井上泰至・田中康二編『江戸の文学史と思想史』(ぺりかん社、2011年12月)は、刺激的な本である。。池澤一郎・田中康二・川平敏文・井上泰至の60年代生まれ四人組による「挑戦状」(跋文)である。思想史研究に対する文学研究側からの挑戦状であるとともに、近世文学研究の現況に対する挑戦状でもある。かつて、40代(つまり60年代ということだ)に文学史を語らせるシンポジウムをやらせたら面白いのではないかというようなことを書いたが、それに近い試みが実現したことになる。
儒学(池澤)・国学(田中)・老荘(川平)・史学・軍学(井上)の四つの章は、それぞれ「研究領域間の架橋へ向けて」で、文学研究と思想史研究の交差を研究史的に叙述し、その問題意識を「本論」で実践的に論文化し、「他分野との関連」において、他三分野との関連性について触れ、最後にそれぞれが指名した30代の研究者が「研究の新たな地平へ」と題するエッセイを執筆する。これが本書の構成である。
池澤氏は、儒学・漢学研究における、漢詩文リテラシーの劣化を警告する。思想史研究側と文学研究側の例を挙げて、一刀両断に斬りまくる。近年の近世思想史研究は、多くの漢文資料を用いるようになり、それはいいのだが、漢詩文をもっと利用できるはずである。時に漢詩文を引用したものがあるが、誤りが多くて信用できないものがあると斬り、返す刀で、文学研究者側の論文での漢詩文引用についても、誤った訓読・典拠指摘・解釈が見られることを指摘する。そして南畝の和文紀行文を、漢詩文リテラシーを駆使して読み解いてみせる。池澤氏の文章には「国際化」の名のもとに日本文学研究の方法が安直な道を歩み、本来近世文学・思想研究に必須であるはずの漢詩文リテラシーの目を覆うばかりの低下を招いていることへの憤りが横溢している。(続く…予定)
2011年12月24日
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漢詩文の素養は、近世に限らず、奈良時代以降、日本の文人の背骨となっているもので、説話を読むにしても、黄表紙を読むにしても、そこここに鏤められています。
日本の漢文は、和習の問題がありますから、当然、正格の漢文、すなわち中国語文言をきちんと読めるようにならないと、その違いはわからないのですが、現在、国史国文で中国語文言の授業・演習をきちんとやっているところはどのくらいあるのでしょうか。説話であれば、さらに仏教漢文という、中国で書かれた文章であっても、変格の漢文を相手にするわけで、そこまで意識している国文プロパーの方が少ないことは残念に感じていました。
たとえば、古代史専攻の研究者に「出典がわからないとか言う前に『文選』くらい読めるようにすれば?」というと、当惑されるので、こちらが困惑してしまいます。奈良にも例はありますし、平安くらいになれば、文人は『文選』は勉強しているはずで、当時の学習レベルに達しなければ、到底正確な読みは難しいでしょうに。国史国文で出典探しに必要な程度の読みでよければ、中文の『文選』の授業に2年くらい通えば、読めるようになるのですが。