2016年06月29日

ドイツ前近代日本文学研究集会

 6月24日から26日までの3日間、ドイツを中心とする前近代日本文学研究者が集う研究集会が行われた。参加者は10数名。発表言語は基本ドイツ語(英語と日本語の発表もあり)。非常に中身の濃い、レベルの高い発表ばかりであったと思う。もちろんドイツ語はわからないのだが、スライドで原資料・原文を引用しているものは、日本語の発表要旨と合わせて、流れは理解できるものである。ちなみに、欧米では大体そうなんだろうが、発表はハンドアウトはなくて、スライドのみである。

 この研究会は、発足して16年になるらしい。毎年1回、テーマを設定し、持ち回りで開催される。今回も、ハンブルク大学・ミュンヘン大学・ベルリン自由大学・トリア大学といったところからの参加があった。今年のテーマは、「前近代日本文学における越境・空間・境界」というものだ。しかし個々の発表は中々面白く、想像以上に、マニアックである。

 たとえば島崎藤村の「津軽海峡」という作品。日本でもそうそう取り上げられないものだろう。島崎自身も「つまらない」とか言っているらしい。藤本操の事件や日露戦争を背景としている小説だが、その空間的構成の考察は、なかなか面白い。そして質疑の中で、『土佐日記』との共通性が指摘された。船旅の日記という体裁、亡き我が子の追懐、軍艦の出現・・・。実は私も『土佐日記』を想起していたので、この質問者にいたく共感したものである。

 あるいは、パラテクスト研究。ジェラール・ジュネットの提案する概念で、題・識語・奥書・書き入れなどの情報を指している。テクスト解釈の入口であり、内部と外部の間にある不確かな領域。この発表では『高野山秘記』とその異本群が題材である。いわゆる書誌学・書物学と親和性があるが、あくまでテクスト論として定位される。書誌学・書物学がモノとしての情報であるのに対して、パラテクストはあくまでテクストとしての情報である。パラテクストという概念は、日本文学研究ではあまり浸透していないと思われる。すくなくとも、近世文学研究の論文では、聞いたことがない。しかし、実物を見ることがむずかしい海外の研究者にとって、影印や画像データを用いて研究できるのが、パラテクスト研究なのだと思う。そして、識語や奥書などを、書誌情報ではなくパラテクストとして見るのは、既に日本の文献学で知らず知らずかもしれないが、行なわれていることである。しかし、パラテクストという概念を持ってきたとたん、同じ識語・奥書でもさらに見え方が変わってくるだろう。テクスト本体と、そのテクストの周囲のテクスト(パラテクスト)をどこで区別するかという大きな問題が浮上してくるのである。

 画像データベースを利用しただけの「書誌学」は、モノに即した書誌学の前では、「擬書誌学」に過ぎない。いったんそこで見当をつけておいて、実際に本を見に行くということになる。しかしパラテクストでは、モノには即さないので、画像データベースを利用した情報収集で十分学問になるのである。そう私は理解した。まちがっているかもしれないし、表紙の模様や紙質のようなことまでもパラテクストというのかもしれない。そこは質問しそこなった。

 かつて、江戸読本の研究で高木元氏が、テキストフォーマット論と称して、読本のフォーマットがテキストを考える際に重要な旨論じられたことがあるが、この書誌的事項もパラテクストとして捉え、論じ直すことが可能だろう。

 パラテクストについての発表を、ドイツで聞くことで、私には大いに勉強になった。ドイツの研究者が日本の歴史的典籍の書誌的事項を考察しようとするときに、パラテクストの概念は必須ではないかと思うが、それゆえに、発表内容が切実性を帯び、説得力が出てくるからである。

 この発表は最後の発表で、質疑も大いに盛り上がっていた。ハンブルク大学では、マニュスクリプトロジーという写本学のプロジェクトがあり、この発表でも最初に紹介された。ヨーロッパでは、日本と違って古い写本の伝存が非常に少ないそうである。そういう点も、学問の性格が異なる要因に違いない。
 
 さて今回の発表の中で、日本語でなされたが、デジタル文学地図の構想についての発表があった。まだ構想段階ではあるが、たとえば歌枕の空間的位置と、歴史的な用例と、イメージ(図像)が、重層的に表れるというもので、公開すれば、文学研究にとどまらない利用が見込まれる。課題はたくさんあるが、このような構想は今までなかったのである。非常に有意義なプロジェクトであり、このような研究にこそ、お金が投資されるのが望ましい。

 とまれ、いろいろと勉強になった3日間であった。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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