2016年10月28日

中野三敏先生の文化勲章ご受章


2016年10月28日、我が師、中野三敏先生(80歳)が、文化勲章を受章されたというニュースが飛び込んできた。おめでとうございます。弟子として、これほど嬉しいことはない。かなり興奮している。
昨年末、福岡市で、中野三敏先生の傘寿をお祝いする会が開かれた。川平敏文さん(彼も今年度の角川賞受賞!)の編集で、「雅俗小径」という記念文集がつくられ、この時先生に献呈された。私もその文集に拙文を寄せた。いま、祝意に代えてその文章をここに掲げる。

「時代の先をゆく中野先生/飯倉洋一」
中野先生と学生時代の私
 教養部一留を経て、私が九大の国文学研究室に進学したのは、一九七七年の秋。もともと西洋史(ドイツ史)志望で、苦手なドイツ語を勉強するために留年したはずが、親鸞の『教行信証』や梅原猛の諸著作に影響されて国文に転向、もっとも中世仏教文学研究を志していた私は、永積安明や西尾実などを読みこそすれ、近世文学への興味は全くなかった。「中野三敏」の名も当然知らなかったし、中野先生が講義されていた「洒落本史」にも当初全く興味が沸かなかった。しかしそのうちに、『陽台遺編』の書誌学的な講義を伺うと、その推理小説的な展開に感銘を受け、同じ下宿の住人である現九州大学教授の佐伯孝次さん(日本中世史)に、ノート片手にその興奮を語るなど、次第にその魅力に惹かれていった。気づいたら近世文学で卒論を書こうとしていた。それでもまだ「何か違うな」という感じは残っていた。
もちろん、私は何も分かっていなかった。卒論構想発表会では大言壮語して先生方の顰蹙を買った。自分なりに何か国文学的ではないやり方で論文を書こうという野心があったのだろう。そのように私はいわゆる「困った学生」だったが、中野先生は寛容であり、私をいわば泳がせていたのである。これは非常に忍耐力の要ることだが、自分が教員になってからの指針になっている。「僕は教育者としてはあまり・・・」と、中野先生が仰ることを一度ならず聞いたことがあるが、とんでもない。一流の研究者はやはり一流の教育者でもあるのだ。
大学院時代の私の研究は、秋成の文章から思想的言説を抄出して論じるというもので、およそ書誌学的なことに疎かった。しかし、そのような私に一つの大きな転機があった。
それは久留米市立図書館の和古書目録を作成するという作業で、私が皆さんの取ったカードを、清書する役目を仰せつかったのであった。修士課程の三年目のことではなかっただろうか。出来上がった原稿の最終チェックのため、現物照合を行う作業を三日連続で中野先生と二人だけで行ったのである。私が目録原稿を読み上げ、先生が原本を次々に確認していくという作業。もし、その時私がもう少し近世の本についてアンテナを張っていたら、この経験はものすごい成長を私にもたらしたことだろう。しかし、私の本に関する知識は相変わらず無に等しかった。なにせ、「飛毛鏡」を「ひげかがみ」などと読んで呆れられたくらいである。それでも、この経験は中野先生の本についての知識が尋常ではないことを私に知らしめるのに十分だった。
 昼食・夕食も二人だけで共にした。なんとも中野先生には物足りない相手であっただろう。その時もいろいろな事を教えていただいたはずだが、憶えているのは、「同じジャンルの本を百集めたら、そのジャンルについて物が言えるようになる。いま集めるとしたら、たとえば節用集だね」というお言葉である。「節用集」が何であるかもよくわかっていなかった私だが、そのお言葉に従っていたら、もう少しましな研究者になっていたかもしれない。
 ともあれ、大本とか半紙本とかの書型を感覚的にわかるようになったのは多分この時の経験があったからであり、あらゆるジャンルの本を網羅的に見ることがいかに大事かということを確信できるようになったことは、私にとって貴重な財産であった。

西鶴戯作者説
 江戸時代のあらゆる本に精通しているということがいかに強みであるか。それは、「陽明学左派の流行」や「ひとこぶラクダ説」や「江戸モデル封建制」や「近世的自我」という、これまでにない新しい考え方を提唱される時に、誰よりも江戸のことを知っている中野先生に対して、何人も「それはないでしょう」と簡単には言えないということだ。中野先生は、定説を覆すような、あるいは全く新しい概念を次々と打ち出している。そこには一本の筋が通っており、中野先生に言わせれば、当然の帰結なのである。『江戸文化再考』としてまとめられたそれらの大概は、中野先生が何度も何度もご講演(コーエン生活者と自ら称されていたが)したものの集大成で、今後の近世文学研究の指針たりうるものであることは、多くの人が認めるところだろう。それでも学界がなかなか理解せず、行き渡らない説もある。「西鶴戯作者説」がそれである。
 近年、「ぬけ」や「カムフラージュ」と称して、西鶴の作品に、政治批判、権力批判を読みとる傾向が、西鶴研究者の間に拡がってきていた。とりわけ武家物・雑話物を中心に、故谷脇理史氏、篠原進氏、広嶋進氏、杉本好伸氏、有働裕氏、長谷あゆす氏らが、そのような読みを展開していた。私は外側からこれに異論を唱えて、ブログなどで発信していたためか、大阪で開かれた2010年夏の西鶴研究会にはコメンテーターとして呼ばれ意見を述べたこともあった。2013年6月、中野先生が九州大学国語国文学会で、「西鶴戯作者説」の再論を講演され、『文学』に投稿されるとうかがったが、丁度同年9月には京都で西鶴ワークショップが開催され、錚々たるメンバーが集結、中野先生も参加された。そして翌年の3月、東京の西鶴研究会に中野先生が招待され、西鶴戯作者説を語るに至った。ちょうど、『文学』も刊行されたタイミングであった。このご講演で、これまで誤解されていた西鶴戯作者説が一部の方に理解された感触を私は得た。直接語って理解してもらうことの重要さを肌で感じた瞬間であった。それにしても中野先生の質疑応答の時のご発言は、相手を重んじ、自らの非は非として認める、おどろくほど謙虚なものであった。私はそこに胸を打たれ、師の度量の大きさを、改めて痛感したのであった。

社会に向けて
 この西鶴研究会は、笠間書院のご好意で設置されたサイト「西鶴リポジトリ」上で、前哨戦が行われていた。その中で木越治氏が、中野先生の『文学』誌上の論を、これは一般の読者には通じない閉じられた議論であると批判された。私に言わせれば、「作品」論がないという批判の方が「文学」研究を近代的にしか捉えないという意味で狭いのではないの?となるわけだが、木越さんの徹底した近代的スタンスはある意味尊敬できるもので、その立場からの批判はあった方がよい。木越さんへの私なりの批判は拙ブログ(2014年3月29日)に記したのでここでは繰り返さないが、中野先生の視線が、開かれていることは、〈文系基礎学〉〈和本リテラシー〉についてのご発言、その啓蒙活動からも明らかであろう。
 〈文系基礎学〉が重要だというご主張は、現在の文科省の国立大学文系再編成論に対する「文学部の逆襲」議論とも重なってくるところがあり、その先駆的な言説として、大きく評価されるべきものだろう。先生は岩波ブックレットに『読切講談大学改革 文系基礎学の運命や如何に』を書かれたが、単に書かれただけではない。実際に行動をされたのである。先生は、現在の学問をリードする理系のトップクラスの研究者にこそ、〈文系基礎学〉の重要性を分かってもらう必要があると考えられ、あらゆる伝手を利用した。当時山口大学にいた私には二件来た。そのころ私の同僚が結婚したが、その相手が西澤潤一氏の娘さんであった。その同僚とは親しくもあったので、私はブックレットを持って同僚宅に頼みに行き、西澤先生との対談実現を探ったが、これはうまくいかなかった。もうひとつは、山口大学学長の広中平祐先生との対談実現であった。一介の三十代教員であった私には、厳しいミッションであったが、これはなんとか実現したかった。公設秘書の他私設秘書も雇用していたという学長は多忙を極めていた。面会を申し入れて三週間ほど経ったころ、秘書から電話があり、三十分ほど会ってくれるという。私はブックレットを持って参上し、趣旨を説明した。学長は文系の重要性はよくわかっていると言い、機関銃のようにエマーソンの話をした。いささかの不安を感じたものの、対談の申し入れには「考えておく」というようなご返事であった。それからしばらくしてまた秘書から電話があり、学長が中野先生を食事にご招待してくださるということであった。九大から、ドイツ文学の池田先生とともに中野先生が山口大学に見えられ、私もお相伴し、山口でも一番美味しい料亭とされる双鳩庵水野というところで約二時間、対談が行われた。今思えば録音でもしておけばよかったのだが、正直内容はあまり憶えていない。最初は広中先生が機関銃のようにしゃべりまくり、後半中野先生が盛り返したというような感じだったか。ただ対談を終えた中野先生のご感想は、「やはり、さすがだね」というものであった。これは広中先生が、〈文系基礎学〉の重要性を理解しているという意味で、である。今、〈文系基礎学〉のみならず、文系全般の危機が訪れている。文理という枠組みそのものが壊れかねない事態に至っている。そういう時、京大の山極壽一総長のような、理系の一流研究者の文学部擁護発言はやはり心強い。中野先生の戦略の先見性を証する例といえよう。
 そしてここ十年余りの〈和本リテラシー〉啓蒙活動。これもなかなか浸透しなかったが、岩波新書の『和本のすすめ』や、角川書店のくずし字シリーズのご出版、そしてご講演活動を通じて、着実に拡がっている。日本近世文学会にこの活動をご提案された時には、冷ややかな声もなくはなかったが、今では『和本リテラシーニューズ』の刊行など、学会をあげて取り組んでいる印象があるほどだ。海外でも大きな関心を呼んでおり、私も及ばずながら「くずし字解読学習アプリ」の開発や、くずし字に関する国際シンポジウムの開催などに取り組んでいる。それらの記事をブログにあげると、拙ブログ史上かつてない大きな反響があり、驚いている。なかでも一〇〇万人いるといわれる、イケメンに擬人化された刀剣の養成ゲーム「刀剣乱舞」のユーザーが、大きな関心を持っているのだ。

まことに先生は学問においても、社会活動においても、常に、時代の先を走って来られた。私などその足跡を踏み歩いているだけのようなものである。中野先生の教え子であるというだけで、研究者にも、ある時は古書店にも、信頼されることがある。実にありがたいことで、感謝の気持ちは言葉では言い尽くせない。傘寿をめでたく迎えられたが、これからも、時代の先を行くお姿は変わらないのではないか。そのような気がしてならない。
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