福田安典さんの『医学書のなかの「文学」』(笠間書院、2016年5月)を拝受した。
医学的な立場から文学作品を分析したり、病気の面からある文学者の本質に迫ろうとしたり、そういった研究やエッセイはこれまでもあった。しかし。文学研究の立場から、医学書の中に「文学性」を見るとか、文学書が医学書の擬態をとるとかいう視点で、1冊にまとめられた本というのは、本書がはじめてであろう。一般向けにも十分面白い。そういう装丁と価格設定でもある。文章は軽快なあの福田節である。
国文学研究資料館の、歴史的典籍30万点画像データベース公開という大型プロジェクトでも、医書が注目され、医学史研究と文学研究のコラボも試みられているようであるので、時宜を得た企画である、と思うのは早計で、福田さんは、もう30年ちかく前から、文学研究者として、江戸時代の医学書を漁っていたのである。つまり、時代をずっと先取りしていた。時代が追いついて、福田さんの研究の意味がわかるようになってきたと言った方が、正しい捉え方であろう。実際、本書所収論文の初出は、みな平成ひとケタ代である。
前のエントリーで書いたように、ここドイツで新刊を読むことは諦めていたのだが、たまたま寄稿したリポート笠間の刊行と、福田さんの本の出版に時期が重なり、笠間書院のご好意により、まとめて送っていただくこと
ができたわけである。あの『白い巨塔』にも出てくるように、ハイデルベルク大学は医学の伝統もあるので、なにか縁を感じたりもする。
私など、福田さんの、医学書絡みの論文について、その重要性がわからないままであったが、秋成が医者であったこととか、談義本の中に、医学書風のものがあるとか、どうやら自分の中にいつのまにか受け皿も自然に出来ていたようで、本書を面白く読む事ができた。秋成といえば、その眼科医である谷川家には、医学関係の秘伝っぽい資料があったが、その文章は、「文学」といってもいいレトリックに満ちていたと記憶する。そもそも江戸時代の本というのは、実用書であれ、指南書であれ、文学的意匠を纏っている。医学書がそうでないわけがない。
福田さんは、最初に『医者談義』という本を論じる。従来文学研究側からは談義本として、医学史研究側からは医書として読まれてきた本。見立絵本的な挿絵の戯作性や、西鶴の『武道伝来記』への言及の意味などを読み解きくことで、読み物としての医学書、医学書のなかの「文学」が立ち上がってくる。他にも医書の知識を前提とする初期洒落本の方法や、医学(史)の背景なしには語ることのできない『竹斎』関係の諸論など。
あるいは『武道伝来記』を、他人が読む事を意識した江戸の医案(カルテ)の意味という視点から読み解いた論は、やはり西鶴は「戯作者」だなあという感想を私にもたらした。こういう論を積み重ねて(浜田啓介先生のいう「外濠」を埋めて)、西鶴論は有効な議論がはじめて出来るのだと改めて思う。
末尾のコラムも興味深く読んだ。福田さんの論文を生んだ方法とツールの公開である。こういうものを研究者が公開するのは、すこし勇気が要るものである。しかし、研究成果だけでなく、研究方法やツールも共有することで、今後の研究が豊かになることは間違いない。参考資料や索引やツール類が、単体で紹介されても、利用者はそれをどう利用すればいいのかということはなかなか理解できないものである。日本文学の学生はそういうものを、演習という授業で学んでいくわけだが、それを読者は本書とコラムを合わせ読む事で学ぶことが出来る。これを研究書でここまで丁寧にやるというのは珍しい。非常に貴重だと思った。
2016年05月21日
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