2015年05月13日

『秋成 小説史の研究』書評

『日本文学』2015年5月号に、高田衛著『秋成 小説史の研究』の書評を載せていただいた。
この研究書は、高田衛先生の秋成研究の集大成、ではない。「本音の秋成論」というほうが正確だろう。
「見えない世界」を希求する高田の研究方法は、「見える世界」のみから「実証」できることをのみ明らかにしてゆく「実証主義」と違って、想像力が必須なのである。
 前著『春雨物語論』においても、その方法がとられていたが、今回の本はそれがあからさまな主張となっている。いわば異形の文学史研究である。
 なぜ、秋成を論じることが小説史の研究なのか?私の書評はこの問いを立て、それを解くことで終わっている。
 この書評は、今思えば高田先生に宛てて素直に書いたものだ。書名は中村幸彦の『近世小説史の研究』を意識したものではないかと私は書いたが、それはひとつの見立てである。今の近世文学研究主流への異議申し立てであり、苛立ちであり、そういう「憤り」が表出したものが、この本なのである。断っておくが決して中村批判だと言っているのではない。中村の方法を権威として盾に取り、無反省に「実証」論文を書き続ける研究者たちへの「憤り」である。
 きょう、著者自身から、本書評へのコメントを葉書でいただいた。そこには吃驚するようなことが書いてあった。私は高田衛先生の本の書評をさせていただくことの幸せをかみしめた。葉書に書かれているきわめて文学的な言葉は、当たり前だが、私だけに向けられた言葉であり、一般性はない。私だけが受け止めればよい言葉である。秋成たちの時代に文芸が個人と個人をつなぐ絆のようなものであったことを私は思い出していた。
 秋成研究の前線にいる研究者は、それぞれ相容れない方法で研究しているが、互いにそれを理解しあい、リスペクトしあっているというところがいい。それが秋成研究をやってきて本当によかったと思う最大の理由である。
 
posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 私の仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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