島津忠夫先生が亡くなられた。
その訃報に接した時、にわかには信じられなかった。
一人暮らしをされていた川西のご自宅から、ご家族のいらっしゃる関東(所沢)に移ることを決心されたのは、確かに先生のご体調が理由だとうかがっていたが、先生はお元気でいらっしゃると、幾人かの方に伺っていたからである。
しかし、その時は来てしまった。
先生ご自身は、それを覚悟されていた。
この6月ごろ出る予定の『上方文藝研究』へのご投稿は、ご自身にもしものことがあっては、と去年の夏には入稿されていた。先生のご意向を汲み、校正も早く出してもらい、秋には校了していたのである。
また、ご蔵書なども、生前から着々と整理しておられた。
それでありながら、著作集完結のあとも、次々と論文・著書を公にされていた。最後までバリバリの現役研究者として第一線を走っておられたことを心から尊敬する。これは決して誇張ではない。このブログでもしばしば書いているように、学会での質疑応答、そしてとりわけ『上方文藝研究』合評会での、鋭いご指摘は、常にだれよりも深い示唆に富んでいた。先生が、『上方文藝研究』の合評会に、よくいらしてくださって、教えてくださった数々のことは、院生諸氏にとって、そして私たちにとっても、本当に貴重な財産となっている。私たちは、次号を、先生の追悼号とする。
島津先生を知るすべての人が、言うだろう。島津先生のように、学問的にも人間的にも本当にすばらしい方は、めったにいない。島津先生から人の悪口はきいたことがないし、島津先生を悪く言う人もきいたことがない。そして、本当に気さくでいらっしゃった。先生は、どんな人に対しても気さくに接し、惜しみなく知識を授けてくださった。先生は現代歌人でもあり、先生を囲む短歌の会も行われていたときくし、連歌関係の研究会があったり、杭全神社での連歌興行などでも指導的立場におられ、源氏物語を読む読書会も長く続けられていたと聞いている。
私がかかわった学術誌、「江戸時代文学誌」「雅俗」「上方文藝研究」の創刊号の巻頭論文はいずれも島津先生が書いてくださっている。
そして私が大阪に来てどれだけ先生に教えられ、励まされ、助けられたか。私が、そして私の妻が大阪で曲がりなりにもやってこれたのは、島津先生のお力が本当に大きい。
先生は、佐賀大学におられたことがあり、九州大学関係の先生とのご縁も深い。そこで私が阪大に赴任した時の歓迎会には、先生もいらっしゃってくださったが、それまでに、そんなに先生と深い御付き合いがあったわけではない。先生は、慣れない関西に来て戸惑っているであろう私たちを気遣ってくださり、居場所を作ってくださったのだと思う。大阪に来たころは、島津先生のお宅に押し掛けて、いろいろなお話を伺って、あまりの愉しさに時を忘れたこともしばしばあったことが思い出される。柿衛文庫で仕事をさせていただいるのも先生のお陰である。
いまはこの喪失感を何とも言い表すことができない。
心から哀悼の意を表する。
先生、ありがとうございました。
2016年05月07日
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