一昨日、青山学院大学で行われた西鶴研究会に初参加。初参加者は挨拶をさせられるのだが、「忘却さんがはじめてとは」という声が聞こえた。いつも外野からヤジを飛ばしているからだろう。メニューは2本立てで、広嶋進さんがまず、『西鶴置土産』が、「西鶴が晩年に到達した枯淡な心境を示す傑作」という「神話」が、どのように形成されてきたかを解説してくれた。まずこの「神話」がごく最近まで、事典や概説に記されていることが紹介され、その淵源は片岡良一の『井原西鶴』(大正15年)であり、彼の言説がその後反復されたことが示された。さらに片岡の言説の背後に、「本格小説・心境小説」論争など、文壇で「心境」という用語が一種のトレンドになっていたことを明らかにした。広嶋さんの調査は「心境」という語の文芸用語としての起源探索に及ぶが、戦後の置土産論の主調は、では「心境」一色で来ていたのか?という点が省略されていたように思う。その点が知りたかった点だ。
それにしても、虚構の文芸作品に、西鶴の心境が反映しているという作品解説がいまだに通用しているというのは驚きである。これなど、まさしく西鶴作品の近代主義的理解の典型であろう。こういう考え方に基づく読みが無意識に行われていたとすれば、それはやはり問題である。
そこから、西鶴の現実批判・政治批判・権力批判という読みは、たとえば「リアリズム」などという、西鶴作品の特徴としてよくあげられる近代主義的(といっていいと思うが)な見方が基底になっているのではないかという疑いが私に生じた。リポジトリで南陽子さんも指摘していたが、『武家義理物語』「死なば諸共の波枕とや」において、バカ若殿の「村丸を西鶴が批判している」というのはあまりにも素朴な批評である。これは『置土産』は西鶴の心境を示したものというのと同じレベルの読みである。そういう読みをしたいのであれば、「村丸」にも(それだけではなくこの作品の主要登場人物にも)モデルがいることを示さねばならないが、それはいまのところ決定的には示されていない。(簡単にはわからないようにカムフラージュしているというのか?)。むしろ荒木家という設定をもって、義理の物語にふさわしい、アホ殿キャラクターとして、この物語の中に設定されたとする南さんの説が今のところ説得力がある。
リアリズムという批評は、キャラクター以外の状況設定には当てはまるだろう。また、キャラクターを実在モデルから創造することはもちろんありうる。しかし、実在人物の批判を目的に西鶴がこれらの慰み草を怒涛の勢いで次々に書いたというのは、それこそ現実離れした考えだと私は思う。
ちょっと脱線したが、今回の目玉である中野三敏先生の「西鶴戯作者説再考」は、私などは、何度もうかがっていて、質問することは全くなかったのだが、初めて聞いた人の中には、論文で帆むのとは違った印象を与えたようである。そのような感想しを述べた方がいた。
「戯作」というタームの範囲を江戸の俗文芸(散文)全般に及ぼしてはどうかというのが中野先生の提案だが、それは中野先生の、江戸文化観、江戸時代観から来ているということ、たとえばそれが、「江戸モデル封建制」「近世的自我」という考え方と連動しているということが、先生の語りによって少しは伝わったのかと思った。そうであれば、この研究会での講演は無駄ではない。というか、ポイントはそこにある。
リポジトリの篠原さん、木越治さん、染谷さんの中野批判は、中野論が、日本近世文学会の内向けの議論に終始していて、一般の読者向けでもなく、国際的でもない、つまり「開かれていない」という批判であったと一応まとめることができるだろう。私は発言を求め、そういっている方々こそが「西鶴研究を開かれれたものにすべきだ」ということを内向けにしか発信していない、中野先生の方がよっぽど開かれていると(あえて)批判した。この場を借りて補えば、批判している方々がどれだけ開かれた議論を中野先生以上にしているのか、私には大いに疑問である。少なくとも中野先生は、西鶴戯作者説を何度も発信し、今回は一般読者が多数いる「文学」に投稿された。その反応が目立ったところにないからといって、一般読者が全く関心を持たなかったという証拠はない。まずは、「文学」に投稿されたということ自体をなぜ評価しないのか。また中野先生は和本リテラシーについての講演をイギリスや韓国でもされている。そういうことをご存じであろうか?かつて文系基礎学の充実について嘆かれていたことについては、岩波ブックレットに書かれた。あの時中野先生は、このことを理解してもらうには、理科系の影響力のある人物と話して理解してもらわねばならない、と岩波ブックレットをそういう方々に読んでいただき、さらに伝手をたよって可能な限り理系の方との対談をされる努力をされたときく。たまたまそのころ私の勤務していた大学の学長は広中平佑先生であったが、私は中野先生のご依頼で、広中先生にブックレットを読んでいたいたうえで、先生と30分ほど話し、その上で広中中野対談を実現にこぎつけた。広中先生も誠実に対応してくださり、この時の対談は、夕食をともにしながら2時間以上にわたった(ついでにいえば広中先生が接待をされた)。本当に一流の科学者は、文系の基礎的な研究について理解があるなとその時感じたものである。
またまた脱線した。さて、私は、「戯作」というのは江戸文芸の最重要な概念である雅俗観と密接な関係があり、そういう意味で「戯作」の範囲を広げることは江戸文芸理解にとって意義があると述べ。一方で「戯作」とかわかりにくいことばを言わずに国際的にも通用する「小説」にした方がいいという染谷さんの意見に対し、江戸文芸の特異さ、ユニークさを示すには、「ゲサク」を、「ハイク」や「カブキ」のような世界に通じる国際語に育てる方が、よほど開かれた議論だということを(あえて挑発的に)述べた(実際の発言ではもうちょっとたどたどしい言い方だったかもしれない。また誤解されないようにいえば、私は染谷さんの立場はよく理解しているつもりだし、染谷さんの東アジアの中に西鶴を置いて研究するという方法論を高く評価し、尊敬しているものである)。これに対して、中嶋隆さんから、タームとしての「戯作」が後期に限定されていることは、長い近世文学研究の歴史の必然がある。仮名草子や浮世草子にしてもそうである。しかし、西鶴を戯作者とするには、そういうこれまでの研究史に対してあまりに無謀で、手続きをふんでいないという内容の批判がなされ、井上泰至さんからは、「ハイク」という言葉が国際化するためには、連俳としての要素を捨てて、ある程度翻訳したものでなければならなかった点に注意しなければならないというご意見があった。
私はこういう議論こそが、実りのある前向きな議論だと思う。誰もが中野先生が江戸文芸に最も通じている一人であることを認めているはずである。中野先生のいう「近代主義」は50年前のものだとか、今はだれも近代主義的な読みはしていない、というような私に言わせれば「揚げ足取り」のようなことを言って何になるのだろうか? そういうことが中野説の要諦なのではない。まずは碩学のいうことの真意に耳を傾けようと、謙虚になるべきではないか。
私自身、決して無批判に中野先生の説に盲従すべきなどとは思っていない。しかし、本当に中野先生の真意を理解しているのだろうかと常に自身に問い直すような謙虚さはやはり必要ではないだろうか。今回研究会で講演された中野先生の質疑応答の時の時のご発言は、相手を重んじ、自らの非は非として認める、おどろくほど謙虚なものであった。私はそこに改めて胸を打たれ、師の度量の大きさに感銘を受けたことを告白する。
なお、リポジトリの南陽子さんのご意見について、会場ではあまり反応がなかったが、私は、作品中の登場人物をキャラクター設定の立場から論じたこの論が、これまでの論の中で最も説得力あるものだと感じている。
2014年03月29日
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