一戸渉『上田秋成の時代 上方和学研究』(ぺりかん社、2012年1月)は、一戸さんの博士論文を基にしてなっている。後語にしめされているように、私は学外審査委員として、2回にわたる審査に参加した。総研大は博士論文審査が厳密で、予備審査と本審査(公開)があり、その両方に呼ばれる。だからこの本は既読であった。
しかし、博士論文の「上方和学研究」が副題となり、「上田秋成の時代」が書名となった。それだとちょっと物足りないかなと思ったが、中身を見て納得。第二部第四章の「秋成と好古」が新たに付加されたことによって、書名にふさわしいものになりえている。
ここでは、そのあらたに書き下ろされた章について述べる。
まず、新たな発見として、東丸神社所蔵の宣長『真暦考』の天明四年秋成写本がある。これはきわめて重要な発見である。秋成がこのころ宣長の著書を結構読んでいたことはわかっているが、実際の筆写本の出現ははじめて。このころの秋成筆跡をうかがうのにも好資料。しかもこの写本の書入れなどを検討すると、宣長批判の言はみられないという。この時点ではまだ敵対意識は芽生えていないのである。
また同年成立の秋成『漢委奴国王金印考』が、全面的に宣長の『馭戎慨言』に依拠していたことを明らかにしている。
次に注目すべきなのが、秋成の「文献的ニヒリズム」の成立についての考証である。「文献的ニヒリズム」とは、日野龍夫先生の用語で、一戸さんの整理によれば「古文献改変説」「古文献焼亡説」の二要素から成る。焼亡説の方が、秋成自身の罹災と天明の大火(秋成はこれに遭遇している)の影響だろうというのは、誰でも考え付く話だが、一戸さんはその言説を丁寧に時系列にそって分析し、まず天明大火影響説を固めたうえで、焼亡説が初発においては古今集仮名序、ひいては貫之に関わるものとして主張されていたという事実に注目する。なるほど、それはそうかもしれない。しかし、もう一歩突っ込まないと、その意味が明確にはならないと思う。一戸さん自身も「ある程度連動していたごとくである」と慎重だが、あえて「だから何?」と突っ込んでおきたい。
さて、秋成の好古は、時代の潮流と関わりがある。私自身も天明大火・内裏再建と復古ブームのかかわりについては、「本居宣長と妙法院宮」などで見通しだけ述べているところであるが、一戸さんの論は、精度が相当高い。そして藤貞幹と橋本経亮との交渉に触れて、具体的なイメージとして描くのに一定成功している。
圧巻なのは、秋成の茶書『清風瑣言』の大和法隆寺蔵風爐の図と、『法隆寺宝物図』の同絵が同一であることを示して、『清風瑣言』の茶器図は、『法隆寺宝物図』の画者田中訥言が書いたのではないかと推定しているところである。一戸さん自身が好古の文人となったかと思わせる。
というわけで、なかなか中身の濃い論文となっている。ただどこか既視感のある文体だなあと思ったのだが、これは鈴木淳さんですね。考えてみれば先生なのだから当然だが、『江戸和学論考』の一編を読んでいるみたいなのだ。ともあれ、本格的な論著の生まれたことを喜びたいと思う。
2012年02月28日
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