ぎょうせいが「国語と国文学」を手放すという。もともと、なにかの義理で、至文堂から引き継いだのだろうから、これは仕方がない。ただ「国語と国文学」は東大の国語国文学会の学会誌的な機能も果たしているかと思うので(よく知らないが)、雑誌そのものが消えることはないのだろう。
それにしても、ここ10年の自分の論文リストを眺めて見ると、江戸文学・国文学・解釈と鑑賞・国語と国文学に投稿したものが8本だった。書評をいれると、あと3つ4つ増える。依頼を受けて絞り出したものゆえ、出来の方は「?」だが、依頼されることで生産本数があがることは事実である。ここから考えても国文学全体の論文数が今後大きく減少することは間違いないだろう。
もっとも学界全体としては、比較的冷静にこの事態を受け止めているといえよう。まだ茫洋とした状態ではあるが、ネットでの研究的発信は逆に確実に増えているわけだし、国文学だけではない学術商業誌の相次ぐ休刊は、衰退ではなく、メディア的過渡期だとも捉えられるからだ。「いや、それはあまりに楽観」としかられるかもしれないが、必要なのは歎くことではなく、評論家然と上から目線で論じることでもなく、先を見ることでしょう。自動車学校で、車の運転をする時には遠くを見ろ、と指導された。溝があるので溝に落ちないようにと溝ばかり見ていたら溝に落ちるのだ。
2011年08月29日
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