研究室の近刊雑誌で『雨月物語』に関する二つの講演の活字化を見つけた。
ひとつは、『京都語文』19(2012年11月)に掲載される長島弘明氏「『雨月物語』の多義性について」である。仏教大学での講演のようである。取り上げるのは「浅茅が宿」。宮木の心情の多義性・二重性。「信頼と懐疑」を揺れ動く。それを二重性の表現で描く。この表現については高田先生の「幻語の構造―雨と月への私注」という名論文があるが、それを踏まえつつも、高田先生がストーリーの暗示的手法としたのに対し、むしろ宮木の心情の二重性に対応させているところが新しい。私に引きつければ、「菊花の約」もまた、登場人物尼子経久の、揺れ動く信頼と懐疑の物語である(拙著『上田秋成―絆としての文芸』)から、これは興味深かった。もうひとつは勝四郎が目を覚ます早朝の場面における風景の二重性。美しい叙景であるとともに無残な廃屋の描写でもあるという天才的な表現が解析される。
もうひとつは、山本秀樹氏「『雨月物語「菊花の約」解釈の諸問題」(『高知大国文』43、2012年)。80枚という力作で、従来の諸説をメッタ斬りしている。幸い私の論文は、書かれた時点で参照されなかったとみえて俎上には上らなかったが、付記に出てきてドキっとしたら、御自身の説に近いとあってフォローしてくださっていた。〈かくも実現困難な信義が実現された話〉として読むという結論のようで、確かに私と同じ読みである。緻密に展開される細かい読みについても、ほぼ同意するが、左門の行方については意見が違う。左門は帰郷してはいない。自刃したのである…と、いうのが私の説です。
2013年02月10日
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