高麗大学日本研究センターが刊行している『日本研究』第13号(2010年2月)は、昨年9月同大学で行われた近世文学のシンポジウムに基づく原稿が数本載っている。このごろようやく送ってきた。
延廣真治「江戸文学の可能性」、長島弘明「物語集としての藤簍冊子」、飯倉「秋成における「いつはり」の問題」、佐伯順子「「色道ふたつ」の時代」、鈴木淳「秋成の文学観」、佐伯孝弘「近世前期怪異小説と笑い」の6本である。なんと秋成が3本で、秋成没後200年行事をを韓国でもやっているのか、という感じである。
拙稿は、『春雨物語』に「いつはり」の語が多出するなど、晩年における秋成の「いつはり」の用例を検討して、書くことの罪意識、草稿投棄の問題、樊カイ末尾の解釈に及ぶもので、私としてはかなり気持ちを入れた(?)ものである。入手しにくい学術誌でもあるので、いずれHPにでも置いておこうと思う(6月ぐらいにはHPにもそういう役割を与えるようにしたいと思っている)。
鈴木淳氏は私の論文を参考に引いた上で、「肝心なところを閑却視している」と批判している。こういう批判は実は嬉しい。おざなりに賛成されるよりも批判の対象になる方がいいのである。シンポジウムの時点では、議論の時間もなく(討論者は決まっていたので)、また私自身よく理解していなかったところがあるのだが、今はかなり理解できていると思う。その上で秋成の貫之観については、まだ考察の余地があると思うし、実はそのことを7月刊行予定の某雑誌に書くつもりである。
2010年04月16日
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