2015年01月11日

世界の読者に伝えるということ

河野至恩氏の『世界の読者に伝えるということ』(講談社現代新書、2014年3月)を、研究会の隣席にいた、若い友人に勧められたので、早速購入して読んだ。
作者は、あの「高校生クイズ選手権」で優勝、アメリカのボードウィン大学で物理学・宗教学を学びつつ、人文学にも関心をもち、大学院は、プリンストン大学で比較文学を学んだ。そこで日本文学を学び、現在は上智大学准教授として、英語で日本文学を教えているという方である。
この本で、教えられたのは、現在世界で日本文学がどのように研究されているかということ、その状況を踏まえた時に、今後、我々はどのように日本文学研究を展開すべきかということ、である。もちろん、後者は簡単に答えの出る問題ではないものの、前者については、日本文学研究に携わる全ての研究者が、意識しておかなければならないことであろう。
我々が漠然と認識していることを、明快に整理してくれており、非常に有益であった。
海外の日本文学研究は、いま比較文学のレンズを通して学ばれるか、日本(地域)研究というレンズで学ばれるかのいずれかであるという。そうした場合、我々がよく学生などに言う「原本で読まなければ古典研究はできない」というような主張はあまり意味をなさない。

たとえば村上春樹のテキストは、英訳されたものから、各国訳がまたなされるという形で世界に広がっているが、比較文学の研究として対象となるのは、むしろ英訳テキストである。これは源氏物語や平家物語にも言えることになる。もちろん、この研究方法から(あるいは翻訳から)失われるもの(たとえば「原典のよさ」)は大きい。変体仮名読解能力や、文献学的な本文研究から生まれる、本文解釈の劇的な転回などは望むべくもない。
しかし、近年たとえば、江戸文学における源氏物語の影響を研究する際には、江戸時代によくよまれたテキストで読まなければならないというのは常識で、本文的価値は低くても、流通面で無視できないという点においては、村上春樹の英訳テキストもまったく同じ事情なのだ。すくなくとも、村上春樹のテキストが、文学や思想に与えた影響を世界的レベルで考えるには(というか、もはやそれを日本国内だけで考えるのはナンセンスだろう)、英文テキストの方が重視されてしかるべきである。

だからといって、これまでの日本文学研究方法が、今後廃れていくということではないし、そうなるべきでもない。ダブルスタンダードの意識が必要なのであるが、少なくとも、日本文学研究の成果は、世界にむけて伝えていくべきであるということについては誰も否定しないだろう。そのために何を知るべきか、何をするべきか、本書はほかにも多くのことを教えてくれるだろう。

posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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