2016年01月16日

死首の咲顏

 2014年4月から、放送大学大阪学習センターにて、原則月1回のペースで、勉強会と称して、上田秋成の作品を読んでいる。まず『雨月物語』を読み、次に『春雨物語』。序、血からびらから読みはじめて、今日は「死首の咲顏」を読んだ。「死首の咲顏」は、明和4年12月に洛北で起こった、渡辺源太という男が、妹の思い人の家に出向いて、妹の首を切るという衝撃的な事件を元にした作品で、事件後ただちに歌舞伎にこの事件のことが取り込まれ、また建部綾足も短期間のあいだに雅文小説『西山物語』として作品化した。事件の40年後、当事者の渡辺源太に会って感銘をうけ、事実を忠実に伝えんとする目的で『ますらを物語』(仮題)という文章を書いた。しかしどういうわけか、その二年度に再び大きく虚構を織り交ぜた「死首の咲顏」を書いて、『春雨物語』(文化五年本)の一編としたのである。秋成七十五歳の時の話。
 この作品のポイントになるのが、元になる事件でいえば源太の妹やゑの恋人右内に相当する「五蔵」の人物像である。『ますらを物語』とはかなり違うふるまいをするこの人物こそが秋成が描きたかった青年像だという点においては、従来の説はほぼ一致している。いわく「かひなき男」、いわく「優柔不断」・・・。あまり肯定的ではなかった。しかるに近年、高田衛氏は、この五蔵の、はっきりしない態度(自宅に帰れば結婚に反対の親に従い、恋人の家にくれば「僕を信じて」という)は、筋が通っているという説を発表した。物語ざまのまねびの上に、現実社会の倫理を置いたこのストーリーでは、物語的な恋愛と現実の家父長制の縛りの両方を具現しなければならない五蔵は、しかるべき言動をしており、ブレはないというのである。
 これは非常に面白い。かなり力業ではあるが、読みとして魅力的だ。
 「死首の咲顏」は、有力研究者がこぞって作品論を試みている作品であり、その視点はそれぞれ独自である。五蔵の性格を「血かたびら」の平城帝の「善柔」と重ねた揖斐高氏、五蔵の父で結婚に反対を貫くキャラクターの五曾次の俗なる言葉に注目した木越治氏、「墓の物語」の痕跡をみる長島弘明氏らが、最近の説であるが、それぞれに興味深い。この作品は、@秋成が唯一当事者に取材した事件の物語化、A同一題材でかなり違う二作を作った唯一のもの、Bその二作は、文化四年の草稿投棄事件の前後。というような特別な要素を持っており、『春雨物語』を解く鍵になる作品の一つである。
 私は『春雨物語』の中で、半分以上の篇について論じてきたが、「死首の咲顏」については独自の議論を展開できそうになく、論じたことがない。しかし、きわめてレベルの高い議論が展開されている本篇を論ぜずして、『春雨』を論じたことにはならないだろうと今回痛感した。書く意欲が少しではあるが涌いてきたので、ここに備忘録として書いておくことにする。
posted by 忘却散人 | Comment(2) | TrackBack(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
忘却散人 様  

 春雨物語所収の「死首の咲顔」に就いて述べられていますが、私も今から半世紀前、「雨月物語」を読了した後、神田の古本屋街をほっつき歩いていて、小見山書店の棚の底から、岩波文庫版の「春雨物語」を掘り出した時には、「してやったり!」という思いと共に身震いを感じました。
 しかしながら、岩波文庫版のそれは、その後編に当たる部分を欠いたものであることを知り、その後、東京都内の古書店という古書店をところ構わずに歩き周り、やっとの思いで欠けている部分を含んだ完本を入手し、読了ことが出来ました。
 その後の私は、転居を繰り返したいた所為もあって、蔵書の大半を廃棄処分にしてしまいましたが、それでも尚且つ、あの日、東京大井町の高原書店の埃塗れの本棚の底から、件の薄っぺらな一冊を掘り出した時の興奮は、決して忘れることが出来ません。
 春雨物語所収の「樊噲」こそは、我が国に於ける、最初にして最高の「悪漢小説」かと思われるのでありますが、先生のお考えは如何なものでありましょうか?
 かく申す私は、「鳥羽省三」なるブログネームを用いて、「臆病なビーズ刺繍」というタイトルのブログを管理しております。
 御ブログに辿り着いたのは、元早稲田大学教授にして、短歌結社「竹柏会」の主宰をなさっている佐佐木幸綱氏の御子息の佐佐木定綱君に就いて、少しく調べたいことがあったことが、その端緒でありました。
 それでは、失礼致します。
Posted by 鳥羽省三 at 2016年02月06日 15:08
コメントありがとうございます。「樊かい」の悪漢(ピカレスク)小説としての評価の高さは定まっていると思います。私の「樊かい」についての考察は、拙著『上田秋成―絆としての文芸』(大阪大学出版会)に少し書いておきました。どこかで見かけることがあれば、ご参照くだされば幸いです。
Posted by 忘却散人 at 2016年02月07日 18:56
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