残してくださっている三宝寺に感謝する。このあと、御住職と少し話をしていて、ちょっと驚くことがあった。それはしばらく胸にしまっておこう(写真もここでは公開はいたしません、あしからず)。またおうかがいすることにして辞した。京都は夏日で暑い一日だったが、墓石の文字をしっかり焼き付けた私の足取りは軽かったのである。
2009年09月28日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック

