9月初めの5日間、A国のH州H美術館でR.L文庫目録作成のための調査をさる科研チームで行った。L文庫は、膨大な数の絵画・絵本のコレクションであるが、実はそこに、一定の量の「絵なし漢籍」がある。「絵なし漢籍」などというジャンルはもちろんないが、L文庫の中では、その分類が不自然さを感じさせない。今回宮崎修多氏をリーダーとする日本漢学研究者3名が、その山を整理した。流石の手腕と目を見張った次第だが、その時、宮崎氏が韓国で行われた古文辞に関するシンポジウムの話を熱く語ってくれた。その時彼が話したものが韓国で出版されたということで、抜刷も頂戴した。「日本近世中期にける古文辞の受容と流布に関する検討―徂徠研究を俯瞰して―」(『漢文學報』30、2014年6月)である。
近年の徂徠研究が、丸山真男の『日本政治思想研究』における徂徠評価を批判する流れになっている現状を指摘するとともに、それらの丸山批判も結局は、徂徠に「近代」を見出せるかどうかという問題意識を持つという点で、丸山の呪縛を免れていないと指弾する。
その呪縛から離れて、なぜ擬古があれほど流行したのかということを改めて考察した時に、「個性」とか「近代性」とかとは違う物差しが必要であることが示唆され、また、文学史的に、「清新論的文学観lが主流とされているはずの近世後期に、古文辞で作詩する有力詩人がかくも多く、それは明治期の漱石にも連なることが多くの事例をもって証される。これは合山林太郎氏の近著でも同様のことが指摘されていたと記憶する。
「擬古」という意識で説明するのではなく、古文辞でもってどんな心も表現できるという考えで、藤原定家の『詠歌大概』の「情、新を以て先とし、詞、旧を以て用ふべし」に基づいているのではないかという可能性を述べる。なぜなら徂徠が、古文辞の総帥である李・王に先んじて定家は既に李王の奥義を会得していたと述べているからである。
結局、模倣から個性へという日本近世漢詩史の図式は、近代化というモデルにあてはめたもので、実際は、格調主義と清新主義の双方に傾斜する模索を繰り返しながら、それらが並行して詩史を作っているというのが実態ではないかと提言している。
丸山批判から、丸山を軸にした議論そのものの相対化へという新しい流れが来ているようである。宮崎氏も引用する高山大毅氏や合山林太郎氏の最近の論も、その流れのひとつなのだろう。
2014年09月18日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック

