2010年10月22日

初めにストーリーありき

検察の「初めにストーリーありき」がいろいろ取り沙汰されているが、研究に似ている。
最初に、仮説というストーリーをたてて、それを文献的な事実で埋めててゆく。
埋まらないところは、「蓋然性が高い」という魔法の呪文でぴょーんと飛ぶ。
そういう危ない橋を渡った「調書」が、論文である。(あ、僕だけ?)

といえば、なんだか論文は捏造みたいだが、都合の悪い文献の記述を書きかえることはできない。
また「調書」は自分の実証能力を示すだけのことで、他人を指弾して無実の罪を着せるものではない。

だからどんどんストーリーを作ってみることが必要である。
ストーリーを作る能力は、構想力と呼ばれ、それがないと面白くないのである。
(以上、かなりひとりごとっぽい。ちょっと秋成の真似をしているのだ)。

今日の授業で、学生に『春雨物語』とは、って定義してもらったのだが、「ブログのようなもの」という回答があって唸った。秋成が現代に生きていたらブログをやっていそうだよ、確かに。
posted by 忘却散人 | Comment(7) | TrackBack(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>秋成が現代に生きていたらブログをやっていそうだよ

確かにそうですよね。
そう言われてみると、万葉集だったら、大伴家持なんかシコシコと和歌ブログをアップしていそうな気がしてなりません。
Posted by 三友亭主人 at 2010年10月23日 18:49
すみません、万葉集という三遊亭主人さんの御言葉につられて思わず訪れてしまいました。大伴家持の様子を思うと、つい笑いをこらえることができませんでした。
ところで、忘却散人先生、「定義する」とは「〜のようなもの」でいいのでしょうか。こういうお話は、退官された真田信治先生が大好きな話題なのです。
お答えいただければ、真田先生にご報告したいと思うのですが、よろしいでしょうか。
Posted by kyokoN at 2010年10月24日 01:18
追伸です。もちろん真田先生は社会言語学者であり、国語学者でいらっしゃるので、ご興味は「のようなもの」にあられます。とくに学生さんの言葉には敏感でいらっしゃるようです。ものをはっきり言わない最近の風潮というくくりに入れられるかもしれませんが。
私といたしましては、むしろ先祖がえりではないのかと。表現によってはしっくりとくる気がいたします。学術論文では適切ではないでしょうけれど。
Posted by kyokoN at 2010年10月24日 08:43
三友亭主人さま。家持の和歌ブログ、なりすましでやってください!

KyokoN様。私が学生に求めたのは、「春雨物語とは、○○○である」という形ですね。申し訳ございません。「の・ようなもの」という映画もむかしありましたが。
Posted by 忘却散人 at 2010年10月24日 22:28
忘却散人先生、お答え有難うございました。真田先生にはご報告しないでおこうと思います。一文にこだわって解釈しようとするのは、日本語学、言語学を専門にやっている者の悪しき癖ですね。それに染まらないためにも古典に寄り道させていただきたく存じます。
映画『の・ようなもの』は森田義光監督の作品ですね。題名は知っておりますが、残念ながら見たことはありません。落語を題材としたものなら、『しゃべれどもしゃべれども』が原作・映画ともに好きです。ストーリーが良いですよ。初めにストーリーありきですね。
Posted by kyokoN at 2010年10月25日 12:58
>家持の和歌ブログ、なりすましでやってください

それって、面白いですね・・・気がつかなかったなあ。
調子に乗ってやってみようかな・・・
ネタ自体は家持がもう1200年以上前に用意してくれているんですからね。おいしいと言えばおいしいかも・・・

でも、それをやり遂げる力量と根気が・・・自信ないなあ。

でも、魅力的なテーマなんで考えてみようかな。家持の歌を読み返す機会にもなるし・・・・
Posted by 三友亭主人 at 2010年10月25日 20:17
kyokoN様。一文、一語に拘るのはいい癖ではないですか。木も森もみらんといかんとは、私の口ぐせです。自分ができてないから。

三友亭主人様。家持なりすましブログ。期間限定ってことでどうでしょうか。
Posted by 忘却散人 at 2010年10月26日 06:39
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