2017年07月16日

江戸遊里の記憶

 渡辺憲司先生の新著『江戸遊里の記憶―苦界残影考』(ゆまに書房、2017年6月)が刊行された。
 立教大学の出身である渡辺先生は、かつて山口県の梅光女学院大学で教鞭をとっておられ、私が大学院に入ったころ、九大の研究会にいらっしゃっていた。ちょうど渡辺先生の師匠である白石悌三先生が、福岡に戻って来られたころで、それもあったのかもしれない。研究会には早稲田大学ご出身の藤江峰夫先生(当時福岡教育大学)も来ておられ、お二人の掛け合いが実に面白かったという思い出がある。やがて立教大学に戻られるわけだが、その後のご活躍は、誰しもが知る通りである。『時に海を見よ』の名文は、多くの人に刻まれたことだろう。
 下関のご自宅にも、たしかまだ単身赴任でいらっしゃったころの東京のご自宅にも、なぜか寄せていただいたことがあるのだが、その時、新古典文学大系の仮名草子集のために集積されていた単語カードを見せていただいた記憶がある(以前にも書いていたか)。今思えば、あの膨大な近世文学カードをとられた松崎仁先生のお弟子さんだなあと思うわけである。
 本書は、渡辺先生が、全国各地の遊里を訪ねあるき、人々と触れ合った中での聞書を重ね、心は遊女によりそい、廓の光と影を感得し、優しいことばで綴られた研究エッセイである。講談社新書『江戸遊里盛衰記』をベースにしているが、改稿し、新稿を加えている。『放蕩虚涎伝』にいう「言葉やはらかに、苦界勤めの、辛からん事を人情深くはなすべし」という言葉を胸に刻んで書き残そうとしたという。
 言うは易し、行うは・・・と思う。しかし、これが出来るという点において、私の知る限り、渡辺先生の右に出る人はいないだろう。取材とか、フィールドワークとかではなく、廓の人との虚心の触れ合いの中でえた感覚が、本書を貫いているのである。剽軽で、ノリがよく、ロマンチストの渡辺先生には、遊女ならずとも、心ひかれた人は少なくないはずなのだ。
 

 
 

posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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