秋成は若い頃には俗文学、中年で国学を熱心にやり、晩年は和歌和文など雅文学で名声を得る。というのが、秋成文学のおおまかな展開なのだが、それにしては最晩年の『春雨物語』や『胆大小心録』には、演劇的な描写、あるいは演劇ネタが散見する。これをどう考えたらいいのだろう。
私には手に負えない問題だと、考えないことにしていたのだが、演劇関係の某研究所の役員を引き受けてしまった結果、演劇に関わる論文を書かなければならない羽目になり、そういわれても、ほかに何も書けるわけもないので、考えないことにしていた問題を無理やり考えることにした。
この役員は、ずっと断わり続けていたのだが、あまりに繰り返し熱心に(?)、頼まれるのでつい引き受けてしまったのだ(ああ、情に流されるのはもうやめよう!っていつも思うのだが)。「専門以外の人がいた方がいい」という理由なのだが。この理由で頼まれたことって、他にもあったなあ。
で、話題を戻すと、その晩年の秋成と演劇の関係である。もちろん簡単に書けるはずもない。これほど引き受けたのは失敗だったと思った依頼はございません。だが、〈上の方〉から直々お電話がありましたゆえ、火事場の××力と申しますか、えいやっと書いてしまったのでございます。ただ、提出したらこれはヒドイと判定され、陽の目を見ないかもしれません。その時は、また考えます。
だけど、無知な領域で無理やり論文を書こうとしますと、勉強になります。その点は感謝します……。
2010年09月23日
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先生が演劇学を?と、思わず寄ってしまいました。
秋成と演劇ですか・・・とても魅力的なテーマですね。どんな論文になったのか、是非拝読する恩恵にあずかりたいです。
私は古典文学も好きですが、演劇学も好きですよ。大学の時、劇文学と演劇学概論が一番成績が良かったようです。もっとも劇文学は、アメリカ近代舞台劇の分析が中心でしたが。
源氏物語もとても演劇的です。ただし、中に出てくる和歌はそれほどではありません。なぜかとても地味です。能に効果的に使われている絢爛とした和歌の比ではありません。
源氏物語は能作者にインスピレーションを与えたというのに。紫式部は、和歌は苦手じゃなかったかと密かに思っています。
秋成は感情に抑制がきいていた人というよりは、感情過多なタイプのようですね。今だったら、エキセントリックと評されていたかもしれませんね!
コメントありがとうございます。
たしかに秋成はエキセントリックっぽいですね。
ちなみに「演劇学」などおそろしいものに手は出しません。あくまで作品と演劇との関係ってことです。
それもいろんな思いつきっぽいやつです。秋成がある著名な儒者の悪口を言っているのが、ある浄瑠璃の科白を踏まえているという指摘をしてますのが、唯一の「実証的な成果」(?)ですかな。