研究書としてはかなり変わった書名である。
副題に「はなしの指南書」とあるのも「おや」と思わせる。
この本が「はなしの指南書」なのか、それとも「はなしの指南書」についての本なのか?
しかし、著者が島田大助さんとなると、これがなぜか納得されてしまう。
変わり者の多い近世文学研究者のなかでも、強烈なキャラが際だつ島田さんだが、いたって常識人であり、努力家であり、人情家である。そして、周囲をパッと明るくし、気を配り、礼をつくす。
おまえがなぜそんなことを言えるのか?そんなに親しいのか?と問われれば、いや、そういうわけではないのですが、と答えざるをえない。
ただ、島田さんとは、山口県のある場所で、何年か調査を共にしたことのある間柄である。それも二人だけでというのを、3年くらいやったか。公の機関であるその場所で、いつも昼寝している職員に対して、「なんですか、あの男は!」と、昼飯を食べながら意気投合(?)していたことが思い出される。そういうわけでお人柄については、大体わかっているつもりなのである。
その島田さんが、大著と呼ぶにふさわしい咄本研究書を出された。序章はエッセイのような論文のような咄のような書きぶりで、これも異色。ただ島田さんの口調がそのまま文章になったように感じる。だから私には面白い。地震を落ちに絡めたいくつかの咄(類話)を講演で紹介したら、被災地ではいつから笑い咄をしてもいいのかと質問されたという。島田さんの紹介された咄も前年の地震と関わりがありそうだ。つまり咄は、具体的な場所、時間がわかって、はじめて理解できるもの、それは文献だけではわからないという風にもってゆくのだが、この展開が、論文というより咄的なのである。これこそ「はなしの指南書」である。
驚くべきなのは、第五章の『西鶴諸国はなし』の各論である。『諸国はなし』を咄として読む。これが全て書き下ろしである。いずれも、人間に不思議を感じた咄として読んでいく。これが「読み方」指南である。こういう読み方はいいんじゃないかと思う。
この本が出てから2ヶ月になろうとしている。紹介が遅くなったが、必ず紹介したいと思い続けていた。川柳関係の本を出す新葉館出版から。これも珍しい。
島田さんは、自分を笑いの種にすることの出来る人だ。あとがきを読んでそう思う。すごい大人だと思うのである。
2013年10月07日
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