2014年12月17日

『本朝二十不孝』の冒頭話

 佛教大学の国語国文学会が出している『京都語文』、11月末に出ているのがはやくもネットにアップされているのを笠間書院さんのツイッターで知って見てみると、浜田泰彦氏の『本朝二十不孝』巻一の一論があったので、早速読んだ。
 この話は、遊蕩にふける息子が、親が死んだら二倍にして返すという「死一倍」という借金をし、親父を毒殺しようとするが、思わず毒見をして自ら毒を飲みこんでしまって死んでしまうという話である。
 内心では親の毒殺を狙っているのに、いろいろ勘違いもあって外見には孝行な所業に見えているところのズレが可笑しいという読みを示している。そこから、いろいろ展開できる論点があるようにも思うが、今回はここまでの読みを示しただけなのだろう。論は妥当なもので、わかりやすくシンプルである。
 この論文は授業で学生が示した読みにヒントを得たということだが、実は私の授業でもこの話を扱い、学生に発表させたところ、同様の読みを示していた。普通に読めば、そうよめるということかな。
 私もこの話を講義で扱ったことがあるが『二十四孝』という典拠との関係、あるいは「死一倍」というシステムを孕む社会への批評意識をみる論が多かったという印象である。もちろん、それらは本話を読み解く際には必要な議論である。それらの先行研究をふまえての、こういう素朴な読みは、これまで論文化されなかったと見えるが、一度はこういう読みが示されなければならなかったということだろう。
 そういえば、笠間書院のリポジトリ方で篠原進さんの西鶴論がまた出ると聞いたのだが、まだなのかしら?
posted by 忘却散人 | Comment(1) | TrackBack(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
拙論おとりあげ下さり、恐縮です。受講生の回答に感心した一方で、突拍子もない読み方ではないと思いました。むしろ、誰も気が付かなかった、ないし指摘がなかったことに驚きました(自分が気が付かなかったのも不明の至りだったのですが。)。若い学生さんの柔軟な頭脳では「普通の読み方」なのかもしれません。研究者の方が頭が固くなってしまっているのかもしれませんね。
Posted by 浜田泰彦 at 2014年12月17日 21:42
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