山本卓「都の錦と神道講釈」(『西鶴と浮世草子研究』3、2010年5月)。を読む。
同誌創刊号で、同氏所蔵の「内侍所」という資料を元に、都の錦はこの赤穂義士伝を携帯して、全国を舌耕行脚していたという、講釈者都の錦を浮かび上がらせたが、その続考にあたる。
今回の論は、都の錦の著述に神道講釈や神代に関わる表現が頻出することを指摘し、『風流神代記』の背後に都の錦の実際の講釈を想定する。
ここで私が面白いと思うのは、残口や志道軒という、談義本と都の錦の類似性を山本さんが指摘していることだ。中野先生が報告された岩瀬文庫所蔵の志道軒著「ふうりう神代卷」という偽書(実は都の錦の風流神代卷)についても、類似しているからこその偽書だという。
私の関心からいえば、浮世草子から談義本へという流れにおいて、都の錦は注目すべき存在である。私は寓言という観点から、この流れをつかもうとしたときに、都の錦にひっかかったが(同誌2号「怪異と寓言」)、浮世草子から読本へという時に、講釈という視点は非常に重要であろう。これは今後山本さんの仕事の全貌が明らかになればかなりはっきりしてくると思う。
2010年05月24日
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