検察の「初めにストーリーありき」がいろいろ取り沙汰されているが、研究に似ている。
最初に、仮説というストーリーをたてて、それを文献的な事実で埋めててゆく。
埋まらないところは、「蓋然性が高い」という魔法の呪文でぴょーんと飛ぶ。
そういう危ない橋を渡った「調書」が、論文である。(あ、僕だけ?)
といえば、なんだか論文は捏造みたいだが、都合の悪い文献の記述を書きかえることはできない。
また「調書」は自分の実証能力を示すだけのことで、他人を指弾して無実の罪を着せるものではない。
だからどんどんストーリーを作ってみることが必要である。
ストーリーを作る能力は、構想力と呼ばれ、それがないと面白くないのである。
(以上、かなりひとりごとっぽい。ちょっと秋成の真似をしているのだ)。
今日の授業で、学生に『春雨物語』とは、って定義してもらったのだが、「ブログのようなもの」という回答があって唸った。秋成が現代に生きていたらブログをやっていそうだよ、確かに。
2010年10月22日
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確かにそうですよね。
そう言われてみると、万葉集だったら、大伴家持なんかシコシコと和歌ブログをアップしていそうな気がしてなりません。
ところで、忘却散人先生、「定義する」とは「〜のようなもの」でいいのでしょうか。こういうお話は、退官された真田信治先生が大好きな話題なのです。
お答えいただければ、真田先生にご報告したいと思うのですが、よろしいでしょうか。
私といたしましては、むしろ先祖がえりではないのかと。表現によってはしっくりとくる気がいたします。学術論文では適切ではないでしょうけれど。
KyokoN様。私が学生に求めたのは、「春雨物語とは、○○○である」という形ですね。申し訳ございません。「の・ようなもの」という映画もむかしありましたが。
映画『の・ようなもの』は森田義光監督の作品ですね。題名は知っておりますが、残念ながら見たことはありません。落語を題材としたものなら、『しゃべれどもしゃべれども』が原作・映画ともに好きです。ストーリーが良いですよ。初めにストーリーありきですね。
それって、面白いですね・・・気がつかなかったなあ。
調子に乗ってやってみようかな・・・
ネタ自体は家持がもう1200年以上前に用意してくれているんですからね。おいしいと言えばおいしいかも・・・
でも、それをやり遂げる力量と根気が・・・自信ないなあ。
でも、魅力的なテーマなんで考えてみようかな。家持の歌を読み返す機会にもなるし・・・・
三友亭主人様。家持なりすましブログ。期間限定ってことでどうでしょうか。